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    oicsuck

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    oicsuck

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    現パロ🇹🇼旅行話筋。ただただ電話で喋ってるだけのあほ話です。

    InfinityInfinity

    たんと軽い音がして、背筋からお腹まで細く一直線に衝撃が走る。型抜きでもしたかのように正確に、ひとつ小さな穴が胴体にあいて、身体の熱を根こそぎ奪うように急速に熱を持ち、拍動は全身に響く。まずいと思って傷口をあらためると、みるみるうちに穴はみぞおちから臍まで届く程に拡がっていった。困った事に、中はすっかり空洞であった。砕けていようはずの背骨の欠片すらも見付からなかった。血の一滴も落とさず現実味なく拡がりゆく穴を為す術なく眺めて、このままいくと身体がふたつに分かれてしまうなと他人事のような考えが頭を掠めたところで、ようやく目が覚めた。
    酷い寝汗をかいていて、枕もシーツも少し湿っていた。歯を食いしばっていたのか、顎関節は怠さを伴う鈍痛を訴え、左右両方の前腕も何だか痺れていた。時刻は午前一時を少し過ぎたところで、ジェクトは押し寄せる現実に流されるように、先程まで見ていた夢の記憶を喪っていった。発熱を疑い念の為体温も測ったが、三十六度五分と極めて健康的な値が五秒と待たずに叩き出され、若干バカバカしくなりジェクトはもう一度ベッドに寝転がって携帯電話のディスプレイを眺めた。今ならまだ、起きているかもしれない。十秒くらい迷った後、出なかったらメッセージで「何でもない」と入れておこうと思って、恋人の番号にコールした。
    恋人は意外と三~四コールで出た。今いいかと尋ねると、二つ返事で応じる。それでも用件を尋ねる声には若干疲れが滲んでいるような気がして、ジェクトは前に恋人と会った時、今日から一泊二日で出張だとか言っていたのを今更思い出した。エディンバラだかグラスゴーだか忘れたが、スコットランドまで行かなければならないとか言っていた気がするのも合わせて思い出した。ロンドンから四百マイルあまりの移動と仕事の後ではと流石に後ろめたくなって、ジェクトが大した用事では無いからと話を切り上げようとしたら、恋人の方がそれを遮った。ホテルで全然眠れなかったから、逆に気が紛れて有難い等という。
    「今更ホームシックか。出張どこだっけ」
    「エディンバラ。ホームシックだな。帰り道中雨には降られるし、部屋の空調からカビ臭い熱風は出てくるし、ランドリーも満杯で全然身動きが取れない。今すぐ帰りたい。疲れた」
    「早く全部フロントに言ってこい」
    「もう言った。二部屋目なんだ。いい加減もう面倒臭い」
    思ったよりかわいそうだった。
    一部屋目の空調からは真っ黒な水が出てきたという。フロントの人間は少しの間運転状態を続けておけば宜しいなどと適当な事を言うが、根拠がまるでなさそうな上、運転させている以上は臭い熱風が噴射され続けるので、たまったものではないと恋人は続けた。
    「切っちまえば?エディンバラ、そんな暑いか」
    「暑くはないが、湿気がひどい。身体はべたべたするし、抄録がフニャフニャしてきた」
    「はは、やべーなそれ」
    「ふふ……笑い事じゃない」
    笑い事ではないと言いながら、恋人も力なく笑った。最早笑うしかない様子であった。
    冊子や書類はどうにもならないが、身体がべたべたするのは水風呂にでも入ると宜しいとジェクトが思い付きで提案すると、恋人は「それだ」等と宣い、ややあって本気で水音が聞こえてきた。半ばヤケクソの雰囲気は伝わって来るが、為す術なくカビ臭い熱風に曝されているよりはマシであろうとジェクトは思った。電話口の恋人はまるで喋らなくなって、その代わりにバスルームのカーテンを引く音や、何か重たい瓶や金属質のものを置くような音、衣擦れの音など、あれこれ彼の足跡を示すような音がシャワーの水音に混じって、遠くから近くからイヤホン越しに聞こえてくる。恋人自身は「それだ」以降押し黙って一言も話さなくなったのに、何をしているのか手に取るように分かってしまって、ジェクトは少し笑い出しそうな気持ちだった。恋人は通話状態のままの携帯電話をバスルームに持ち込んだのか、ずっとシャワーの水音がしている。やがてそれも止んで辺りが静かになると、ようやく恋人は喋った。バスルームは大変快適であると告げる嬉しげな声は少し反響して、バスタブからの水音と合わせて柔らかく響いた。
    「そうかよ、そこで寝んなよ。明日は帰るだけなんか」
    「そうだな。学生の発表見て帰るだけだ」
    「直帰?帰り、何時くらいになる」
    「直帰。九時前に空港に着く便を予約してある」
    「空港どっち」
    「シティ」
    ジェクトはスコットランドに行ったことがなかった。スコットランドのチームとは所属リーグが違うため、チャンピオンズリーグにでも進まない限り対戦の機会がない。対して恋人はエディンバラの大学まで何度か出張で赴いているという。アカデミアの出張にはエクスカーションやホテルでの会食なんかが付き物なのかとジェクトは思っていたが、恋人の所属する団体では行われないという。彼は通話しながら酒でも飲んでいるのか、ちゃぷちゃぷと微かな水音に混じって、スクリューキャップを回す音や、ライターのフリントを擦る音が聞こえる。
    エディンバラはどんな所かと尋ねようとしたところで、小さめの電子音が三、四度、立て続けに聞こえ、会話が途切れた。何の音かと尋ねると、メッセージの通知であると恋人は答えた。
    「教授から。ホテル近くのパブで飲んだくれてるから、臭い部屋で蒸されてるくらいなら来いと」
    「訳わかんねえ時間に寄越すな。行くのか」
    「行かない。もう髪を乾かすのも服を着るのも面倒くさい」
    プライベートの連絡先も、今臭い部屋で蒸されていることも、「教授」は知っているんだな、とつい口走りそうになって、ジェクトは思い留まった。この恋人が迂闊である事については一旦挙げ始めればきりがない。いちいち気を揉む方がアホであるので、もう「面倒臭い」が理由であったにしろ「行かない」という選択肢を彼がとったことのみ、評価しようと思った。
    「バスタブの中で俺と飲んでる方がいいって?」
    「はは、鋭い」
    恋人はころころ笑っている。ちょっと癪であったので、ジェクトも通話状態のままキッチンに出て、飲みかけのままにしてあったテキーラを持ち出し、寝酒にする事にした。コルク栓を開ける音を聞きつけた恋人がなに、と尋ねてきたので、前の余りのサボテンのテキーラ、と答えると、すこし余しておいてくれ等と言う。悪質な発言であると思った。返答は差し置き、恋人に何を飲んでいるのかと尋ね返すと、適当な酒屋に立ち寄って買ったスコッチを決め込んでいると言うので、尚更悪質であると思った。
    「お前こそそれ全部飲むなよ。持って帰ってこい。あともう一本くらい買ってこい。俺に」
    「善処しよう。大して珍しい銘柄じゃないかもしれないけど」
    「いいから持ってこい。あとお前あれ、いつだか前買ってきた枝付きの干しブドウも買ってこい」
    「土産って言うかお使いじゃないか、それ」
    ジェクトは喋りながら、家で飲む時に恋人がたまに作ってくれる豪快な夕食を思い出していた。彼の料理は大体ボウルに全ての材料をぶちまけて調味料を加えて混ぜ、加熱が必要な場合はそのままオーブンに突っ込んで終わりという、精々三段階程度しか工程の無いものがほとんどだったが、贔屓目もあってか謎のうまさを誇る。考えていたら何だか小腹も少しすいたような気がしてジェクトは冷蔵庫を開けたが、ベイクドビーンズとナンプラーと水しか入っていなかったので諦めた。
    「なんか喋ってたら腹減ってきた」
    「食い物か……ハギスくらいなら買えそうだな」
    「何だそれ」
    「郷土料理らしい。空港で缶詰で売ってた」
    「追加で」
    「ふふ、偉そうに。まあ考えておいてやろう」
    恋人の機嫌は極めて良さそうであった。脚を組み替えでもしているのか、時折水の跳ねる音がする。明日の夜は空港対岸のDLRの駅で待って、周辺のパブでとりあえずビールを飲んでもいいけれど、ピア・ロードの桟橋から往復で出ているフェリーに車を積んで迎えに行って、そのまま押し掛けて泊まってしまってもいいとジェクトは企みはじめた。
    「荷物多くてもいいぞ。車出してやるよ」
    「いくら国内線でもそんなに積めるわけない……あ?」
    「なんだ」
    「ン、いや……」
    その一言のすぐあと、イヤホンからは少し大きめの水音と、ぺとぺとという裸足の足音が聞こえ、恋人は黙った。というよりも、また通話状態の携帯をバスタブに置きっぱなしにして、バスルームから出ていったのだろうとジェクトは思った。
    ジェクトはふと、バスタブに浸かる人魚の出てくる映画を思い出した。それは己を人と偽り続けていた人魚と人間のラブストーリーで、もう既になぜ観ようと思ったのかも、どこで誰と観たのかも思い出せないほど古く、瑣末な記憶だった。話の流れや結末もあまり覚えておらず、主人公の男に対して浅薄であるとかケツの穴が小さいだとかいう感想しか持ちえなかった事くらいしか確からしい記憶は無かった。主人公の眠った隙を狙ってバスルームに忍び込み、尾鰭を潤す人魚の気持ちよさそうな表情は何となく覚えていた。
    恋人自身は映画に出てくる可憐なブロンドの人魚とは似ても似つかぬ男である。容貌は可憐というよりは魁偉と表現した方が適切であり、欲深い人間が彼を捉えに来た所で、その日のうちに秘密裏にコマセにして真っ暗な夜の海に投げ捨てるくらいはやり遂せそうでもある。それでもジェクトは、相手がどれ程得体の知れぬ生き物だろうが愛してしまうとどうしようもない事を既に知っている。元々妻と別れてからは、ひとりでも充分生きていけるはずだった。というよりも、そのように意図的に欲しかったものと持ちえるものを取捨選択した。そうして、人並みに悩み苦しみながらようやく整えたはずの地盤を粉々に破壊されるような恋に落ちた。昨日まであったはずの足場がどんどん崩れ落ちていって、気が付くと彼の胸の中に居る。なお胸は全く柔らかくはない。デスクワーカーのくせにやたら鍛えられた筋骨隆々たる肉体に溺れ、どうでもいい小言は言う割に肝心な所は只管甘く許容してくる精神に溺れ、先が見えない。災害のような恋だった。

    水面が割れて大きく波の立つ音がイヤホンから聞こえてきて、ジェクトはバスタブに恋人が戻って来たことを察知した。恋人は嘆息するように深く呼吸をしてから、ようやく口を開いた。
    「ジェクト」
    「なんだ」
    「信じ難いが空調が直った。変な音がしたから見に行ったんだが、熱風も出てないし、臭くもなくなった」
    「そうかよ。まあ俺にかかりゃこんなもんよ」
    「何言ってんだお前。まあいい、ようやく寝れる」
    「おう、寝ろ寝ろ。俺も寝よ。じゃあ明日な」
    Yes, Good night, Jecht, と恋人ははっきり発音して、音もなく通話状態が解除された。ダイアル画面に切り替わったディスプレイを眺めて、明日の約束を取り付けた現実をジェクトは咀嚼する。己の与り知らぬところでいつの間にか空いていた穴も一つ一つ埋めればよろしいと、半端にアルコールで熔けた脳は脈絡なく考えていた。
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