弟は楽しくしているようです 夢ノ咲学院の敷地内に入るため、天城燐音は守衛室の警備員に挨拶をし、事情を話して職員室へと通された。
部外者といっても、彼の弟がこの学校へ通っているため手続きさえすれば快く入れてもらえる。燐音は「保護者」か「見学」の腕章を選ぶように言われ、「保護者」のそれを選んで左腕につけた。
閉められている場所へ勝手に入るようなことが無ければ、自由に見学してよいとのことだったので、燐音は早速校舎へと向かう。今は授業中で、生徒たちはそれぞれの教室で授業を受けている。
二年生の教室に行くと、真剣な顔で教師の話を聞いている弟の姿があった。クラスメイト達の中には燐音の姿に気づく者もいた。双子のうち、ひとりは手を振ってくれて、もうひとりは露骨に目を逸らした。一彩の斜め後ろの席の真白友也が一彩に、兄が来ていると教えてくれたようで、一彩が笑顔でこちらに手を振ってきた。
いつまでも授業の邪魔をしているわけにもいかないので、燐音は教師に会釈をして校庭へ出た。
今日は燐音は、学校見学のために夢ノ咲学院を訪れている。近々ドラマで学生の役を演じる事になったため、学校というものに通ったことのない燐音が実際に学校生活というものを間近で勉強するためだ。ついでに、学校で過ごす弟の姿を見てやろうとも思った。腕章をつけてから20分ほどしか経っていないのに、既に満足感がある。たまには弟の様子も見てやるものだと思った。
昼休みまでは弟に声をかけることもできないので、燐音は一人で図書室や理科室、グラウンドなどを見て回った。昼休みにはガーデンテラスが学生で埋まると聞いていたので、燐音は許可を取って授業の時間中に昼食を済ませた。チャイムと同時に、校舎のほうから一斉に気配が動いて、食堂に向かってくるのが分かった。燐音は生徒たちの導線から少し逸れたところで生徒たちの流れを見守り、その中に弟の姿がないか探してみた。しかし、ガーデンテラスで席を探す生徒たちの中に弟の姿はなく、燐音は仕方なくその中の知った顔に声をかけた。先ほど教室で見かけた双子だ。
「先輩、どうして夢ノ咲にいるんですか? 今日は公開日でしたっけ?」
テラスのテーブルに向かい合って座っている双子のうち、葵ひなたは人懐っこく答えてくれるが、葵ゆうたの方はすまし顔でパスタを食べていた。
「いや、個人的に許可とって見学してる。お前ら弟くん知らねえ? せっかく来たから声かけようと思ってよ」
「一彩くんなら今日はキッチン借りてるって言ってましたよ~」
「キッチン?」
「この学校には自分で作って食べるコースがあるんです」
仕方が無さそうに、ゆうたが口をはさんで来る。結局完全に無視はできないところに、ゆうたの根の素直さが出ていた。
「ふーん、ありがとよ。じゃあそこから出てくんの待ってみるわ」
双子に礼を言って、燐音は教えてもらったキッチンに向かう。
ただでさえ外部の人間は目立つのに、同じ制服を着た生徒が多く集まるガーデンテラスでは人目を引く。
なるべく人通りのない通路を選んで、燐音は厨房の近くまで来た。そこは、窓の大きな立派なキッチンだった。こんな場所まで貸し出してもらえるのかと、夢ノ咲学院の生徒たちを少し羨ましいと思う。
燐音はいくつかある厨房をひとつひとつ、そっと窓から覗いた。中の様子を伺い、自分の弟の姿を探す。そして、自分と同じ色をした頭はすぐに見つかった。
「おーっと」
そして、その隣に一彩よりも少し背の低い頭も一緒にいた。鳥の子色の髪をした少年、白鳥藍良。弟のお気に入りだ。
二人はエプロンをして仲良く並んで料理をしている。フライパンで何かを炒めているようだけれど、何を作っているのだろうか。
肩が触れそうなほど近い距離で、仲睦まじく料理をしている後ろ姿に、燐音はほっと肩を撫でおろす。
「邪魔するのも野暮かねえ」
そう言って、燐音はガーデンテラスへ戻り、厨房の出入りがギリギリ見える端の席に座った。
* * *
「チキンライス完成~! ヒロくん見てみてェ」
藍良がフライパンの中で大事に炒めたチキンライスを、一彩のほうへと傾けて見せた。
「上手だね、藍良。すごく美味しそうだよ」
一彩がケチャップで味付けされたそれを覗き込む。やはり一彩の髪のほうが赤いな、とこの場ではどうでもいいようなことを考えてしまった。
「ねえ、一口味見してくれない?」
今日は一彩がキッチンを借りて昼食を作りたいと言ったから、藍良もそれに便乗することにした。キッチンは予約さえすれば無料で借りられるので出費は材料費だけで済む。藍良は自分が担当したチキンライスを完成させていた。担当といっても、材料を切ったのは全部一彩なので、藍良は炒めて味付けをしただけなのだけれど。
「え? 調味料はしっかり計ったから大丈夫だと思うけれど……」
一彩の言うとおり、調味料はレシピ通りにしっかり計って作った。だからこそ、狂いがあるとすれば藍良の手が加わっている部分なのだ。自分のせいで一彩の昼食を台無しにしていたら申し訳ない。
藍良はスプーンを使ってフライパンの中から一口分のチキンライスをとり、ふーふーと息を吹きかけて冷ます。そしてそれを、一彩の口元に手で受けながら近づけた。
「いいからほら、あーん」
一彩は少し照れたような反応を見せたあと、藍良が差し出した一口分のチキンライスを口に含む。少しの間咀嚼して、頷いた。
「ん、うん。……美味しい」
その一言に、藍良の肩の力が抜ける。
「本当? よかったァ」
「じゃあこれから卵を焼くね。藍良はそれをお皿に盛りつけてくれるかい?」
「はァい」
二人が作っているのはオムライスだ。一彩の大好物で、藍良も散々食べるのに付き合わされているメニュー。真白友也にキッチンの使い方とオムライスの作り方を教わったといって、藍良を誘ってくれたのだ。
一彩がボウルに手早く卵を割って解き、バターと少量のミルクを加えてフライパンに流し込む。底から焼けて固まっていくオムレツを丁寧にくるくると巻いて、あっという間に二人分のオムレツを完成させた。完成した楕円形のそれを、藍良が更に盛り付けたチキンライスの上に乗せるとぷるぷると踊る。
「ふわふわオムライスの完成だよ!」
「やったァ! ヒロくんすごォい!」
藍良がさっそく、ケチャップの入ったカップとパセリを添えて、窓の明かりが良い感じに差し込む場所を選んで写真を撮った。
一彩がその間に手早く片づけをする。
自分で作るコースは、作ることだけが目的ではない。「作って食べる」までが目的だ。昼休みの残り時間でオムライスを食べなくてはならない。
「藍良、残りの片付けは次の休み時間にして、早く食べよう」
「はァい!」
藍良は二人分のオムライスとスプーンをそれぞれトレイに乗せて、ガーデンテラスへと向かう。早めに昼食を食べ終わった生徒たちが席を空けているので、まばらに空いていそうだった。これなら問題無く座れるはず。
「よっ、弟くん! 藍ちゃん」
「ええっ!!」
普段ならこの場では聞こえるはずのない声が聞こえて、藍良は一瞬固まった。ガーデンテラスの端の席に、天城燐音が座っていたのだ。
「兄さん! まだ居たなら教えてくれれば良かったのに」
「ええっ、燐音先輩が来てること知ってたなら教えてよォ!」
一彩が燐音の座る席に速足で寄っていく。藍良もそれについて行くしかなく、燐音が座っている席に二人で座った。
「いや、さっきキッチン覗いたらお前らが仲良さそうに料理してっから、お兄ちゃんエンリョしちゃったわけよ」
「覗いたって……趣味悪ゥ」
「おいおいだからエンリョしたって言ってんだろ」
話していては時間内に食事が終わらないので、藍良はさっそく一彩が焼いたオムレツにスプーンで切れ目をいれた。オムレツが切れ目から開いて中のとろとろのたまごが溢れて、チキンライスを包んだ。それを見た燐音が「うまそー」とつぶやいたので、藍良はふふんと自慢げに見せびらかす。
「兄さんはどうしてここにいるの?」
一彩も同じようにオムレツの外側を破りながら燐音に聞いた。さきほどは授業中だったので手を振ることしかできなかったが、そういえば燐音が学校へ来ている理由を知らなかった。
「ん? 今度仕事で学生の役やるって決まったから社会勉強だよ」
燐音が自分のスマホを二人の間に置いて、「内緒だぞ」と一枚のイラストを見せてくれた。それは有名な青年漫画の表紙のイラストだった。藍良は記憶にあるニュースサイトの画面を手繰り、「ああ」と納得する。
「不良学生の役?」
「あ? 何で分かンだよ藍ちゃん」
一彩は少女漫画原作のドラマに出演したことがあるが、燐音は青年誌の学園ドラマのようだ。同じ高校生を演じるにしても、随分と毛色が違う。
「じゃ、俺っちはお邪魔だろうから退散しますかね」
一彩と藍良が座ってから5分も経たないうちに、燐音は椅子を引いて立ち上がった。一彩が残念そうに顔を上げる。
「え、兄さん行っちゃうの?」
「別にいいのにィ」
藍良が言うと、燐音が藍良の頬をつんと突いた。
「なーに言ってんだ。せっかくヒロくんと二人でご飯だったのに~って顔に書いてあるぜ」
「か、書いてないもん!」
燐音が藍良をからかうのを、一彩が窘めるようにやめさせる。
「いーんだよ。俺っちは仕事で来てンだから。お前らの顔見れただけいーっしょ」
「兄さんはご飯は?」
「もう食べた。じゃーな」
燐音は弟の頭をぽんと軽く叩いて、校舎のほうへと行ってしまった。
藍良は燐音の姿が見えなくなってから、先ほどからずっと気になっていたことを呟く。
「おれがヒロくんにあーんってしてたの見られたかなァ」
オムライスの大きな一口を食べようとしていた一彩が、その手をぴたりと止めて藍良を見る。
「見られたらまずかった?」
「別にィ」
あの気の遣われ方は色々とバレているのだろう、と藍良は諦めて、オムライスが冷めないうちにさっさと口に運んだ。
卵の甘さとケチャップライスの塩味が口の中で混ざり合って、とても美味しい。