優しい嘘(なんてつけない) 狡噛があえて俺につく嘘に気づいたのは、彼と関係を持ってしばらく経ってのことだった。それはほとんどが家族のことだった。母親との関係を彼は口にせず、俺に黙っていた。授業参観って年でもないから俺は彼の母親とすぐには会わなかったが、時折行く狡噛の家で二人並んで撮られた写真を見ることはあった。狡噛と同じ色の目をした、さっぱりとした女の人に見えた。けれど彼は俺がそれを見ていると知ると写真たてを隠そうとしてしまうのだ。多分、母親の話題になることを避けて、なぜなら俺の母はユーストレス欠乏症で寝たきりだから、だから俺は母と喋ることも出来ない可哀想な子どもだから。最初のうちは狡噛にそんなこと気にするなと言った。俺の父は潜在犯だったし、それは皆が知っていたし、今さら気遣われてもどうにもならないと。でも、狡噛は何度も俺に嘘をついた。母さんとは最近話してないな、なんて、手ずからの料理を食べさせてもらいながら、そんなふうに俺を優しく拒絶した。
そんな狡噛が初めて母親に関して生の感情を見せたのは佐々山が死に、自分が潜在犯堕ちした時のことだった。狡噛の主要連絡先は母親になっていたから、監督する俺がコールしたのだが、自分の息子の状態を聞いても、あの人は気丈に立っていた。そうですか、分かりました。何かありましたらまた連絡してください、協力は惜しみません。冷たいくらいに冷静な物言いに、俺はどうしていいのか分からなくなった。だから嘘を言った。おばさん、心配してたぞ、なんて、真っ白な服を着せられた狡噛に。すると狡噛は笑った。
「嘘だね、母さんは一度もここに来たこともないんだ」
俺は嘘を失敗したことに気づいて、けれどもうどうにもならなくて、「そうか」と言った。「でも心配してた」とも抗うように付け加えて。
狡噛の母親がなぜ更生施設を訪れなかったのかは今でも分からない。ただ優しかった母親が息子の潜在犯堕ちが理由で何らかの変化をしたのは事実のように思えた。でも俺はそうなって欲しくなかった。母親と意思疎通すらできない俺を慮って嘘をついた狡噛のように、俺は狡噛の母親について思ったのだった。