お題:「初夏」「脱ぎたての服」5/1【SIDE ルーク】
床に、布らしき塊が落ちていた。洗濯物を落としたか、それにしては…と近づいて手にとった。それは見覚えのある裂目だらけのシャツ。どうしてこんなところに、ルークは脱ぎ捨てられたアーロンのシャツを拾って、シャツの持ち主を探した。バスルームをのぞいたが姿はない。リビングの窓辺に、今度はこれも見覚えのある、長い長い…どこまでも長いアーロンのデニムのパンツ。手にとると足の生地の分だけ余計に重く、これをアーロンは穿いているのかとルークは唸りながら、フと、そのデニムがまだ暖かいことに気づき、まじまじとデニムを見た。アーロンの、脱ぎたての服。その肉体に何度も触れ、アーロンの熱はもうとっくに知っているけれど、服からつたわってくる体温と云うものはまた、何か、こう、…端的に言ってしまうと、欲情する。そう自覚して、ルークはティーンエイジャーみたいな反応をする己の身体と理性の間で右往左往しながら、とある事に気が付いた。アーロンの服だけがここにあると云うことは、アーロンは今。初夏の風にカーテンがゆれている。ルークはわずかに開いていた窓を勢いよく全開にして庭へ飛びだした。
「アーロン!」
シャワーヘッドの付いた水遣り用のホースを器用に庭木の枝に引掛けて、雨のように降りそそぐ冷たい水を浴びながら初夏の太陽の下で黄金に輝く肌は水を弾いて瑞々しく、鍛え抜かれた筋肉のうえを峰に流れる河のように水が流れてゆく。濡れた赤銅色の髪から一滴々、滴りこぼれおちる雫は金剛石のよう。木漏れ陽のカーテンの向こうで一匹の獣が手も足も、その肢体のすべてをさらけだして水と戯れていた。
「…いつの間に我家の庭にギリシア彫刻のブロンズ像が…?!」
「てめえの語彙センスはどこから来るんだよ」
誇張ではなく、ほんとうにこのまま美術館に飾ってあっても何の違和感もないのだが、そう思いながらルークはアーロンが下着を付けていることに安堵したが、どうにも真直ぐアーロンを見ることが出来ない。そうだ、下着を付けていればいいというものではないのだ。
「…アーロン、何してるんだ?」
「暑いから水浴びてんだよ」
「バスルームがあるだろう」
「こっちのほうが気持ちいいだろうが」
青く晴れわたる空を仰げば太陽は眩しく、緑さす樹々、木漏れ陽のなか芝生を踏むと蹠からは生まれたばかりの夏の匂いがした。
「ハスマリーではよくこうやって水浴びしてたんだよ、バスルームなんてなかったからな、…今日の太陽は、ハスマリーの太陽に似ている」
厳しくも美しい、ハスマリーの太陽は此処よりもっと輝いているのだろう。そこには大切な人々や、護ってきたものすべてがある。ハスマリーを想うアーロンの瞳は此処ではない何処か遠くを見ているようで、それは遥かなる故郷を想う迷子の獣に似ている。
「……、わ!何するんだアーロン、」
いきなり冷たい水の襲撃にあったルークは思わず飛びあがってしまった。ルークに向けられたシャワーヘッドからは容赦なく水が攻めてくる。
「てめえも脱げ」
「え、それは…、」
「…てめえ、すけべなこと考えてるな」
ルークはぶんぶんと首を横に思いきりふって否定をしたが、下心なんかすべてお見通しとばかりにアーロンは笑う。
「あとでベッドの上で好きなようにさせてやるから今は付き合えや、オラッ」
さらに強くなった水がルークの顔面を直撃した。もう顔も、服もびしょ濡れで、いくら夏はもうすぐそこまでやって来ているとはいえ、水は冷たく水遊びにはまだ早い。けれど、刺激的な恋人の、刺激的な言葉にどうしようもなく熱くなってしまった身体にはその冷たさが丁度良く、二人は初夏の庭で日が暮れるまで子供のようにはしゃいでいた。
【SIDE アーロン】
二徹して帰宅したルークはリビングのソファにそのまま倒れ込んだ。服を脱ごうとして、ネクタイに手をかけたままの姿勢で気絶したように眠っている。アーロンはルークの顔を覗き込み、息をしていることを確かめるとネクタイにかかった手の指を一本づつ、そっと、はずしてゆく。そうしてゆっくりとネクタイを解き、シャツの釦を三つ、はずした。ソファはルークひとりがじゅうぶん横になれるほどの大きさだったが、いきなり倒れ込んだためにルークの足は変なカタチでソファからはみ出している。アーロンはルークの足をソファの上でまっすぐに揃えた。うつ伏せの体勢を楽に呼吸のできる仰向けに整えて、寝室から持ってきた毛布を掛ける。アーロンはルークの額にかかる髪を退けて、閉じた瞼のうえをそっと撫でた。部屋の入口に、布の塊が落ちている。ルークが掛け損ない、床に落ちたコートだ。アーロンはコートを拾った。ルークがいつも着用している父親から譲り受けたコート。このコートに思うところがなかったわけではない。だが、もうとうに過ぎた昔のことだと、アーロンは理解していたし、手にとってみても、もはや何も感じない。もう、このコートからはルークの匂いしかしない。アーロンはベッドの上で抱きしめられたときのルークの身体の匂いを思いだし、反応してしまう自分の肉体をいまいましく思いながらも、抗うことは出来なかった。ルークの脱ぎたての服を抱きしめているだけで抱かれたときのことを思いだしてしまう。生まれたばかりの仔犬のような顔をしてぐっすりと眠るルークの傍らで自分が今どんな顔をしているか、想像もしたくないと思いながら、ルークのコートに、身体を強くすりつける。
「…俺の匂いにしてやる」
昼も夜も、忘れられないくらい俺の匂いのなかで、過ごせばいい。過去も、想いでも、すべて、俺だけで満たして欲しい。
あさましいな、
あまりにも貪欲で、身勝手な願いだとわかっていても、もう、この欲望をとめることはできない。
真夜中に薫る緑の深きにむせかえる萌えいずる春すぎて夏へと緑は盛りその枝を蔓を貪欲に伸ばし限りを知らず足ることも知らず太陽を求める。まだ初夏の頃、既に欲望はしげれる緑の如くその身の内で燃えていた。その欲望はもう、失えることはない。