居酒屋でのわちゃわちゃ 東京駅周辺で偶然見つけた創作料理の居酒屋は、完全個室で雰囲気もよかった。
テーブルに並ぶ日本料理を隣に座った細見が、目を輝かせて見つめている。メニューを眺めていた時、細見の瞳が天麩羅と刺身で止まっていたので、盛り合わせを注文したのだ。ちなみに大トロに真っ先に喰らいついたのは綿谷で、次は小室。最後の一切れに、お前は食いたいのかと細見に目線で尋ねられたので、食えよと笑顔で返しておいた。大分でも新鮮な魚はたくさん食える。次に開催された天麩羅争奪戦争は、細見が制した。
「そういえば、綿谷は今日どこに泊んの? 今から鹿島に帰るのは無理だろ」
地鶏の炭火焼を口に運びながら、横にいる綿谷に小室が尋ねる。小室も多田たちと同じように東京駅周辺で宿を取ったらしい。
「ホテルは取ってねぇけど大丈夫。泊まるとこはあるから」
そう言って綿谷は意味深な嘲笑を浮かべた。
「あ、例の彼女か。そりゃお熱いことで」
「小室こそ二人の邪魔すんなよ。俺よりも二人の方がお熱いんだから」
「ブッ……!」
細見が口に含んでいたハイボールを吹きかける。分厚いお手拭きの布を口に当てて、ゴホゴホと噎せた。
「細見、大丈夫かよ」
「だ、いじょ、ぶ」
顔を覗き込むと、細見の瞳は涙で潤んでいる。背中を優しく擦ってやれば、苦しそうな顔が微かに綻んだ気がした。
そのやり取りを見て、小室がニヤニヤと笑う。
「ホントだ。俺の入る隙間はねぇな」
「だろ? 寂しいなら俺が面倒見てやろうか?」
「えー、綿谷が? 二股男はこっちから願い下げだぜ」
「ははっ、ひっでぇ」
小室の肩に腕を回した綿谷もケラケラと声を上げた。
そして、ようやく咳が落ち着いた細見が綿谷を睨む。
「綿谷、てめぇ……くそっ」
「こわー。旦那さん、ちゃんと奥さんを頼むよ」
「はいはい」
綿谷たちに振り回される細見をまぁまぁと鎮めた。自尊心の高い細見にいじり耐性はないので、毎回いい玩具にされている。今回に至っては図星を突かれて変に否定をすることもできず、かといって否定しなければ怪しまれるので、どう反応したらいいか分からない様子だ。自分たちが恋人関係にあることは誰にも暴露していないのだが、細見を奥さんと揶揄ったあたり、勘のいい綿谷は薄々察していそうである。
しかし、ありがたいことに、綿谷はそれ以上からかってはこなかった。真っ赤な顔をした細見もボロを出す前になんとか落ち着きそうだ。
上手く誤魔化したとは言えないが、少し気が抜けた多田はエイヒレに手を伸ばした。しかし、動揺しているつもりはなかったのに箸からポロッと落ちかけて、慌てて手で受け止める。行儀が悪いと分かっていながら、そのまま口に入れると、多田の手に熱視線を送る小室に気づいた。
「どうかしたか?」
「ずっと思ってたんだけどさ。多田って手が綺麗だよな」
「そうか?」
エイヒレが落ちた掌……もとい、商売道具でもある自分の手をまじまじと眺める。
サイズは人より大きい自覚はある。
しかし、綺麗かと言われたら、怪しいところだ。
指は太いし角ばっている。まぁ、大きく開くが。
「よく見せろよ」と小室が言うので、目の前に手を差し出した。
「ほら、やっぱり綺麗。傷一つねぇじゃん」
「……」
ベタベタと触る小室に細見が片眉を上げる。あまりよろしくない流れだ。「もういいだろ」と細見の機嫌を悪くする前に慌てて引っ込める。
「指も綺麗だけど肌もいい感じ。なんか使ってんの?」
「あー……、ハンドクリーム塗ってる」
バッグから普段使いしているチューブ型のハンドクリームを取り出し、テーブルの上に置いた。
「試合や練習後は薬用を使ってるけど。何もない時はこれ」
「へぇ、夏でも使ってんだ。無香料ってところが多田っぽいけど、思ったより普通だな」
綿谷は興味ありげにハンドクリームを持ち、裏面に書かれた成分表記を読んでいる。
普通なのは、当たり前だった。
それは、全国どこにでも売ってあるようなメジャーでオーソドックスなハンドクリーム。
しかし、それは多田にとって特別な意味を持っていた。
そのハンドクリームは成分的なものよりも、精神的な面で多田を支えてくれている。
「中学の頃からずっと使ってる」
「中学? めっちゃ昔からだな」
思いがけない回答だったのか小室が目を丸くする。
「まぁな。細見が中学の時にくれたやつでさ」
「「は?」」
呆気に取られたような声が、テーブルを挟んで座る二人から飛んできた。
「いや、だから細見が……」
「それは分かってるから。俺たちが気になってるのは、なんでここで細見の名前が出てきたかだって」
小室にそう言われても、細見がくれたものだから使っている理由以外何もない。
「へぇ、細見がねぇ……」
綿谷が頬杖をつき、送り主に視線を送る。
「……」
眉間にこれ以上ないほど深く皴を刻んだ細見は、無言でハイボールを煽った。