眠りについていた意識が浮上する感覚に抗うように寝返りを打って隣の温もりを探す。伸ばした手が空を切って冷たいシーツへ触れたことで、ファルガーはゆっくりと目を開けた。
「…ぅき?」
確かめるように呼んだ声は掠れて暗い部屋に溶ける。一緒にベッドに入ったはずの浮奇はいつの間にか抜け出したらしく、ぼやけた視界に映るベッドはもぬけの殻だった。まだ暗さに慣れない瞳を瞬きながら手探りでスマホを探して時間を確認すれば、強い光を放つ画面が表示する時間に瞠目して、ファルガーはそっとベッドを抜け出した。
「浮奇」
電気も付けずにカーテンだけを開け放ったリビングに差し込んだ月光が、ソファで膝を抱える浮奇を照らしている。ぼんやりとしていたのかファルガーの声に弾かれたように肩を揺らした浮奇が、困ったような顔でゆっくりと振り返った。
「ごめんね、起こしちゃった?」
「いや、たまたま目が覚めた」
隣に腰掛ければ浮奇が持っているマグカップからふわりと甘い香りがして、思わず手元を覗き込む。ファルガーの視線に気付いた浮奇はマグカップを傾けて中身を見せてくれた。
「ココア、ふーふーちゃんも飲む?」
「少しだけ」
こちらへ手渡そうと差し出してくる腕を掴んで引き寄せる。驚いたように小さく息を飲んだ浮奇にマグカップを持たせたまま、流れ込む液体を飲み込んだ。
「甘いな」
「…ふーふーちゃんがね!」
久しぶりに甘いものを飲んだせいか砂糖でベタついた気がする唇を舐めながら言えば、浮奇がマグカップを持つのと反対の手で脇腹を軽く殴ってきた。ケラケラと声を上げて笑えば拗ね顔だった浮奇もつられて、肩を揺らして一頻り笑い合う。
「あぁもう、悩んでたのどうでもよくなっちゃった」
背もたれに体を預けた浮奇が、ファルガーの肩に頭を乗せて小さく言葉を溢す。
「やっぱり眠れなかったのか」
「何となくね…大したことじゃないんだけど、色々考えちゃって」
マグカップへと視線を落とす浮奇の眉が再び寄せられたのが視界に入って、ファルガーはよく手入れされた触り心地の良い髪を撫でる。言葉にする代わりにつむじへ口付けを落とせば、丸く見開かれた星を宿す色違いの瞳がこちらを捕えた。
「なぁに?」
分かりやすく動揺を示す瞳に笑いを堪えながら、マグカップを取り上げてテーブルへと置く。洗い物は明日にしようと頭の片隅で考えながら、身体を浮奇へ向けて掌を差し出した。
「浮奇、踊ろう」
「…は?」
唐突な言葉に混乱しているのか、返事を探して浮奇の視線が泳ぐ。多少強引なことは理解しつつ、ファルガーは立ち上がって浮奇の手を引いた。
「え、ちょっと…ふーふーちゃん?」
「今日は月が綺麗だから、踊りたくなった」
引っ張られて立ち上がった浮奇を抱き留めて、腕を引きながらリビングの広いスペースまで移動する。月明かりが強いせいで夜空に星は見えなかったが、改めて向き合った浮奇は柔らかい光に照らされていて一等綺麗だった。
「一曲、踊って頂けますか?」
片手を胸元に当てて軽く腰を折る。そのまま手を差し出せば、ネイルの施された手が重ねられた。
"My heart has wings and I can fly
I'll touch every star in the sky"
二人で口ずさみながら身体を揺らす。ファルガーのハミングが歌い出しから調子外れだったのを見兼ねたのか、曲に気づくなり途中から重ねられた浮奇の声が月明かりに馴染むように溶けていく。近い距離で絡む視線に柔らかな愛を感じて、ファルガーは小さく苦笑した。あからさまな曲を選んだ自覚はあって、けれど今だけは歳の割にロマンチストなのを許して欲しかった。
歌い終わると同時に、ふっと息を吐く。繋いだ手を握り直して、どちらからともなく額を合わせた。
「…好きだよ、 ふーふーちゃん」
「俺もだよ、浮奇」
星を宿した瞳に滲む感情が擽ったくて、誤魔化すように抱き締める。そのまま小さくゆらゆらと身体を揺らしてやれば、浮奇は欠伸を溢した。
「眠くなってきたか?」
「うん、今なら眠れそう」
「ほら掴まってろ、ベッドまで行くぞ」
既に半分はくっついている瞼を必死に開けて答える浮奇は限界が近いようで、ファルガーは浮奇を抱え上げた。すっかり眠りに引きずられたのか腕の中の身体が段々と重みを増して苦笑する。遠慮なく甘えられることすら、今は愛おしかった。
「おやすみ、浮奇。いい夢を」
"So this is love"