幼馴染セフレシリーズ ドライブ編 絶好のドライブ日和である。
先達て運転免許証を取得した小芭内は、レンタカーで都外に出ていた。
助手席にはもちろん杏寿郎を乗せている。
無事第一志望大学への合格を果たした彼は、本日四月一日より晴れて小芭内の同窓生となった。
遠出を決めたのは、近頃どこか元気がないように見える彼のためだ。
杏寿郎はいつもどおりを装っているが、長らく共に過ごしてきた杏寿郎ソムリエたる小芭内には違いがわかる。常の笑顔に、時折憂いが滲むのだ。それはそれでカッコいいというかキュンキュンくるのだが、杏寿郎にはやはり曇りなく笑っていてほしい。
交友関係の狭い小芭内とは違って、杏寿郎の世界は広い。悩みの原因は小芭内とは比べ物にならないほど存在するだろう。ただ杏寿郎はそれを誰にも開示しない。個人で解決できることならば、一人で消化してしまう。
強き者は弱き者のために。
彼の根幹を成す信念は、強き者たる自身の荷を他に背負わせることを良しとしない。
その性質を知ればこそ、小芭内にできることは限られている。
荷を預けてもらえないなら、彼がその荷を軽々と持ちあげられるように。そう、彼がベストパフォーマンスを発揮できる環境をこの手で整えるのだ。
とりあえず今回は、リフレッシュしてもらうため雄大な海の景色と港の採れたて魚介類を用意することにした。
本来ならその後温泉宿で宿泊なりとすれば更なる回復が見込めるのだろうが、できない理由が小芭内にはある。
なぜなら、現在「目指せ恋人さよならセフレ!初心に戻って愛を育め!ド健全デートで心をゲット!なお成果が出るまで性交は禁止とする」作戦真っ只中だからだ。
初手の誤りにより生じたひどい誤解──大量セフレ持ちビッチ女王様──が解けぬどころか増強して年が明け試験が終わりこのままでは埒があかぬと判断した小芭内は強硬手段に打って出た。
試験は終わったのだからもううちにいる必要はないだろうと、杏寿郎を実家の煉獄家に帰したのである。
実際小芭内宅に泊まり込む名目が受験勉強のため一択だったこともあり、杏寿郎に抵抗の余地はなかった。
挨拶がてら煉獄家に送り届けて一人で帰る際、「俺を置いていくんですかほんとですか嘘ですよねご主人!」的大型犬の眼差しを振り切るのは辛かったが仕方ない。
同じ屋根の下にいれば絶対欲望に負ける。間違いなく押し倒すし伸し掛かるし襲い倒す。
そんな日常を続けていてはいくら身体目当てではないセフレとは思ってないと言い募ったところで説得力はないだろう。
元々、自分は昔からずっと彼のことが好きなのだと。
己にはない明朗闊達さも、困っている人を見かけたら一切の躊躇なく助けに向かう優しさも、厳しい鍛錬により磨いた強さは己のためでなく弱き人を守るためのものと言い切る高潔さも、全て。
もちろん鍛え抜かれた体も派手な見た目も大好きだが、それは彼という中身あってこそなのだと。
この想いを信じてもらうためには、一度すっぱり身体の関係を断ち切った方がいい。
セックスなしでも自分が何より大切な存在と思われていることが伝われば、きっと、杏寿郎も誤解を解いてくれるだろう。
というわけで、小芭内は付き合いたての中学生カップルがするようなド健全デートプランを実行することにした。
午前中に杏寿郎を呼び出して、映画やら水族館やら遊園地やらピクニックやらベタ中のベタ的デートを繰り返し、帰りはきちんと遅くならないうちに送り届ける。
途中どれほどキスしたくなっても、物陰に連れ込みたくなっても我慢して、精々手を繋ぐ程度にとどめた。やはり家とは違い人の目があると理性が仕事をしてくれてありがたい。
溜まる欲については一人で消化していたが、当然ながら杏寿郎を相手にした時とは全く解消度合いが違う。
小芭内の欲求不満は一月でピークを迎えた。
そんな状態で目にする杏寿郎はカッコ良すぎて性的すぎてムラムラ大爆発が起きてしまいそうだったため、小芭内は己を免許合宿という陸の孤島へ放り込むことにした。しばし距離を取れば色々な箇所がクールダウンされるはずである。杏寿郎に会えないのは辛いが、彼と将来を誓い共に幸福な老後を迎えるためには必要な別離と言えよう。ここは歯を食いしばって耐えるしかない。
合宿所には偶然同期の不死川がいた。小芭内の数少ない友人にして親友である。お陰で杏寿郎がいない寂しさを紛らわせることができ助かった。
長期休みの度にバイトで稼ぎ、家計に回した残りをコツコツ貯めてようやく今回の合宿代に達したらしい。免許があればバイトの幅も広がるし弟妹を連れて遊びに行けると嬉し気に語る不死川は本当に家族思いのいい男である。
そしてなぜか同期の冨岡も合宿所にいた。無視したかったが、放っておくと顔につられた女性陣に集られたり集った女性に失礼な言動を放って怒らせたり泣かせたり義憤に駆られた男性陣とぶつかったりうっかり相手から手でも出された日には手加減なしで制圧したりとここそこで軋轢を起こしまくるのでとりあえず捕獲し監視も含めて行動を共にすることにした。
そんな努力の甲斐あって、三人ともに最短期間で合宿所を卒業することができた。後は免許センターで試験を受けて合格すれば晴れて免許取得となる。
帰りの電車でいつ試験を受けに行くか不死川と話していると、冨岡がきょとんとした顔をしていた。卒業したら自動的に免許がもらえると思っていたらしい。教官が何度も説明してくれただろうがァ!と激昂しながら、不死川が教習所から渡された免許交付に必要な書類一式を冨岡から奪っていた。自分が試験を受ける日に一緒に引きずっていくとのことである。下に6人もの弟妹を持つせいか、不死川は面倒見が良すぎる。小芭内はこれ以上冨岡と関わりたくないのでこっそり試験日をずらすことにした。
改札で二人と別れて駅を出れば、杏寿郎が待っていた。迎えにきた、とはにかむ杏寿郎の可愛さにくらりときたが、合宿を挟んだお陰で冷やされた理性が仕事をしてくれた。
聞けば煉獄家で免許取得のお祝いをしてくれるという。連れ立って歩きながらチラ見する二週間ぶりの杏寿郎はやはりカッコいい。しかしその横顔にはどことなく憂いが見てとれた。この二週間の間に何かあったのだろうか。
杏寿郎のことだから正面から聞いても答えてはくれまい。ならばどう元気付けたものかと考えていると、繋いだ杏寿郎の手にふと力が入った気がした。
「……小芭内。駅で、君と一緒にいた二人は──」
「ん? ああ、あの二人か。大学の同期だ。合宿で一緒になってな。そういえばお前の先輩にも当たるわけか。紹介してやれば良かったな。黒髪の方はともかく、白髪の方はとても頼りになるぞ。大学が始まったら会わせてやろう」
「──先輩、か。そうか。ではしっかり挨拶しておかねばな」
いつもの笑顔なれど、それはどこか固く見えた。やはり何やら思い悩んでいることがあるらしい。
どうしたものかと考え、はたと思いつく。
そうだ、ドライブに行くのはどうだろう。
せっかく免許が手に入るのだ。少し遠出をするとしよう。行き先は海なぞいいのではないか。今の季節ならまだ空いているだろうし、海辺のドライブ夕焼け付きはデートコースの定番オブ定番だ。ついでに港で新鮮な海鮮をたらふく食べさせてやろう。そうすれば多少は気晴らしになるに違いない。
ということで今に至るわけだが、窓の外を見る杏寿郎が楽しそうなことにほっとする。
道中立ち寄ったPAでご当地ソフトやご当地パンもうれし気に食していた。メインは目的地でと決めているのか、しっかり海鮮を避けているのが可愛い。
奢ろうとしたのだが、バイト代があるからと断られた。小芭内が留守をしている間に短期バイトに勤しんでいたらしい。ヒーローショーの中の人などもやったと聞いて悶絶した。見たかった。最前かぶりつきで撮影会も握手も参加したかった。次そのバイトをする時は絶対事前に教えてもらおう。
道の駅に置いてあったパンフレットに目を通していた杏寿郎が、む、と眉を上げた。
この辺りには浦島伝説が伝わっており、浦島太郎が乙姫より玉手箱と共に授かったと言われる観世音像が安置されている寺があるらしい。
歴史好きの杏寿郎は郷土の伝承やそれに纏わる史跡も好きだ。
幸い今日は車もあるし時間もある。せっかくならそこに行ってみるかと声をかければ杏寿郎の顔がパアッと輝いた。眩しい。可愛い。かわい死す。
早速向かった寺では、杏寿郎が終始生き生きしていた。
パンフレットにあった碑やら仏像やらをじっくり鑑賞し、その前に設置された縁起板もじっくり読み込んだ後は寺の人に話を聞いたり御朱印をもらったりと実に楽しそうである。
神社仏閣や歴史的建造物に然程興味のない小芭内は、そんな彼をニヨニヨと鑑賞して時を過ごした。
ひとしきり見回って満足したらしい杏寿郎と車に戻ると、彼の腹が盛大な音を立てた。寺に寄った分、昼の時間が遅れてしまったので仕方がない。
目的の店はここから1時間弱かかる。予め評判を調べて選んだ店だが、あまりにも腹が減っているようなら近場で探すべきだろうか。その旨尋ねようと車を出す前に横を向けば、杏寿郎はどこで手に入れたのか大きな饅頭をもふもふと食べていた。先ほどの寺で転びかけたご婦人をとっさに支えたところお礼に貰ったとのことだ。この男はちょっと目を離すと人助けをしている。目を離さなくてもしている。ほんとそういうところだぞ。好き。
杏寿郎曰く、小芭内が選んでくれた店に行きたいとのことだったので当初の予定通りそこへ向かうこととした。着くまで腹が鳴らなかったのは饅頭チャージのお陰だろう。情けは人の為ならずを体現する男である。好き。
目的の店は昼のピークを過ぎて着いたこともあり、さして並ばずに入れた。
店で一番人気というスペシャル海鮮丼をとりあえず三つ頼めば、ピカピカの刺身が米も丼の縁も見えないほど大量に盛られた状態でドドンとテーブルに置かれた。迫力がすごい。海老の頭がこちらを睨んでいる。迫力がありすぎて気後れする小芭内の向かいで、待ち兼ねていた杏寿郎が早速丼を持ち上げてかっ込み、両目をカッと見開いた。
「うまい!」
はい腹式呼吸版うまいコールいただきました。店内中の人が目を丸くしてこちらを見ているが最早気にならない。慣れとは怖いものである。最初は変人に向けられる視線だったのが、杏寿郎がうまいうまいと幸せそうにぱくつくにつれて、段々好意的なものへ変わっていくのもいつものことだ。
少食の小芭内は丼についてきたあら汁と、別途頼んだ海鮮茶碗蒸しをちまちまいただくことにした。確かにうまい。新鮮な魚介の旨みがよく出汁に出ている。
自分でお代わりを注文しながらもぐぱくもぐぱくと惚れ惚れするスピードで丼を重ねていた杏寿郎だったが、7杯を超えた時点で箸が止まった。いつもなら軽く10人前は平らげるのにどうしたことか。
と、丼を置いた杏寿郎が鞄からそろりと財布を取り出すのが見えた。小芭内に気づかれぬようこっそり動いているつもりらしいが、そもそも性質的にこそこそした動作ができない男である。
観察眼に優れた小芭内の目には、杏寿郎が机の下でそっと財布を開き中身を確認しているのが丸分かりだった。
つまり杏寿郎は今、お代わりをどうするかバイト代の残金と相談している……?
全てを把握した小芭内はすかさず、スペシャル海鮮丼と釜揚げしらす&生シラス丼とかき揚げ丼を追加注文した。びくっと顔を上げた杏寿郎に「予想以上にこの店の魚が旨かったので自分ももっと色々な味を食べたい。しかし全部は食べられないから残りをもらってほしい」と告げれば、杏寿郎が喜びと遠慮の混ざり合う顔で「すまない小芭内ありがとう」と礼を述べてきた。
両親の残した遺産を信頼できる筋に預け運用を任せた結果、小芭内の懐には毎月結構な不労所得が転がり込んできている。杏寿郎の食費を全て支払ったところで全く腹は痛まない。むしろ払わせてほしい。そして杏寿郎のこの魅惑のボディは俺が作ったと悦に入りたい。
とはいえ男子としての矜持から、杏寿郎が小芭内に支払わせることを良しとしないことも分かる。小芭内としてはその気概を大切にしてやりたい。
店の支払いはスマホ決済が使えるからと一旦小芭内が全額立て替え、後から杏寿郎の矜持を傷つけない程度にうまいこと割り引いた額を現金で徴収させてもらった。
その際チラリと見えた札が千円札で枚数的に大変心許なかったので、小芭内は行きたいカフェがある、食べたいスイーツがあるとなんやかんや理由をつけて小芭内持ちで杏寿郎に食べさせることにした。
せめて飲み物は自分で、と杏寿郎が頼んだのは一番安いブレンドコーヒーだった。とりあえずブラックのまま口をつけるも二口目は続かずやはり今回もミルクと砂糖を足す様をほっこりしながら見守る。もはや様式美である。可愛い。
昔ながらのホットケーキやら懐かしプリンアラモードやら自家製チーズケーキやらを一通り食させていたら程よく日が暮れてきたので店を出て、予めチェックしていた焼き芋専門店で五種食べ比べセットを購入して海に向かう。
適当に一口齧って残りを渡すと瞬く間に隣からわっしょいの声が響いてきた。良い。やはりクオリティオブライフを意識するなら一日一わっしょいは必須と言えよう。人生の満足度が変わってくる。
辿り着いた砂浜には、既にちらほらと人がいた。
夕焼けの名所と名高い海岸である。皆それを期待しているのだろう。当然、殆どが男女カップルだ。カップルの癖にちらちらと杏寿郎の方を見てくる輩が気に食わないが、世に存在する男の中で最高峰に位置するのがマイスイートハート杏寿郎である。お相手がいたとして目を奪われるのは仕方がない。しかし気に食わないのでなるべく人が少ない方へと歩いていく。
「おお、沈み始めたぞ、小芭内」
杏寿郎の声に足を止めれば、青みの残る水平線へ己を溶かす日輪が見えた。
空に広がる豪奢な紅蓮、橙、黄金の綾錦。
紺碧の海に反射するそれは、決して空とは同じ色にならない。
染まり切れぬことを焦ってか、海は太陽を飲み続ける。
染め切れぬことを悲しんでか、太陽は海に身を落とし続ける。
日が沈むごとに空はより赤く。海に飲まれるごとに日が流す血は赤く。
けれどその赤は徐々に範囲を狭め。
代わりに広がるは、細かな光を孕む瑠璃色。金銀を散らした濃紺の天幕は、海に落ちた太陽を、太陽を呑んだ海を厳かに包む。
その死を悼み、安らかな眠りを授けるため。
明日に、生まれ直してもらうため。
夕焼けが美しくも切ないのは、一日の終わりを、今日の死を想起させるからだろうか。
それとも、互いに溶け合おうとしながら決して混じり合えぬ二者を目前にさせられるからだろうか。
海面を吹き抜ける風の冷たさに、ぶるりと体が震えた。同時、背中から温もりに包まれる。
「すまない、車に戻った方がいいんだろうが、もう少し君とこの景色を見ていたくて」
背後よりすっぽりと抱きしめられながら囁かれて、寒さからくるものとは別の震えが走った。
暑がりの杏寿郎は上着を着ていない。だから、寒そうな小芭内を温めるには自分を使うしかなかった。その優しさも、まだ一緒に海を見ていたいと願ってくれた心も嬉しい。
しかし小芭内は、その嬉しさを噛み締めるには杏寿郎のことが好き過ぎた。
大学試験終了後、健全な交際を目指すため自ら遠ざけた温もり。背から伝わる胸板の厚み、腹に回された腕の逞しさ、香る、その肌の匂い──。
離れている間、一日とて焦がれない日はなかった。この胸に再び抱かれる日を。でもそれは、誤解を解いてから。真の想いが伝わってからと心に決めて。だってそうしなければ流されるから。また同じことを繰り返してしまうから。
染み入る彼の熱が血に溶けて全身を巡り、皮下に無数の炎を生む。離れろ、という理性の警告を、内側から炙られてマシュマロのように蕩けた脳は最早理解しない。理解できない。
「……完全に沈んだな。名残惜しいが、君の身体が冷える前に車へ戻るとしよう」
小芭内の肩を抱くようにして、杏寿郎が歩き出す。
小芭内はふわふわとした頭で促されるまま足を踏み出す。砂に足を取られよろけた身体を、危なげなく支えてくれる太い腕。そのまま体重をかけても微動だにしない安定感に、小芭内の心の乙女が絶叫する。
ああああ、もおおおお、すきいいいいい!
地を這うような低音デスボイスが炸裂する直前、杏寿郎がはしゃいだ声を上げた。
「見てくれ小芭内! あんな所に竜宮城と書かれた建物があるぞ! もしや浦島伝説の資料館か!? 明かりがついているということはまだ入館できるのだろうか!」
そわる杏寿郎の指さす方向へ視線を向ければ、少し離れた海岸沿いの道路に賑やかしい中華風の建物があった。小芭内にはよく見えないが、杏寿郎曰く門前には乙姫と浦島と思しき像も安置されているとのことである。
はしゃぐ杏寿郎の無邪気な可愛さに、焼け焦げながらも辛うじて残った理性の糸が本能への締め付けを新たにする。
警告。警告。警告。
小芭内の唇が、笑みを象る。艶やかに。華開くように。蛇のように。
「──残念ながら、あれは資料館ではなくレジャー施設だ。24時間対応のな」
「なんと、そんな施設があるのか!」
「行ってみるか?」
「ぜひ!」
まだ帰りたくなかったのか、杏寿郎が前のめりに頷く。車へ戻りながら、小芭内は何度も検索したこの近辺の地図を脳裏に思い浮かべる。そこには確かにあの建物も記されていた。
ドライブ疲れのあなたを癒す海の城
あなたの乙姫、浦島と
時を忘れるひとときを──
「Hotel 竜宮城」
御休憩2時間五千円より
可愛いは正義だが、度を越えれば罪を生む。
それを目にした相手の中に。
罪深きは罪を犯す側か。犯させる側か。
小芭内は静かに車を発進させる。
焦げた理性の糸を引きちぎり、窓から海に投げ捨てながら。
いざ、ラブホへと。