そうしてまた「あるじさま…こ、こっちですよ…」
「主君!早く来てくださーい!」
「待って…!五虎退も秋田も早いよ…」
楽しそうに笑いながら先を行く二振りを追いかける。今日は、五虎退と秋田に誘われて散歩へやってきた。目の前で笑う二振りに、どこか安堵している自分がいる。
その理由というのも、遠征で隊からはぐれ、帰りそびれた五虎退と秋田を探し回ったのが半年以上前のこと。ずっと見つからずに一週間、一月、半年と時が経ち、諦めかけた時に彼等は帰ってきた。本丸の、扉の前に。一期一振をはじめ、私も粟田口の兄弟も集まっては、いくつか怪我はあるけれど、皆無事な彼らに安堵し、帰還を喜んだ。二振りは、焦点がどこかぼんやりとしていて、“私が粟田口のみんなに贈った藤のブローチを無くしてしまった”と、それだけを呟いていた。どこか不思議な感じはしたけれど、私はそんなことより二振りがこうして帰ってきてくれたことが、何よりも嬉しかった。それに、帰ってきた当初の反応は、おそらく疲れからだったのだろう。日が経つにつれ、以前のように庭を駆け、遊び、鍛錬に励み、どんどん元気になっていった。
そんな彼等が、今日“共に散歩へ行きたい”と言ったのだ。この二振りが頑張っていたことを知っているだけに、誰が叶えずにいられようか。直様承諾し、動きやすい服装に白の羽織を羽織って、歩き始めたのが半刻前。
「あ!あっちに珍しい虫がいますよ!主君!」
「こっちにも…お花が咲いてますよ、あるじさま」
「二人共…元気だね…!」
目の前をあっちへ行き、こっちへ行き。様々なものを見つけては、声をかけてくれる。それに、半刻も歩いているというのにこの元気さ。これが審神者と刀剣男士との違いか。いや、そもそも私の体力が無かっただけかもしれない。
最初は平坦だった道も、今は山に入っていて、本丸の敷地にこんな山があったのかと自分でも驚いている。なにせ、就任してからというもの、本丸内部を主として自らの動き回る範囲は決まっているのだ。山があるなど、全くもって知らなかった。
「…それにしても、まだ登っていくの?」
「きっと頂上からの景色はスゴいですよ!」
「綺麗…だと思います」
どんどんと登っていく二振りに、どうにか付いていく。本丸の敷地内にある山だからだろうか。整備されているような登山道とは違い、歩いて行く道には踏み跡しかなく、そこをどうにか登って行く為、脚にかかる負担がもう一つ大きく感じる。身体はどうやら休みが必要なようで、疲労が重く伸し掛る気がした。
「も…ダメ…。待って、休憩させて…!」
「あるじさま、休憩…ですか?」
「うん…ちょっと、座りた…」
「じゃあ、ここまでですね!主君」
「え?」
“どういうこと?”
その疑問が言葉になることはなかった。何が起こったのかはわからない。けれど、薄れていく意識の中で見えた二振りの笑顔は、寒気がする程不気味だった。
暗く沈んだ意識が、ゆっくりと浮上するのを感じる。けれど、まだ瞼が重く、開くことが出来ないこともあり、自分がどのような状況下にいるのかはわからない。聞こえてくるのは、チリンと鳴る鈴の音と何かがパチパチと軽く弾ける音。パチパチと鳴っているのは…火、だろうか。鈴の音も、もしかしたら何かがいるのかもしれない。聴覚で周囲を伺っている間に、ようやく瞼に力が入って来た。ゆっくりと力を入れ、うっすら目を開ける。まだはっきりと見えない視界に映ったのは茶色。おそらく天井だろう。そこに一部、白が割り込んできた。
「お、起きたかい?」
「………つ……る……?」
聞こえてきた聞き覚えのある声に、問おうとした私の声は酷く掠れていた。どれほどの時を眠っていたのだろうか。幾度か瞬きを繰り返し、だんだんと鮮明になってきた視界に映ったのは、想像した通り鶴丸国永だった。視界にしっかりと自分が映ったことがわかったのだろう。身体を起こされ、水を手渡されたが、何故だか飲む気にはなれなかった。
「ど…して、つる…が…?」
「あぁ。この二振りが君を連れてきたんだ」
横を向けば、少し離れたところに五虎退と秋田がきちんと正座をして座っていた。けれど、表情は抜け落ちたかのようにどこにもない。
「五虎退?秋田?何があったの…⁉」
「ここは、俺達のようなものが隠れ家にしている場所だ」
「俺達…?」
「なぁ、君。俺達とここで一緒に過ごさないか?」
「…え?」
“俺達”とは、本丸からはぐれた刀…ということだろうか。五虎退や秋田も、ついこの間までそうだったのだ。そうだと思えば、わかる気がするけれど…表情のない二振りや鶴丸を見ていると、何故だろうか。どこか付き纏う違和感が、どうしても拭えない。それに、私には自分の本丸がある。断ろうと思いながら、差し出してくれていた鶴丸の手を見ていたとき、違和感を覚えたものが何だったのかに気付いた。鶴丸が戦装束の時にいつも付けている手袋。彼が今付けているものは…それは…
“三日月宗近の物ではなかったか?”
それに気付くも、急な動きを見せれば不審に思われるかもしれない。慌てず、徐々に視線を上げる。顔や、服装に関しては、鶴丸国永に違いない。けれど手袋は、右手は三日月なのに左手は…紋から安定の物だろう。左手から除く指先に塗られた青色は、松井がこの色だったはずだ。首元の飾りは金色の鎖ではなく、黒地のチョーカーに鈴。確か、南泉…がこれを付けていたと思う。火の音と共に聞こえていた鈴はこれだったのか。
あまりに探る視線を露にしすぎたのだろうか。それとも、鶴丸の勘が良いのか。クツクツと笑う鶴丸の笑顔に、温度などまるでなく。背筋に冷や汗が流れるのを感じた。
「鶴丸国永とは違う、と言いたげだな」
「…えぇ。あなたは鶴丸国永ではない。何でそんなに色んなの刀の物を…」
「それは…こういうことだからさ」
思わず叫びそうになるのを、既のところで耐える。どろりと溶けた鶴丸の顔の奥には、刀の破片や、服の破片、そして戦いのときに流れたであろう血など、刀剣男士の一部と呼ばれるものがそこにあった。顔が元に戻るも、目の前のそれは鶴丸といった認識ではなく、妖怪の類になってしまったが。未知のものが目の前にいる現実に、身体がカタカタと震えて止まらない。
「そんなに…破片や物を集めて何を…」
「俺達は、元々姿も形もない妖怪だったのさ。それがこの辺りでは戦いが活発でね。こうした欠片が至るところにあった。…この姿の奴らは付喪神だろう?集めれば集めるだけ、自らの力になる上に姿も変えられる。理解出来ることも増えた」
戦いの最中に破片となってしまったものを集めた姿が、目の前のものだと言うならば。つまりは、私達が…戦う中で作ってしまった産物なのではないのか…?
「そして姿だけでなく、記憶も増えた…」
「姿…?記憶…?」
「そうだ。今、この姿なのは俺が取り込んだ欠片に“鶴丸国永”が多いからに過ぎない。そして取り込んだ欠片の数だけ、記憶が俺の中にある」
「…物に宿った記憶を取り込んでるって言うの?」
「そういうことだ。だが、どの欠片も“主”や“仲間”のことばかりでな。…特に“主”に関しては、気持ちが強すぎて落ち着かない」
物に記憶が宿るというのは、私が一番実感していることではないか。刀剣男士達に元の主や戦火の記憶があるということは、彼等が刀として過ごしていた時がそうなのだから。
「だから、主を据えれば多少気持ちが落ち着くかと思ったんだが…。どうだい?君なら、やってくれるだろう?」
「…何で、“私なら”なの?他にも審神者はたくさんいるのに…」
「ここ二振りが、一番会いたかったのが君だからさ」
「……え?」
目の前のものが指差した先を見れば、五虎退と秋田。さっき、鶴丸なものが“俺達は姿も形もない妖怪だった”と言った。そして“記憶を取り込む”と言った。この二振りが、会いたかったのが“私”だと言うならば…。
「まさか…」
「お前達も見せてやると良い。この二振りは俺と違って、取り込んでいるのが“それ”だけだからな。その刀と言っても良いが…所詮は俺と同じだ」
先程見たのと同じように、秋田と五虎退の顔がどろりと溶ける。それぞれの中に見たのは、短刀と藤のブローチ。あの日、本丸へ帰ってきたのは、私の秋田と五虎退であってそうではなかった。私達が、彼等を見つけることが出来なかったばかりに…取り込まれてしまったのか。込み上げてくる思いと涙に、気付けば二振りへとふらつきながら近寄っていた。
「……えして。返してよ…私の秋田と五虎退を…返してぇ…っ」
「じゃあ、君は主には…」
「ならないなるわけない二振りを連れて私は…」
「そうか、残念だ。…おい」
妖怪の中の二振りに手を伸ばし、触れられた。ようやく二人を…
そう思った時には周りは真っ暗で。意識が朦朧としていく中、秋田と五虎退が“ごめんなさい…ごめんなさい…”と泣いているのに、慰めて抱きしめてあげられないことだけが、心残りだった。
「君も、俺達を受け入れてはくれなかったな。…まぁ、もう聞こえないだろうが」
そこに人はもうおらず。破れた白の羽織だけが残っていた。
ある本丸の前に、人が立っている。その人はぼんやりと入口を眺めるだけだった。中にいた刀達がその人に気付き、駆け寄ってくる。
「主一月もどこ行ってたの⁉」
「みんな心配していたんだよ。怪我はしていないかい?」
「疲れただろう?湯浴みをするといい。用意しよう」
「…うん、ありがとう。みんな」
そうして、“主”と呼ばれた人は微笑みを浮かべて中へと入っていく。皆、安堵から、違和感に気付く者はこの時誰もいなかった。