高い天井まで届きそうなほど、所狭しと本が詰まった棚が壁を覆っている。もしかして本が緩衝材の役割を果たしていてこんなに静かなのかな。誰の話し声もしないシンと静かな図書館の中は、ページを捲る音とペンが紙を擦る音ばかりで、時々椅子が引かれるとびっくりするくらいにその音が響く。時計の針の音すら聞こえそうなくらいの静寂の中に視線を走らせ、俺は探していた人を見つけ出した。
大きな机には本を何冊も重ねた人たちが間隔を空けて数人座っていた。彼の周りは前後左右ぐるりと席が空いており、俺はそのうちのひとつ、ちょうど中途半端に引かれて動かさずに座ることができそうだった彼の向かい側の椅子に腰掛け、通りがけに適当に手に取った本を開いた。数秒文字を目で追って、すぐに視線を上げる。
横の髪を耳にかけ、それでも落ちてくる短い髪を手で押さえるようにして頬杖をつきながら彼は夢中で本を読んでいた。まつ毛がまばたきで揺れる間隔はいつもよりとても長い。目が乾いちゃいそう、と思ったところで、彼がいつも本を読んだ後には目薬をさしていたのを思い出す。それだけ本の世界に夢中になっているのが可愛らしく、ちょっとだけ妬ける。目の前に俺がいるのに、全然気がついてくれないじゃん。
本を読み続ける彼を盗み見、俺も時々本に目を落として静かな時間を過ごした。本当はすぐに声をかけてカフェでも行こうって、そう言うためにお迎えに来たのにな。集中している彼を見たらその考えはどこかにいってしまった。好きなことを好きなようにできる時間は貴重だ。邪魔をしたくなかった。
十分くらい経ったところで、俺は適当に取ったものじゃなく本当に読みたい本を探してこようと思って席を立った。その拍子に足がぶつかって椅子が音を立ててしまい、わっと思った時には彼が顔を上げてしまった。目の前にいる俺を見て目をまんまるくした彼は口を開きかけたところで誰も話したりしていない図書館だということを思い出したようで、手元に転がっていたペンを手に取りメモ用紙にサラサラと筆を走らせる。俺は再び席に着いてもう遠慮することなく彼をじっと見つめた。
すっと滑らせるように渡されたメモ用紙には「なんでここにいるんだ?」なんて、少し考えれば分かりそうな質問が書かれている。声を漏らさないように息だけで笑い、俺は彼に手を差し出した。一瞬首を傾げた彼はすぐに俺の意図に気がついてペンを俺の手に渡してくれた。
「ふーふーちゃんのこと迎えに来たんだよ」
質問の答えを書いて紙とペンを彼に返す。彼は俺の字を見た後、またペンを持った。その顔は本を読んでいた時より、楽しそうだ。
「いつからいたんだ? 全然気が付かなかった」
「さっききたばっかり。集中してるふーふーちゃん可愛かった」
「声をかけてくれ」
「いつ気がついてくれるかなって」
「浮奇も本を読んでたのか?」
「ちょっとだけ」
彼の読んでいた本はまだ半分も進んでいない。それに横にはきっと読みたいんであろう本が数冊積まれている。学生のようにコソコソとメモ用紙でやり取りをするのは楽しいけれど、ふーふーちゃんの邪魔しちゃ悪いかな。
何を書こうか考えているらしい彼にちょんちょんと指先でお願いして、メモ用紙とペンを渡してもらう。「一緒に帰ろう」も「カフェに行かない?」も、今は違う気がした。
「俺は先帰ってるから、ふーふーちゃんは」
書いている途中で俺が書こうとしていることに気がついたのだろう。身を乗り出してペンを押さえた彼は小さく首を振り、読み途中だった本をパタリと閉じてしまった。そのまま積んであった本と重ねて持ち上げ、席を立つ。
驚いている俺のところまでわざわざ机を回ってやってきて、ふーふーちゃんは耳元で「一緒に帰ろう」と囁いた。一瞬で図書館の中のどんな音よりも俺の心臓が騒がしくなる。
本を返す彼のあとをついて行き、静かな図書館から外に出た途端、俺はふーふーちゃんのことをぎゅっと抱きしめた。くすくす笑う彼は優しく俺の頭を撫でてくれた。
「待たせたな。付き合ってくれてありがとう」
「ううん、俺がそうしたかっただけ。せっかく本読んでたのに邪魔しちゃってごめんね」
「邪魔なんかじゃないよ。本を読むことも好きだけど、浮奇と一緒にいるほうが好きだ」
「えへへ……。図書館来るの久しぶりでちょっと緊張した」
「そうか? 静かで落ち着くと思うけど……」
「目の前にふーふーちゃんがいるのに声が聞こえなかったからかな。喋るの得意じゃないけど、喋っちゃダメなのも苦手なのかも」
「たしかに、浮奇といるのに浮奇と話せないのは寂しかった」
「うそ、楽しそうに見えたんだけど?」
「ふ、ああやって文字でやり取りする機会はないだろ。ちょっと楽しかった」
「……まあ、うん、俺もちょっと楽しかった」
「だろ? よし、せっかくだし寄り道して帰るか。カフェ? それともアイスでも買って食べながら帰る?」
「ん〜、……カフェ! 本当はカフェ行こうって誘いに来たんだよ」
「そうなのか? ……先に帰ろうとしたくせに」
「だって本当に邪魔したくなかったんだもん」
「誘ってくれよ。嬉しいから」
「……んふふ、うん、次からちゃんと誘ってあげる」
手を繋いで話をしながら太陽が眩しい道を歩いて行く。静かで涼しくて時が止まったような図書館はふーふーちゃんには落ち着くかもしれないけど、俺はやっぱり二人で一緒にくだらない話をしてお腹が痛くなるくらいに笑いたい。本の世界よりもっと夢中にさせてあげるから、ずっと俺のことを考えていて。