付き合いたいとか思ってたわけじゃないけどいざ他の男と付き合い始めると急に惜しくなっちゃう男(手遅れ)ウェディングドレスは僕に作らせたまえよ
測ったきっかけなど忘れてしまった、高校生のときに入手した彼女のヌードサイズ。あの頃はこれを活用して、ジャージしか選択肢のなかった彼女に手製の服を与えてやった。月日が流れ顔付きも体付きも変わった今ではもはや役に立たない数値だが、いまだにそれを捨てられずにいる。
「思っていたより貧相だね。食事はちゃんと摂っているのかね」
「最近はちゃんと食べてますよ」
腰に巻き付けたテーラーメジャーをするりと解き、数値を記録する。どこもかしこも想定よりずっと低い数値だった。豊満なら良いというわけでもないが、食生活の心配をしなければならないほどの細身は美しくない。
バインダーを傍の机に置き、ヒップにメジャーを回す。部屋の入口に立つ男があからさまに顔をしかめたが、それを黙殺し横からサイズを測った。当の小娘は先程貧相だと評したことを気にしてはいるようだったが、何か意識するものがある顔ではなかった。
情けない男だと思う。己ならば、それが彼女が望んた事だろうと、こんなに薄着で他の男に身体を預けるなどと到底許せることではない。自分のために彼女が一生で最も美しく飾る機会に他の男を関わらせるなどと考えられない。
己であれば、僕が作ってあげようなどと売り込んできたどこぞの男の作品よりよほど彼女を美しく彩るドレスを生み出すことができると、馬の骨を鼻で笑うことができるのに。
「それじゃあ、どうぞよろしくお願いしますね」
「楽しみにしていたまえ。世界一美しく仕立ててあげよう」
人好きのする微笑みを湛え、目を輝かせながら手を振る彼女に笑い返す。新しく手に入れたメモもきっと、長く捨てることができないだろう。
上書き保存
ビーフシチューは彼の得意料理なのだと彼女は言った。料理が得意というわけではないがビーフシチューだけには自信があり、よく彼女に振舞ってくれるそうだ。
「だから、自分で作るのは久しぶりです」
鼻歌でも歌い出しそうな程に上機嫌な彼女はゆっくりと鍋を掻き回した。火を通した牛肉に赤ワインと野菜を入れて味を整えてゆっくり煮込む。市販のルゥを使わないレシピも彼から教わったものだという。
鳴り出したスマホのアラームを止めて、彼女は小皿によそった一口分のシチューで味を確かめる。顔を綻ばせてから、同じようにしてこちらにも渡してくれた。
「……どうですか?」
彼女のシチューは素材の味が丁寧に引き出された繊細な味だった。一つ一つの食材と手順を大切にする、姐さんらしい味。悪くなかった。
「……うん、美味しいっすよ!」
彼女の顔がぱっと華やぐ。それがなんとなく気に入らなくて、思わず視線を落とした。
「……? 椎名さん、もしかしてあんまり美味しくなかったですか?」
目敏い人だと思う。というより流石はプロデューサーというか、人のことをよく見ている人だった。
「……ちょっとだけ、ちょっとだけ余計なことしていいっすか?」
「はい、ぜひ」
こういうとき、料理人という肩書きがあって良かったと思った。プロの助言なんて大義名分ができるから。
「コンソメは入れてたから……。野菜ジュース、入れると美味しくなるっすよ。焼肉のタレとかも便利なんすけどビーフシチューには向かないっすね〜」
大さじ2杯程度。隠し味を混ぜ入れる。気付く人にしか気付かない程度の小さな変化だが、彼女はその違いがわかるのだろうか。どうか気付かないでほしい。恋人の大切なレシピを、上書きしたいと思ってしまったことに。
祝福のメロディ
音楽の素晴らしい点の一つは、その名に楽しいという字を持つ所だとレオは思う。自らの生み出すメロディーで人を楽しませ喜ばせ幸福にすることこそがレオのモットーであり、できることならもう二度と、誰かを傷付けるための音楽は作りたくないと思っていた。
だというのに。
五線譜の上で産声を上げたそのメロディーは凶暴で、悲壮的で露悪的で、負の感情で満たされていた。
「……あっれ〜?」
曲としての出来は悪くない。スプラッタ系のホラー映画にでも使ってもらえたならきっと話題沸騰だろう。しかし今レオが生み出したいのは、聞く人を笑顔にし、かわいい後輩の門出を祝福するための旋律だ。
「どうかしたんですか?」
廊下のど真ん中で蹲るレオを心配したのか、声をかけたのはレオに楽曲の制作を依頼したあんず本人だった。しゃがみこみ、レオに目線を合わせながらその手元を覗き見る。
「あっ……、あんずは見るな!」
レオは慌てて撒き散らした譜面をかき集めて腕の中にしまい込んだ。
「ふふ、完成するまでは秘密ですか?」
「う〜ん……。まあそうしたいんだけどそうしゃないっていうか……」
レオは己の才能を信じている。この世のあらゆるものから霊感を受け、幸せな形に変えて世に解き放てる天才を愛している。今だって真っ白なフリルブラウスを着たあんずがまるで花嫁姿みたいで、また脳内を新たなメロディが駆け巡るのだが。
「ごめんあんず……。頼まれてた曲、まだかかりそう」
「それは全然構いませんが……。スランプですか?」
「なんかそうっぽい……。おっかしいな〜」
シャープペンで頭を搔く。浮かぶメロディは未だどす黒いままだ。
後の祭り
「悲しいナ、ボクの方がずっと前から君のことが好きだったのニ。子猫ちゃんはあんなに甘く愛し合った日々を忘れちゃったノ……?」
「夏目くんそういうの負け惜しみみたいでみっともないのでやめたほうがいいで痛った!?」
「そういう冗談彼氏の前では絶対言わないでよ」
恋人だ逢瀬だとありもしない冗談を振り撒いて級友達をからかっていた日々がとうの昔のように感じられた。彼女が制服を脱いでからもうどれだけ経っただろうか。都合のいい位置にあったセンパイの鳩尾を殴りつつ、過ぎ去った日々に思いを馳せる。
「職場が男の子ばっかりなの気にしてるみたいだから、子猫ちゃんって呼ぶのそろそろやめようねって話をしたかったんだけど夏目くんはそれ以前の問題だったね」
「気に食わないなァ。長い年月を共に過したかけがえのない友人であるボクよりぽっと出の彼氏のご機嫌の方が大切?」
「友人と呼ぶにはちょっとズレてるんだよなぁ……」
とにかく気を付けてよ、と念を押してから足早に廊下を駆けて行った彼女。ヒールのあるパンプスで走れるくらいには、彼女も『プロデューサー』に慣れてしまった。
初めて出会った一年で縮めた距離は、時間をかけてゆっくりと遠ざかっていた。それは環境のせいでもあり、立場のせいでもあり、時間のせいでもあり、それを甘んじて受け入れていた今日までの己のせいでもある。
「……今日飲み行きます? とことん付き合いますよ」
「……慰めようとしてんじゃねえヨ別に失恋とかじゃないかラ」
でもそれはそれとして愚痴には付き合ってもらおう。センパイを潰すことで解消できる、日頃のストレスもあるのだから。