キスの日「今日は何の日か知ってる?」
無邪気な声で暁人が言う。手にした文庫本に落としていた視線を声の方へと向けた。ソファに座る俺を見下ろす暁人の表情は、声と同じくとても無邪気に微笑んでいる。
こういう時のコイツは面倒だ。
正直に言えば、無邪気に笑顔を浮かべる暁人を可愛く思う。だが、面倒なのはコイツがそう言った表情を浮かべる時は何かしらの企みがあることを経験上知っているからだ。年下の恋人はこれで意外と計算高いのだ。
「今日?」
何を企んでいるのか。思案しつつ質問の意図を考える。
5月23日。ちらりとカレンダーに目をやるが、そこには予定の書き込みはないし、祝日というわけでもない。カレンダーに書いていない予定でもあったかと記憶をたどるが、思い当たるものは何もなかった。
視線を暁人に戻す。変わらずニコニコ笑っている。ちょっと待て。さっきより近い。無言の圧を感じて身を引くが、すぐにソファの背にあたる。
「なんか予定してたか?」
「キスの日」
「は?」
「今日は、キスの日」
「は?」
意味がわからず疑問を浮かべる俺に、暁人は同じ言葉を繰り返す。やはり意味がわからない。側から見ればだいぶ頭の悪い会話だが、わからないものは仕方ない。
「何だよ、キスの日って」
繰り返し聞き返す俺に、暁人がずいとスマホを見せてくる。
「5月23日はキスの日。KK知らないの?」
「知るかよ」
スマホに表示されているのはwebページだった。そこには5月23日はキスの日だということ。なんでも日本で初めてキスシーンがある映画が公開されたことに由来するという。
「馬鹿らしい」
俺は呆れたように言った。
「だいたい、キスならいつもしてるだろ」
「そうだけど、そうじゃなくて」
俺の反応が期待通りではなかったらしく、暁人の笑顔を消えていた。
「KKからして欲しいんだよ」
「なん——」
何でと言い終わる前に暁人の言葉が続いた。
「KKからめったにしないじゃん。いつも僕からだしさ」
「そんなことないだろ」
「そんなことあるよ!」
どっちからしたかなんて普通覚えてるか?
「お前な……」
言いがかりだろうと思うが暁人はいたって真剣で、ごちゃごちゃ言ったところでひかないであろうことは予想できた。なによりこちらをじっとみる目が、
「ふはっ、なんだよ暁人。お預けくらった犬みたいだぞ」
思わず吹き出してしまった。形の良い眉がハの字に下がってわざとらしく瞳を潤ませているのは計算なんじゃないかと思はないでもないが、それを指摘するのは野暮だろう。
ったく、しゃーねーな。
暁人の頭に手をまわし、こちらに引き寄せ唇を軽く合わせ、離す。キスの日のきっかけとなった件の映画は唇を合わせただけだったらしいから、同じようにしてやった。
「ほら、これで満足かよ」
息のかかるほどの距離で言えば、暁人がふっと笑って先ほどとは違い深い角度で唇を重ねてきた。
キスだけで終わらせるつもりなんてないのだろう。予想はついていた反応だ。お預けの後はご褒美が欲しいってか? 本当に犬みたいだなと胸中で笑いながら2人してソファに沈んだ。