遠視手放したとき、ようやく初めて、それまで手のひらの中にあったものの本当の形を知ることがある。私がかつて彼女に抱いていたものが愛であったのか、緩やかな不誠実であったのか、それともこのどれでもないのか。彼女に伝えるすべも、彼女から答えをもらうすべも、もうこの世界のどこにもないという事実だけがぐったりと横たわる。はじめからわかっていることだ。
「あ」
隣のシートに座り、雨の打ちつける窓を静かに覗き込んでいた桃が小さく声を落とす。彼女が身じろぐ音が鈍く鳴る。バケモノのように研ぎ澄まされた五感がつねに細やかな世界を流しこみ、脳内がぐちゃぐちゃに散らかったままでいた。
「さっき通った喫茶店、真依ちゃんと行ったことある」
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