Keep Tryin'盧笙は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の白膠木簓を除かなければならぬと決意した。……──という表現ぴったり、そんな感じで盧笙は今目の前の簓に怒り狂っている。
簓はそう思ってみたもののこの有名なフレーズの後の事は覚えていない。大喜利企画(もしかしたらクイズ番組だったのかもしれないが)で何回か出題された事があったので例のフレーズぐらいは覚えていたが、『走れメロス』自体は〝頑張って走った人〟程度の知識ぐらいしかない。簓は考えなくていいものやことはすぐ忘れるようにしているのだ。とにかく考えることが日々沢山あるので。何ってほら、例えば目の前の恋人のこととか。
…と、いっても。
17時前、ただいま~と普段通り合鍵で盧笙の家に不法侵入した簓はリビングに散らばる洗濯物達にあれま。と思った。あ。そういえば朝、急な雨やったよーな。盧笙は朝早いから洗濯機回せへん言うて夜干し派やねんなあ。あ〜よー見れば、テーブルの上もコーヒー中途半端に入った飲みかけのカップ、おそらくトーストを食べた後の皿、出しっぱなし。ははん、さては朝食中に雨、慌てて洗濯もん取り入れてたら出勤時間迫ってて…と見た。どおりでドアに洗濯物withハンガー。入った時落として何のトラップ仕掛けられたかと思ったわ。ははん。
…と、いうわけで、簓は善意100パーセント(当たり前。簓はいつだって盧笙にだけは善意100パーセントで生きているのだ)で、散らばった洗濯物たちを簓なりに畳み、タンスやコンテナに仕舞い、乾き具合が怪しい洗濯物はもう雨が止んだ外 ベランダに干しなおし、皿も洗い、それでも時間を持て余したので掃除機を掛けた。
…が、盧笙はそれが恥ずかしかったらしい。とっても。
確かに簓や零が盧笙の家に不法侵入する時、いつだって部屋は綺麗で片付いており、夜呑んでいる時も時々盧笙は〝コロコロの躑躅森〟になって『柿の種禁止令』を出すし…、母親にそういう風に躾けられた、それともそんなの関係なくキチンと真面目で几帳面な性分なのか、まあなんというか〝いつでもしっかり躑躅森盧笙〟という生き方を盧笙は選んでいる訳なのだ。
で、簓はそれを乱すのが大好き。
「──聞いとるんかお前っ!」
あ、現実逃避しとった。早よ来いや零、と簓は思った。何故なら盧笙宅の酒が切れてしまったからである。盧笙が全部飲んだ。今更今更本当にいまさら不法侵入と合鍵の件で怒り狂っている盧笙のお説教を聞きながら、簓は先程メールで零に酒の追加を注文していたのであった。そんなずっと喋っとったら喉乾くやろ。善意100パーセント。
…いや零早よ来いや なんて思うんやなかったかなあ、と簓は思った。
今盧笙は目の前、大号泣。零のふっわふっわでもこもこの肌触り良い黒いコートにギュっと抱きついてべそべそ、ゲリラ豪雨なんて大嫌いやと泣いている。果たして今盧笙が零のコートにしとるこぉとはコレ浮気になるんか、無機物にも嫉妬しはじめたらいよいよ俺頭パンクしてまう、しかもあのコートの肌触り俺も気にいっとんねんどないしょ、あとせやな俺も大嫌いやで雨。ん〜〜…。と簓は思っている。零はその横でいつも通りスマホをいじりながら酒を飲んでいる。
「と……とりあえずあのコート売ってくれ…?」
「ん。いいぜ75万。新しいの買うし。」
「おおきに…、じゃあいつも通りに…」
「おーう」
「いやや…!これは俺のもんや…!」
あ。嫉妬対象になってまうコレは。やったらこのコートは今後どう管理してけばええんや…?と簓は悩んだ。
そんな、盧笙をジッと見ながら顎に手を当て考えるポーズな簓を見て零は買ってきた酒のチョイス間違えたかもと思った。度数高すぎたかもしれねえ今日のボクチャン達には。
零は大人なので、そして零も零なりにオモシレー事が大好きなので、あとガキには早かった度数高いお酒買ってきてごめんネという意味も込めて、スマホのアプリを起動しながら口を開いた。
「でも今後もこういう事よくあることなんじゃねえの」
「……は?」
「う、家のクローゼットがお前のコートだらけに…?」
「いや、そうじゃなくて、お前らそのうち同棲すんじゃねえの?簓クンが過労死しねえ限り。したら今日みたいなこともまあ起きんだろ、いや分担?それ以前?シランケドー」
零がそう言うと、は。と簓が呆気にとられた顔を浮かべた。
零はしっかりとその簓の間抜け面をスマホで録画した。零は詐欺師なので相手が敵だろうが味方だろうがゆすれるネタは常にストックしておく派なのだ。あとおつかいの代金まだ簓クンから回収してなかったしそういえば。
「………。」
「………。」
零の目の前、ガキんちょ二人は例の言葉に黙ってしまって、え、踏み込みすぎた?と零は思った。
零は二人の仲がどこまで進んでいるのかは知らないのである。二人がお付き合いしているのは流石に知っているが、内情その辺り、どついたれ本舗はしっかり線引をしているのである。あとおいちゃん身近な人間の生々しい話聞きたくないし想像もしたくない。恥ずかしい、照れちゃうから。なので零は簓に、愚痴は聞くが金を出せば裏工作もしてやるがソッチ系の話 リアルすぎる話はしないでネ、と釘をしっかり刺していた。
「……──つまり、」
先に口を開いたのはいつも通り盧笙だった。
「俺は……いつも以上に気を引き締めなアカン、っちゅうことか…。コイツ雑やから任せられん、起きる時間早めな…」
思わず笑い声が漏れそうだったので零はグッと唇を噛み締めた。依然としてビデオを回している。
「………………………いや、………エ、」
一方やっと口を開いた簓の声は狼狽の色が見える。
コレに対しては零は冷静な気持ちでスマホを構えていた。ほんとお前は俺の話を聞かねえ。ほら、話し合え、突っ走るな、落ち着け、っていつも言ってただろ、ホント。
「ろ、……盧笙…、」
「なんや、」
グスッ、と盧笙が鼻をすすったので速やかな動作で簓はバン!と音を立ててティッシュの箱を盧笙の前に置いた。
盧笙は鼻をかんだ。
「ちゃ、…ちゃんと意味、考えて言うた?今…?」
「あ…?ウン…、俺が甘かった、早起きすべきやってん、いついかなるときも冷静に対処、」
「ちゃう、そこやない、もしやわざとやっ、…んなの出来へんか、盧笙やもんな…え、何、何」
簓が動揺しつつも、でもちゃっかりと、零の構えたスマホに手を伸ばすので零は避け、立ち上がってそのままバック。
「俺の事は気にせずやれよ、今がこの時だろ、腹くくってプロポーズしろよめんどくせえ」
「速やかに今すぐそれ停止して帰れや」
「予言してやるが俺それやるとお前最短でも3年は逃がすからなチャンス」
「な、なんの話…?」
「簓君、お前と同棲してえけど拒まれると怖いから茶化して遠回しにあぴ、」
零は体を反らした。簓が投げたティッシュの箱が飛んできたからである。
「アピールしてたのに盧笙が全然オッケーみたいだからパニ」
今度はゴミ箱。
「散らかすなお前!!!!!」
「ほら盧笙怒っちまったぞお前、あ、オイ、瓶はやめろー、ガラスだ、怪我すんぞ」
簓は本棚に向かい辞書を、
「盧笙、簓、羽交い締めしろ、こいつそのうちここの窓ガラス割るぞ、近所迷惑、敷金」
零がそう言うとバッと顔色を変えた盧笙がそのまま言う通り簓を羽交い締め。しかし盧笙はへべれけで簓は盧笙に相変わらず今日も命を燃やしているのでバタンとそのまま二人仲良く倒れた。
「はいどうぞ」
依然としてばっちりスマホでそんな二人を零はにやにやと撮っている。
「ぶっ殺す」
「んな事言ってると盧笙寝ちまうぞお前」
「ぜんぜん、俺、起きとるわ…!」
「もうおねむ直前の声じゃねえか、」
「起きとる!!!」
「あー話進まねえ。はいはい。しゃーねー、スマホの容量も無限じゃねえしおいちゃんが話を進めてやるか。コート良い値で転売できたしな。…盧笙的には簓と同棲してもいいと思ってんのか近々?」
「れ!!!、あ、ろ!はなっ」
簓は大声で騒いでいる。が、盧笙が相変わらず羽交い締めしているので動けないようだ。いい気味〜と零は思った。今まで零は散々、自分勝手で聞いててこっ恥ずかしいボクチャンの愚痴に付き合わされていたのである。アハハ。
一方簓を掴んでいる盧笙は、ジッ、と零(そして零のスマホ)をまっすぐ見上げながら、据わった目で
「……こいつ、まえ、俺に一生付き纏う言うた、」
と言った。
いやそれ生涯お前へのストーカー宣言じゃねえかそれ、と零は思ったが黙った。何故なら最高の画を撮って今後とも簓をゆすりたいからである。ガヤの声は野暮ってものだろう。
「やから、そのうちそうなるやろ。」
「い…………………いや、……いや俺は、そこま、……考えとる、けど、ムリやろ、だっ」
「は?なんでや。」
力強く、そして心の底から不思議そうな盧笙の声が簓の声を遮った。
すると簓は、黙り、耳まで真っ赤になり、フリーズした。
ナッハッハ!と零は思い、そしてビデオの録画を止めた。
ウン、一生分ゆすれるネタ撮れたわ。
零は人の心を操る詐欺師なので、あとそれなりに大人なので引き際はちゃんと分かっているのである。
あとキャ〜と甘酸っぱくてこれ以上見てられねえし。生々しいのヤダし。だしアレだ、やっぱ大丈夫だったろ。ウン。ばーか。
「じゃあおいちゃん帰るから、盧笙ソイツ俺ここ出てくまで捕まえてろ、敷金、退去費用」
そう言いながら零は持ってきていた自分の荷物をヒョイと掴んだ。あ、コート…は、75万で簓の馬鹿に売っちまったんだ。ま、いっか。タクシー即捕まえりゃあ。
「分かった…」
身支度を速攻済ませた零は、リビングを出ていく直前、最後にまた二人を振り返った。少しフリーズが解けたのか簓は片腕で顔を隠している。が、相変わらず真っ赤である。
「話し合えってだから。いっつも言ってんだろ。じゃあなー」
「気いつけて、帰りや〜…」
「おー、またな」
そしてパタンと零はリビングのドアをしっかり閉めて、ついでにコートご購入の御礼として、普段は滅多に使わない盧笙の家の合鍵を取り出し、玄関のドアを施錠してやったのであった。
「……。」
「……。」
「……。」
「……。」
簓が何も言わなくなったので、盧笙はだんだん眠くなってきていた。
簓の体がさっきから熱いのも原因の一つだ。ポカポカと温い。
なんとなくそのポカポカといつもとうって変わって大人しい簓がなんだか良かったので盧笙はジッと簓を抱きしめたまんまだ。少し姿勢がしんどかったので体を仰向けから横に寝返りを打ったが簓はされるがままだった。
ただ、なんやねん、という気持ちはある。堂々とえっらそうに俺に一生つきまとうってお前、で、実際今日もこうやって不法侵、あ、洗濯モン、うー、あー…、盧笙は帰宅後の事を思い出してまた恥ずかしくなった。シンプルな話、盧笙は几帳面な人間なのである。昨夜は今日の授業で使用した小テスト、用意したプリントの誤字に寝る前に気づいて、で、慌てて訂正、結果今日は案の定ちょっと寝坊してしまって、で、朝パラパラパラと窓を叩いたゲリラ豪雨の音、あ〜あ〜〜〜〜〜!なんやねん、Xの3乗って俺のアホ、う〜〜〜〜〜〜…
「……」
急に背後でジタバタし始めた盧笙に、簓は思わず思考を止めて振り返った。
「ど…どないしたん…」
「……思い出したら…恥ずかしなって…」
「………さっきの、ど……同棲するやろ、発言……?」
「は?いやそこちゃう、昨日のケアレスミスからの寝坊からの、洗濯物からの……ちゃう、俺は…、あ、言い訳したない、でも、連鎖、いや、そもそも発端は俺や…」
ぎゅうっと一層強く盧笙は簓を抱きしめ、顔を簓の背中に埋めた。
「…。」
簓は…──簓は激怒した。必ず、この天真爛漫の盧笙を分からせてやらねばならぬと決意した。簓には盧笙の羞恥心がわからぬ。簓は、近々物件を探そうと思った。あと零殺す。