【mafiyami】スモールワールドの扉「さっき校舎裏でヤミノが告白されてたのみちゃった」
ザワザワとした教室の空気に、針が一本ぷすりと刺さった。入口から気色ばんで飛び込んできたクラスメイトは、少し大きな声でそういった。くっきりとした音だった。オレの耳に、聞かせるような声だった。と思わせるくらい、鮮明だった。
「また? ヤミノってモテるねえ」
「美人だもの」
「でもしゃべると変? じゃない?」
「ギャップじゃん。綺麗で近寄り難いと思ってたけど気さくで明るいから」
さわさわと、さざなみみたいにオレへと近づいてくる他人から見えるシュウの情報に、どうしてか緊張して、生唾を飲んだ。ヤミノシュウは、オレの親友で、誰に紹介しても自慢できる最高のヤツ。多数に流されない芯があって、他人と違うことにも何処吹く風。綺麗な黒い髪と、ミステリアスな深い紫の目をした、澄まし顔の美人。だけど、気さくで豪快に笑うただのオレと同い年の男。物静かで、快活で、うつくしくて、少しだけズレている。振り幅だけなら多分、学校一だろうって思えるくらい、魅力のある人間。ヤミノシュウは、そんなヤツ。家が近所で、小さいころからだいたい一緒だった。高校も、理数科を選んだ結果同じ。ただオレはスポーツ推薦も相まって、シュウとは同じクラスにはならない運命だった。まあ四六時中一緒にいたいわけじゃなかったし。と思って過ごした二年。この間に、「他人から与えられるシュウの情報」に胸をモヤモヤとさせていて、ひとり気まずさを育てている。ほとんど知ってるシュウのこと。耳にするのも大抵は知ってること。特別新しいことなんてないはずなのに、どうしてか初めて聞くような感覚になって、何度首を傾げただろう。
シュウはモテる。それは小さいころからだ。変わってないなと思えることが、途端知らないものに変わるような、気持ち悪さがあった。告白されてもシュウは断る。その理由だって「興味がないから」だと分かっているのにもし違ったら。なんて良からぬ思考が働き出してざわざわとする。なんでも知ってるつもりだった。いつからだろう。こう、過去のように置き去りになってるオレのモヤモヤが住み着いたのは。
聞き耳を立てて、シュウがちゃんと断ったか。それだけを知りたかった。
「相変わらず答えはノーだったらしいけど、告白したやつ、なんと男だったんだよ」
ドクン、と心臓が器官を押し上げてむせそうになった。オトコ。つまり同性。それは、初めてだった。
「マジで? 確かにヤミノくん美人だけどさ」
「同性にもモテるってどんな感じなんだろ」
「俺は無理」
「でもヤミノならなんも気にしなさそう」
一気にざわついた教室の空気に、オレは広がる気持ち悪さがバレないように聞いてないふりをした。好き勝手に並べられるシュウのイメージと、「同性」と恋人はアリかナシかで盛り上がる雰囲気に、居心地の悪さを感じてしまったから。女の子だって、男子だって、シュウが断ったことに変わりはないって言い聞かせるのに必死だった。放課後まで、頭の中で、校舎裏に呼び出されて告白されるシュウを想像し続けた。これは、なんなんだろう。誰かのものになるシュウを、想像したくないと、思ってしまう、必死なコレは。授業なんて一ミリだって頭に残らなかった。
□
「シュウさ、今日も告白されたって本当?」
放課後のチャイムと同時に駆け抜けて、シュウの教室を覗いた。浮ついた空気はなくて、シュウはただ静かに下校の準備をしていた。入口から声をかけると、顔を上げてゆるく笑って席を立った。「お待たせ」ってオレの肩を叩いて前を歩き出したシュウを、いつも通り追いかけて、校舎から一歩でた瞬間に言葉がとび出てた。気になって、気になって仕方なかった。校舎を抜けると隣に並び直すシュウが、オレを窺うように小首を傾げて瞬いてる。
「うん。珍しいこともないじゃん」
結果も知ってるでしょ? っていつも通りのシュウが答えて、でもいつもと違っただろ? そう、聞きたい気持ちが抑えられなかった。
「男に告白されたって聞いたからさ、どうだったのかなってさ、ほら、同性? だし、シュウは、そういうの気にしない?」
纏まらない言葉を拾い集めて、ゆったりとした歩調のシュウが、少しだけ足を止めて、オレはそれを振り返った。双眸を伏すとよく分かる長い睫毛が、シュウの紫を隠して何を考えているのかも、分からなくしてしまう。小さく息を吐いて、肩を竦めたシュウが一歩、足を出してまた隣に並んだ。同じ速度、違う歩幅。今は何だかもどかしかった。ばちりと視線が噛み合って、ゆら、と泳いだのはオレのほうだった。何を聞いてるんだろう。って気持ちが追いつかないままに口から出て、自分で上手く飲み込めてなかった。それに、シュウは気づいてる。だから仕方ないなって肩を竦めて、薄く笑うんだ。
「意外だった。ルカってそういうの、気にするんだね」
「え?」
「僕はさ、関係ないと思えるタイプなんだ。だから、そうだな……キミの質問に答えるなら、気にならないよ。かな」
シュウが半歩後ろを歩いていたことに気づくころには、家に帰りつく一歩手前まで来てしまっていた。多分、オレは間違ったんだろうな。そう、理解した。
「じゃあまた明日」
「あ、うん。また明日、シュウ」
ほんの数メートル学校に近いシュウが、いつも通りオレに手を振って、何でもなかったようにドアの向こうに消えた。たったそれだけの当たり前が、酷く寂しく思えて、オレはしばらくその場にぼんやりと、シュウの背筋のいいしゃなりとした後ろ姿の残像を眺めていた。多分、明日だって明後日だって、オレたちは変わらずに、待ち合わせもしてないのに同じタイミングで玄関を開けて「おはよう」って、家族以外で一番最初に挨拶をして。登校して、勉強して、昼ごはんを食べて。それで時々、お互いに知らない誰かに告白をされたり、知らなかった出来事を他人から聞かされたりして、一緒に帰る。「また明日」って。それが、こわれることなんて考えてもみなかったのに、どうしてか、オレは今日初めて考えてしまった。シュウが、いつもとは違って、男に告白されたこと。それをシュウは嫌悪しなかったこと。今まで押し込めてひた隠して分からないふりをしてきた、腹の奥底に詰め込んだナニカが、息を吹き返した気がした。
女の子なら仕方ない。って、どこか遠くのほうで思ってた。当たり前だから。男女で好き合うのは当たり前。だからシュウが女の子と付き合い初めて、将来結婚しても、平気だと、思うようにしていた。でも男同士なら話は別だ。それは当たり前じゃない。少数派で、肩身が狭い。だから。
だから、いっちゃだめだと決めつけた。
オレはシュウが好きだった。当たり前のように、過去から未来までずっと一緒にいたいと思うほど、シュウが好きだ。きっと、シュウもそうだとどこか当然のように考えているオレがいて、おかしくなって笑ってしまった。欠かせない、オレの一部。他人になんか、あげたくないと、そう思い続けている。簡単だった。ただ、拒絶されたくないから、口にできなかっただけ。傷つきたくなかっただけだった。
□
翌日。人気の少ない校舎裏に、シュウを呼び出した。手紙も伝言も必要としない。連絡ツールに一言「校舎裏」。って送信しただけ。それだけで、シュウは必ずやってくる。他でもない、オレの言葉だから。渡り廊下を抜けるシュウが視界に入って、湿気た空気がじわりと半袖にまとわりついた。授業の合間の喧騒が、今ばかりは遠くに聞こえる。シュウはまだ長袖のシャツを折るだけで、蒸し暑さも何処吹く風なくらい、涼しげに見える。長い襟足が、首筋に張り付いているのに気づかなければ。
「ルカ」
「シュウ」
片手を上げあって、校舎の壁に並んで凭れた。
「どうしたの、呼び出しなんてはじめてじゃない?」
「うん。やってみたかったんだ。こうして誰かを校舎裏に呼び出すの」
「不良の真似後?」
真面目なルカが? って、シュウが肩を揺らして可笑しそうに笑っている。それが、やけに眩しくて、自覚って凄いなと内心肩を竦めた。
「違うよ、そっちじゃない!」
「じゃあ、どっち?」
瞬いて、首を傾げたシュウの襟足がたらりと落ちた。張り付いた髪に、自然と腕が伸びて、無防備な首筋を飾る濃い紫に触ってた。滑らかな感触に、びたりとシュウが固まって、ちらっと覗く項が赤くなっていくのをじ、と凝視してしまった。
「ル、ルカ?」
「オレさ、シュウが好きなんだよね、ずっと」
ぬる、と湿った首筋を撫でて襟足を払いながら、なんてことないように、さっきまで緊張していた気持ちが凪いでいた。オレが触っていた首筋を擦って、シュウが視線を泳がせていた。珍しく、余裕のない顔をしていて気分が上がっていく。顔を上げたシュウがオレを見て、顔を顰めたから多分、ニヤついてるんだと思った。
「ルカって、ズルいよねえ」
肩を竦めて息を吐いたシュウが、困ったように眉根を下げてわらうときは、観念したときと相場は決まってる。
「僕もさ、ルカが好きなんだよね」
だけどさ、昨日まで、お互いいう気はなかったよね? ってシュウが綺麗に四つ折りされたハンドタオルで項を拭ってくしゃりと笑った。
「知ってたんだ、」
「ルカのことならなんだって」
「オレもいってみたいよソレ」
「んはは」
からからと、ジメジメとした空気を乾かすようにシュウが笑って、オレは情けない声を出して恨めしくシュウを見てしまった。
「ルカはそこがいいんだよ。だからそのままでいてよ」
「ええ? でもなんか、格好悪いじゃん」
それでもシュウは変わらないでってからかうように繰り返しながら情けなく丸まった背中を撫でる。その手のひらの優しさに、体がじわじわと熱を持って、心臓が息づいたようにドクドクと鳴る。それが、多分シュウにバレてて、背中に触れてる手のひらが、笑ってるのを隠さずに震えてるのがわかった。
「ホントのこというとさ、ルカが好きだって気づいたとき、ショックだったんだよね」
「え?」
「んはは。ルカ顔真っ青」
気の抜けた笑い声に「笑いごとじゃないよ!」と返すとシュウは柔らかく笑って、
「だって、友だちじゃなくなる、って想像が出来なくて。一緒にいられなくなるんじゃないかなって、さ……でも今は、もうショックじゃないよ」
ちょうど差した雲間からの光芒が、シュウを照らして、眩しさに目を細めた隙に、シュウがオレの肩に腕を添えて、頬に柔らかい感触がした。湿った音がして、耳元で小さな笑い声がして、オレはぞわ、ぶわりと熱が駆け上がっていくのがわかった。
「んはは、真っ赤」
校舎から黄色い悲鳴が上がって、上を見上げると窓から身を乗り出したクラスメイトがケイタイを握りしめていて、シュウは呑気にブイサインを見せていた。