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    きたまお

    @kitamao_aot
    なんでもいいから書いたもの置き場。
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    きたまお

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    「数式まみれの空箱」
    起動実験直前のスバさんとチクさんの話。ツイったにももうあげちゃった。

    ##進化

    ガラスドアは大人の胸のあたりの高さに幅二十センチくらいの白いラインがはいっている。部屋の外から見ると確かに白い。内側から見ると、黄ばんで見える。ラインの上下は透明なガラスなのだが、それもスモークフィルムが貼ってあるように見える。
     ——強力な空調があっても、駄目だよなあ。
     東スバルは口をぽかりと開けて、煙が出ていくままにした。いま、喫煙室には誰もいない。なにも面白みのない狭い室内を見るのも飽きて、小さなテーブルによりかかってガラスドアから外を見ていた。と、この組織には珍しい白髪頭を後ろでひとくくりにした老いた男が通り過ぎるのが見えた。珍しい、こちらに来ているのか。普段は自ら創設した大宮の研究所に閉じこもりっきりだ。その後ろに、黒い髪の毛をオールバックにした男が続いた。おや、これもまた珍しい。所長のおつきで来たのか。来月、大宮で大きな実験が行われるから、そのための打ち合わせにきたのかもしれない。
     男がドアの前を通り過ぎる際、一瞬、こちらに視線をよこしたようだった。一度、ドアを通り過ぎたあと、ふたたび戻ってくる。自動ドアを開けて入ってくるなり、形の良い眉をひそめた。
    「煙い」
    「喫煙室だ。あたりまえだろう。清洲は煙草を吸うんだっけ?」
     グレーのスーツ姿で、片手にノートパソコンをむき出しで抱えた清洲チクマは首を左右に振る。
    「吸うわけないだろう。煙草は脳の血管を収縮させる。百害あって一利なしだ。東が吸うほうが驚きだ」
     スバルは煙を斜め上に吐き出した。白い煙が天井の空調に吸いこまれていく。
    「政治だよ。きみみたいな研究バカは知らないだろうが、この国の組織というのはいまだに喫煙室でものごとが多く決められるんだ。なにか大きなことをやり遂げたければ、喫煙室の煙草休憩を兼ねた打ち合わせで根回しをしておく必要がある。そのためだけに吸っている」
     清洲チクマとは同期入社の仲だ。彼はずっと開発研究畑を歩み、スバルは将来会社経営を任されるべく、事業経営の部署を渡り歩いている。同じグループの一員ではあるが、これまで一緒の仕事をしたことはなかった。
    「だから、吸うのは軽い銘柄にしているんだ」
     今朝、封を切ったばかりの煙草のパッケージを見せた。白地に水色の楕円のような色が入り、その中にロゴが入っている。たぶん日本でもっとも売れている銘柄だ。スバルが吸っているのは一番、タール、ニコチン量が少ないボックスタイプのものだ。ボックスにするのは、一箱空にするのに時間がかかっても、中身の煙草がよれよれにならないようにだ。
    「東が車内政治ねえ。そういえば、アメリカに出向になると聞いた。それも政治か?」
    「来週からだ。半年くらいの予定だ。まあ、政治だな。戻ってきたら、僕がトップだ。もう喫煙室のコミュニケーションなど不要なようにしてやる」
     人差し指と親指の先でつまんだ煙草を吸う。最初の一口はうまいような気がするが、残りを吸いきるまではほぼ惰性だ。チクマは片頬だけで笑った。
    「東がトップの組織はおそろしいな。だが、煙草が不要になるのはいいんじゃないか」
    「清洲は煙草を忌み嫌っているみたいだが、まさか新幹線のデザインを決定する際に煙草が一役買ったことをしらないわけではないよな?」
     首をかしげたチクマに向けて、スバルは煙草の箱をテーブルにたてて見せた。
    「おまえのお膝元だろう。東海道新幹線の配色を決める際、会議室にあった煙草の箱を見て、青と白で行こうと決まったんだよ」
    「それがこの煙草なのか?」
    「違う。会議室にあった煙草はハイライトだ。その頃、これはまだ販売されていない。そんなことも知らないで、本当にこの会社の人間か?」
    「俺は研究開発に関係ないむだな知識は頭にいれないことにしているんだ」
     そう言ったチクマの表情が不意に固まった。斜め上を眺め、左手をあごに当てる。数回まばたきすると、突然動き出した。
    「おい、東、なにか書くもの持ってないか? 早くメモをとらないと、消える」
     チクマはそう言って、自分のスーツのポケットに片端から手を入れ始める。普段の彼はおそらく白衣を着ている。総合司令部に来るからスーツなのだろうが、筆記具等を持っていないのだろう。
    「メモならそのパソコンでとればいいだろう」
    「数式は手書きしたほうが早いんだ!」
     東も自分のスーツを探したが、いつも持ち歩いているボールペンが出てきただけだった。
    「ペンがあっても、紙がないな」
    「東、この箱を借りるぞ」
     机のうえにおいてあった煙草の箱をとって、清洲が猛然と文字を書き始めた。小さなブルーブラックの字が白い箱の余白を埋めていく。ほとんどが数式だ。スバルがゆっくりと一本を吸い終わるのと、チクマがペンを置くのが同時だった。煙草を吸っているわけでもないのに、チクマは口から長く息を吐いた。
    「この箱、くれないか」
    「おい、まだ十八本も入っているんだぞ。やれるか」
     チクマは箱をくるくるとまわして、自分の書いた文字をじっと読み直す。
    「一回書いたから、たぶん、大丈夫だとは思うんだが。じゃあ、吸い終わったら捨てないでとっておいてくれ。次に会ったときにくれ」
     その言葉を最後に、チクマは喫煙室から出て行った。
     スバルが数式にまみれたその煙草の箱の中身を吸いきったのは成田空港の喫煙コーナーでだった。箱をゴミ箱に捨てようとしたときに、とっておいてくれと言われたことを思い出した。手の中でつぶしそうになっていた箱を、上着のポケットに滑り込ませた。
     アメリカについてからは煙草を吸うことはなかった。もともと日本の喫煙室でのみ必要だった煙草だ。禁煙と意識することもなく、自然に煙草をやめた。
     ある夜、寝ようとしたときに日本から連絡が入った。一報は「大宮で大きな事故があった」ということだけだった。あの起動実験での事故だった。混乱した現場以上に海を越えてくる情報は錯綜し、朝まで待ってもなにが起きたのかがよくわからなかった。実験機ごと所長が行方不明、現場にいた数名が重傷であると翌日の昼に知らされた。
     早く日本に戻りたかったが、やりかけの仕事、主に政治仕事を放棄することは許されなかった。現場で発生した事故は、国際的にも大きな問題だ。日本に帰る前に必要な根回しをしておく必要があった。結局、戻る算段がついたのは半年以上たって季節が二つ巡ってからだった。
     思いがけず長くいることになったアパートの隅から、アルミのスーツケースを引っ張り出した。がちゃりと開けると、最近嗅がなくなった匂いが立ち上ってきた。煙草の匂い。スーツケースの真ん中にぽつんと煙草の空箱が入っていた。
     清洲チクマが捨てるなと言っていた箱だ。あの日、チクマがやっていたように箱をくるくるとまわして文字を読んでみる。ところどころは読めるが意味はわからない。総和を現す大文字のシグマ、指数関数のe、ベクトルらしい x、hなど、それに行列式。
     チクマの葬式に研究所の人間の参列は拒否されたと聞いていた。もし日本に自分が戻っていても、参列できなかっただろう。
     これを返す相手はもういない。返す方法もない。なのに。
     空箱に残った煙草の匂いだけが捨てられない。
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    きたまお

    TRAINING特殊清掃員のりばいさん2今日の現場も一人で死亡した老人の住まいだった。大きな庭のある戸建ての二階で老人は死んでいた。老人には内縁の妻がいたが、折り悪くその妻は姪と一緒に十日間の海外旅行に出かけていた。家の状況から見て、老人は内縁の妻が旅行にでかけた初日の夜に倒れたようだった。さらに悪いことに、寒がりの老人は自室の暖房を全開にしていた。
     年齢のわりに老人は身体が大きかったようだ。ベッドに残された痕跡でそれを知ることができた。おそらく老人はリヴァイよりも二十センチ以上は背が高い。二階の部屋は天井が傾斜していて、ベッドは天井が低い方の壁にぴたりとくっつけておかれていた。
     リヴァイが最初にやることは、遺体のあった場所に手をあわせることだ。神も仏も信じてはいないが、これだけは行う。手をあわせているあいだはなにも考えていない。一緒に仕事に入ったことのある同僚には経を唱えたり、安らかに、などいうものもいたが、リヴァイは頭をからっぽにしてただ手をあわせる。これはもう習慣だった。
     後輩と一緒に、まずマットレスを外す作業をした。いくらかはまだ生きている虫がいる可能性があるので、殺虫剤を全面に散布する。動くものがなくなったこ 1271

    きたまお

    TRAINING特殊清掃員のりばいさん「先輩はどうしてこの仕事についたんですか」
     行きの車の中で無邪気に後輩が聞いてきた。最近入ったこの後輩は、始めは短期アルバイトの大学生だったはずが、気がつけば正社員として登用されていた。なんか、これがオレの天職だって気がついちゃったんですよね、と大声で事務員に話しているのを聞いたことがある。
     リヴァイはウィンカーを一瞬出して隣の車線に割り込みながら、ぼんやりと答えた。
    「別にやりたくてやったわけじゃねえよ。たまたま、クソみたいな伯父が便利屋をやっていて、そのクソが仕事だけ受けて逃げ出した尻拭いであばらやの清掃に入ることになって、そこからまあたまたまだ」
     母の兄である伯父には、昔からいろいろ迷惑をかけられてきた。便利屋の仕事を借金とともに押しつけられたのが、最たるものだった。
     最初から特殊清掃だったわけではない。ゴミ屋敷の片付けなどを行っているうちに、割のいい仕事として特殊清掃ももちかけられた。六月にベッドで死亡して、一週間発見されなかった老人の部屋の清掃だった。遺体はすでに警察が持ち出していたがベッドには遺体のあとが文字通り染みついていた。床や壁にこびりついている虫を片付けると 674

    きたまお

    TRAININGエルリワンライの没軽くブラシをまわすと、面白いように泡が立った。その泡をブラシの先端にとり、リヴァイが無言であごをしゃくった。上を向けということだろう。
     もみあげから下、あごの先に向けてブラシが小さな円を描くように動いていく。なめらかな動きの中で、ブラシと肌の間に泡が立っていくのがわかった。すこしこそばゆく、しかし気持ちがいい。
     カミソリの扱いは慣れたもの、あっというまに泡をぬぐうように刃があてられて、エルヴィンの無精ひげは姿を消した。最後にぬるま湯の入った桶を寄せられ、身体をうつ伏せに倒せと言われた。
    「すすぐくらいは左手だけでも可能だとおもうんだが」
    「おまえにやらせたら、ベッドが水浸しになりそうだ」
     顔をすすぎ終わり、乾いた布で水分を拭き取るまでリヴァイの世話になった。
    「自分であたるよりも、ずっといいな」
     エルヴィンはすべすべになった自分のあごに手を触れる。
    「以前から、おまえのそり残しは気にはなっていた」
     ひげそりの準備は、エルヴィンが目を覚ます前からやっていたらしい。目を開けたらちょうど、至近距離にリヴァイがいて、手にしていた石けんを取り落としそうになっていた。すぐに医師が呼ばれ、 1958

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