ファーストピアス.
放課後の教室は西日が射し込んで妙に明るい。窓際の、一番後ろの席。開けっ放しの窓から入る風で真っ白のレースカーテンとクリーム色のカーテンがぶわっと膨らんでは元に戻るのを繰り返す。風と一緒に校庭からどこかの部活のかけ声が入ってくる。だから余計、室内は切り取られたみたいに静かだった。
「こじろー?」
はっとする。薫がいた。
机を挟んで相向かい。正面を向いたままの椅子の、背もたれを抱えるような恰好で行儀悪く座る。前屈みになる分目線が下がってこちらを少し見上げるような恰好だ。括った後ろ髪と長い前髪。隙間から見える目付きは鋭い。
ガラも悪けりゃ口も悪く、素行だって悪かったくせ、このキツい三白眼に眼鏡が乗ると、不思議と賢そう、上品そう、となるのだから印象操作ってのはタチが悪い。このタヌキめ。
――そこで気付く。あっ、これ夢だわ。
だって高校生の頃、薫は外で眼鏡なんざしなかった。
そもそも二人とも、揃っていれば更に、教師から目を付けれていたのだ。放課後学校に残るメリットなどなく、むしろホームルームさえもフケて滑りに行っていた。暗くなるまでスケートをして、暗くなってもスケートをしていた時期。放課後の教室にふたりきりなんて思い出はない。
気付いてしまうと行儀悪く腰掛ける姿はボケて、姿勢よく座面に収まる姿が重なる。変わらず明るい教室の背景が、ちぐはぐで少し面白かった。
夢は過去のできごとや自分の願望が顕れる、らしい。身近に学校でのできごとを話す中高生ができたからか。あいつらのおしゃべりに影響されたのかもしれない。
「俺コンビニ寄りたい。ラムネのフラッペ出たよな」
これはまさしくこの間レキが言っていた話だ。当時の薫なら「コンビニ行くぞ」で終わりだろう。
「いいけど。珍しいな」
「だってあれ酒注いだらうまそうだろ」
「あーはいはい」
こっちは当時自分たちでやった。あの頃はフラッペじゃなく、プラカップに入った氷状のアイスだったけど。家からパチった泡盛を入れていたが、今思えばもったいない飲み方をしていた。
不思議な夢だ。ワイシャツにスラックス、踵をつぶした上履き。懐かしい姿の薫。きっちり着付けた着物と理性的な眼鏡。もうすっかり見慣れた今の薫。それらが西日の明るさに目を細める度、カーテンのはためく度、チラチラ切り替わる。
ありはしない思い出と学生時代への郷愁と地続きの現在と。まぜこぜの夢。これが自分の願望なのか。
「あぁ。その前に」
スラックスのポケットから取り出したものを投げて寄越される。反射的にキャッチする。小さく軽い。てのひらに収まったのは、パッケージ外装が付いたままのピアッサー。
「開けて」
薫が言う。まさかパッケージのことではあるまい。前側でゆるくまとめた髪を掻き上げる。白い耳が露わになった。陽射しを受けると眩しいくらいの白さ。
……違う。あの時はもっと薄暗かった。
いつもの廃ドライブイン。まだ酒を注ぐ前のアイスを耳に当て、ピアッサーを投げて寄越した。太陽はすっかり落ちてほとんど夜の時間帯。まっさらの耳と素っ気ない器具を差し出されたのは確かな記憶。
「なんで俺が」
そう答えた。憶えている。言われた薫は投げ返したピアッサーを受け取って軽く笑った。
「ビビリな奴」
そうして、窓ガラスを鏡代わりに自分でさっさと開けていた。初めてのクセに。思い切りのいい男。
同じ答え。同じ行い。
やはり投げ返したのを受け取って、薫は笑う。パッケージを剥す。もう一度髪を掻き上げる。陽射しを弾く肌。白い耳。
今の薫の耳に、ピアス痕はあるのだろうか。視線に晒されることに敏感なヤツだ。こちらが意図を持って盗み見ようものならきっと気付く。それを思えば確認しようにもできなかった。
夢に甘えてジッとそこへ視線を向ける。痕があるようにも、ないようにも見える。今と昔の姿がブレて見えるのと同じようにフラフラと安定しない。そりゃそうだ。現実を知らない。
見つめた耳たぶに、なかなか針はあてがわれなかった。
「なんで、って?」
笑いを含んだ声。馬鹿にされているようにも、しょうがないなと言われているようにも思える。
ビビリと笑った時と同じ。でも、セリフが違う。
後は耳に押し当てるだけのピアッサーが自分の手のひらに帰ってくる。これだって。
違う答え。違う行い。
「お前以外に誰がやるんだよ」
レンズ越し。鋭い視線。まっすぐにこっちを見るのは、今も昔も夢でさえも変わらない。
夢は、過去のできごとや自分の願望が顕れる。
放課後、ふたりきりの教室、ピアスホールを開けろと求める声、過去のできごととは形の違うさまざま。
――……願望の、顕れ。
あぁ。なんて夢だよ。
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