「雨」ペトリコール討伐を共にした山の帰り、激しい雨に打たれ、濡れた服に体温を奪われたあの夜。
大きな樹の下で二人、身を寄せ合った。
木々の葉を打つ雨の音が重く、こぼれ落ちた雫が土の匂いと湿気を舞い上げる。
遠くまで続く雑音に、永遠に続くのではないかと気を取られていると、後ろから抱きしめられる感触がした。
「寒い…」
濡れた子猫のような姿で熱を求めてくる彼に、私は羽織を広げ、中に包み込んだ。
「君の体温は高いんだね」
そう言って小さな生き物のようにぴったりと身を寄せる姿がどこか弱々しく、いじらしい。
湿ったぬるい熱と、少しはやい脈が背中から伝わってくる。
その時にはもう、雨音の事など忘れていた。
彼の心音が聞けたらと、耳を澄ます。
しばらくして、聞こえたのは静かに笑う彼の声だった。
体に回された手がすこし強く握られる。
「ヴォックス、緊張してるの?」
周りの寒さに反し、私の顔はかっと熱くなった。
彼の鼓動を感じて、興奮した自分を悟られた。
「おまえがもっと暖まれるよう、体温を上げようと努力しているのだ」
冷静を取り繕うと思わず出た言葉は、真実とも嘘ともとれる、今の心境を表現するには似合いの曖昧さだった。
すこしぶっきらぼうに聞こえたか心配していると、背中からくすくすと笑う声が聞こえる。
「僕のために、ありがとう」
背中に顔があたる。
雨のにおいに混じって、ふわりと、彼の香りがかすかにした。
体の中からこぼれ出そうなほど心臓がうるさく脈打つ。
取り繕った姿をこれ以上見せないようにと、言葉を失った私はただただ、葉を打つ雨音のように止まらぬ心音が静まるのを待つしかなかった。
雨が降ると、思い出す。
雨上がりのにおいの中で、再びあの時の香りを探していることに。