嗅ぎなれた華やかな優しい香りを纏わせ、ルカの脚の間に座り背中を預ける恋人。乾かされたばかりのさらさらの髪が、ルームウェアから露出しているルカのデコルテにふわりと当たった。手触りを思い出して指を通すと、覚えている感触と違うものだった。
「あれ、」
シャワールームに並べられているシャンプーはいつもと同じものだったけど、入るときに新しく別の物を出したのかな。でも香りは変わっていない。
「シュウ、シャンプー変えた?」
「んーん、変えてないよ。なんで?」
シュウはこちらに体重を預けたまま、ゲームをしているスマホから目線を逸らさない。
「なんか触り心地がいつもと違うから…何でかなって」
「えー?……あっ、」
身体から体温が離れる。シュウは華やかな香りを振りまいてこちらを向いた。
「ヘアオイル切れたから、それかも!今日何もつけてないんだよね」
「ヘアオイル?つけてたの?」
「うん、前にプレゼントで貰ったやつ。無香料のだったから好きだったんだ〜」
そう言うとまたシュウの体温が戻ってくる。知らなかった。ヘアオイルのことも、プレゼントのことも。シュウの好みを把握している誰かのおかけで、毎晩シュウの髪を堪能していということか。
「…そっか、香りがついてるのは嫌いなの?」
「ううん、嫌いじゃないけど、今使ってるシャンプーの匂い好きだからそれ消したくなかったんだよね」
「そうなんだ、」
ルカは片手でシュウの髪を指先で感じながら、もう片方の手でスマホを操作する。検索ワードは、ルカが初めて入力する言葉だった。
「シュウ!ただいま!」
「おかえり、ルカ」
ショッピングから帰宅したルカは一直線にシュウのもとへと向かう。紙袋を、心地良い軽い音を立てながら開封していく。ルカは中身を取り出すと、シュウへと差し出した。
「?…これ何?」
「ヘアオイル!切れたって言ってたから、新しいの買ってきたんだ!」
シュウに教えてもらった物とは違う、蜂蜜色のオイルが入った瓶。キャップの部分には瓶の中に沈むようにガラスのスポイトが付いている。シュウはお礼を言って受け取ると嬉しそうに瓶を眺めていた。
「それね、香りつきなんだ!嗅いでみて!」
シュウの指先がキャップを回して瓶を開ける。スポイトを引き抜いてガラスについているオイルへと顔を近づけると少し驚いて、甘い表情を見せた。
「…甘くていい匂い、バニラかな?…僕の好きな匂いだ」
「…これ、シャンプーの香り消しちゃわないから、安心してね」
「そうなの?」
不思議そうにルカに聞きながら、またヘアオイルの匂いを嗅ぐ。数回嗅ぐと満足したのかキャップを閉めて、使うの楽しみ、と今まで置いてあったらしいヘアオイル置き場へとシュウは仕舞いに行った。
がちゃり、と扉を開閉する音が聞こえて暫くすると、ぺちぺちとした音がルカの耳に入った。きっとスキンケアをしているのだろう。音が止むとバスルームの扉を開けて、まだ濡れている髪のシュウを見つける。スキンケアの為に前髪が後ろへ流されていて、まるくて可愛い額が晒されていた。
「ルカ、どうかした?」
スキンケアで濡れたまつ毛がこちらを向く。ハグがしたくなって腕を広げると、シュウは近寄ってきて背中に腕をまわしてきた。
「…寂しくなっちゃったの?」
「…うん、だからシュウの髪、俺が乾かしていい?」
「んはは、なにそれ!」
腕が離れると笑いながらも、スキンケア用品を片付けてドライヤーのコンセントを差し込む。お願いします、と言葉と共にルカにドライヤーが差しだされた。
ドライヤーのモーター音を聞きながら、シュウの背後に立つ。ルカは指先で髪をわしゃわしゃと跳ねさせて温風を当てていく。人の髪を乾かすのは初めてで上手くできているか分からない。上手くできるようになるといいなと思いながら鏡を見ると鏡越しにシュウと目が合う。シュウはふわりと微笑んでくれた。
まだ髪は乾いていないが、ルカはドライヤーの電源を切ってモーター音のしない、シュウの声が聞き取れる状況でシュウに話しかける。
「シュウ、ヘアオイルどこに置いてるの?」
「ん、ここだよ」
シュウは小さな棚の扉を開ける。そこにルカの贈った瓶が置かれていた。俺がやっていい?と聞くと、もちろん!と返され、ルカはヘアオイルのキャップに手をかけた。スポイトで瓶の中の蜂蜜色を吸い上げて掌に三滴垂らすと、バニラのフレーバーが鼻を掠めた。掌全体に塗り広げると毛先を中心に、そして髪の長さの半分ほどまで馴染ませる。ドライヤーを手に取ると、最後の仕上げで髪をしっかりと乾かした。
「完成〜!どう?」
「すごい、さらさらになったね。ありがとう、上手だったよ」
シュウが毛先を持って香りを嗅ぐ仕草を見せる。視線をあげたシュウと、鏡越しに視線が交わった。
「花、」
「ん?」
「花の蜜みたいな、シャンプーの香りと混ざって甘い花の蜜みたいな匂いになった!」
華やかなシャンプーの香りと、バニラの香り。ルカはシュウの好みの香りになるよう探してきたのだ。シュウの喜んでる顔を見れて、ルカは口元が緩んだ。匂いに夢中になっているシュウを鏡越しに眺めながらまるい頭を撫でるように指を通して手触りを楽しんでいると、少し俯いた頭が髪を動かして項がちらりと見えた。手でさらさらの髪を避けて項をそっと撫でると、ルカはそこに唇を寄せる。肌にも少し甘い匂いが移っていて、シュウの肌が甘いような気がしてぺろりと舐める。
「…ルカ、」
鏡越しに見えるシュウの頬は僅かに赤い。そのまま見つめていると振り返って、黙ったまま何か言いたげに見つめ返される。
「…寂しくなっちゃった?」
頬が染まるのを隠すようにルカの身体に額をくっつけてきた。頭を撫でてシュウが顔を上げるのを待つ。無理に引き剥がすような真似はしない。シュウからくっついてくるのは、甘えている証拠だと知っているのだから。