弓ことの始まりは、空が夏バテでダウンしたことだった。
季節は今夏まさっかりだから、特別不思議なことではない。異空間にある本丸とはいえ、春夏秋冬は現実の日本に合わせているのだから。
趣景というシステムを用いてそれを一時的に変えることはできるが、金も霊力もかかるので多用する審神者は多くない。精々一日とか長くても一週間といったところだ。
空は普段春夏秋冬をそのまま楽しむタイプで、夏本番の今も本丸内はクーラー等をきかせつつも打ち水等伝統的な避暑方法を活用し、うまく生活を回していた。
だからこそ、空が夏バテでダウンするという状況に本丸全体が動揺した。
とはいえ、そこは本丸襲撃すら定例行事になっている空の刀剣男士達、即次善策に動いた。
初期刀であり空不在時に一切の指揮権を委ねられている歌仙兼定が音頭をとって、出陣他スケジュールが組み直され、看病のメンバーが選出され、口煩い上層部に要らぬ空きを与えぬよう裏工作隊が組まれなどなど、あらゆる手が打たれた。
空本人は絶対安静!と寝室の布団に放り込まれ、七七やバーバラ、心海といった水氷系かつ回復系の能力を持つメンバーが入れ代わり立ち代わり空の体調を見守った。
そんなこんなで一週間…空の具合は一向に良くならなかった。
そして今日、話がめぐりに巡ってショウが見舞いに訪れるまでになっていた。
「空、大丈夫なのか?」
「うん、わざわざごめんね、ショウ。貝集めにはしゃぎすぎちゃったんだ」
「貝あつめ…あの妙な催し物か」
「そうそう。あれが楽しくってつい…」
「ついで寝込んでいては世話はないな。顔色が悪い、眠れていないのか?」
「うう、返す言葉もない…ううん、むしろ毎晩寝過ぎなくらい寝てるよ」
空は布団の中でけろっと言ったが、顔色はよくない。
普段から働きすぎなくらいの働き者な空のことだから、夏バテにかこつけて周囲の面々、初期刀の歌仙
を筆頭にディルックやウェンティといった古馴染みが休ませているのかと思っていたショウは宛が外れてきゅっと眉をしかめた。
「石切丸を筆頭にした神刀達の加持祈祷、有志達による徹底的な本丸およびこの空間全体の調査、すべて空振りだった。ショウ殿も異常を感じないとなると…本当に夏バテなだけなのか?」
「そうは思えないけどね。相棒は昔から頑健な男だよ。そうじゃなきゃ、テイワットをパイモンと二人きりで踏破なんて出来なかったさ。それも、行く先々でトラブルやら大事件やらを解決しながらなんてね」
「だが、現実的に空の体調を崩す原因、それこそ呪詛のようなものは皆無だ。僕のような門外漢だけならともかく、七神まで総動員で見つけられないとなるのそれは確実だろう」
「なら、呪詛や呪い関係以外で空の体調を崩す原因があるってことだな」
「ガイア?」
「呪詛以外?」
「タルタリヤ、悪いが今晩本丸に泊まってくれないか、できればショウも。"見届人"は多いほうがいい」
「鬼が射るのは、いつも人の希望、願いだ。…逆説的に、獲物が人の願いなら、俺(半鬼)の矢は必ず当たる」
そう言って、ガイアは弓を引き絞り、射た。
びょうっ!と風を切る音共に矢は空高く舞い上がった。矢は波の向こう、夏の夜闇へと消えていったが、やがて夜闇の遠くから大きな音が響き渡った。
刀剣男士である歌仙には、何かが折れる音に聞こえた。
審神者であるショウには、人の悲鳴に聞こえた。
半神であるタルタリヤには、陶器が割れる音に聞こえた。
かつて、魔神戦争の時代に生を受けた一柱の魔神がいた。
渦の眷属を父に、岩の眷属を母に持つ彼は、確かに両親に愛されて生まれてきた。
だが、激化する魔神戦争の中、父と母はどうしても譲れない政治的信念により離別する。それどころか、それぞれの主神たる渦神と岩神の元に馳せ参じ最前線で戦った。
幼かった彼はその光景を、父と母が殺し合い、友と友が殺し合い、やがて死んでいく姿を見て壊れてしまった。
争いを怖がり、怒声を怖がり、挙句の果てに他者の声にすら怯えるようになった彼は、周囲の彼を愛した者たち、さらには岩神と渦神の手すら振り切って己が生まれた土地から逃げ出した。
岩と渦の両属性を持つ彼は、大地の上でも水の上でも自由自在に動けたことが災いし、ただひたすらに逃げ続ける彼に誰も追いつけなかった。
彼は逃げてにげて…やがて、海の底の下、静謐が支配する巨大な地下空洞に至った。
かつてはこの地下空洞にも王国が存在したが、その国は滅んで久しく、ただ遺跡が残るのみ。今は響く水音とわずかな風の音しか聞こえないそこは、剣戟と怒声と悲鳴に囲まれて生きてきた彼にとって天国だった。
彼は地下空洞に生える大きな樹の上を終の棲家とし、ただ静かにその長い長い天命を過ごしたという。
「だから、聖杯に願ったんだ。渦神と岩神が争わなかった故郷が見たいと。誰も傷つけず、争うことなく、平凡で退屈でそれゆえに尊いもしもの世界。僕が夢想した一時の夢…それがこの特異点」
「」
「はい、どうぞ」
「へ?」
ぽいっと投げられた金色の盃、確かに魔力の塊である聖杯だ。
「言っただろ?一時の夢だって。僕は十分夢を見た。だから返すよ」
「……いいの?」
「良くなきゃ返してないさ。夢は短くやがて覚めてこそ夢だ。それに…ダ・ヴィンチ嬢はこの特異点を極めて安定していると言ったけど、それは停滞と紙一重だ。争いがないということは競争がないということ、競争が無ければ切磋琢磨はうまれず、切磋琢磨なくして変化と革新はない。この世界は時間が経てば立つほど停滞し、膿み、腐り落ちるだろう。だからこそ、短くなくちゃいけないのさ」
拷問
「いやー正直、ディルックの旦那様は変わりましたよ。」
「俺らが出会った頃、まじで一匹狼もかくやって感じだったんで。勿論、根は優しいし正義漢なお人なのは変わりませんけどー」
「…他者不在の世界で生きてる人だった。旦那様はなまじ優秀すぎて一人で何でも出来るから余計だろうな」
「それそれ!ヨウちゃん的確ぅ!…昔、依頼人に裏切られてまじで殺されかけてた所を助けられた俺達が言うのもなんですけどね」
ケラケラ、と仮面の男が笑う。
「馬鹿な変態に目ぇつけられた弟さんのために道理も正義も曲げて俺達使うとか、まじで?!って手紙と小切手三度見しましたもん!」
「俺達みたいな商売を必要悪として迂回的に援助こそすれ、私情で使うなんざありえないと思っていたが…」
「人って変われば変わるもんですよねー。璃月の姐さんを紹介したのだって正直意外だったし。モンド以外の国に興味なんか無いって顔に描いてたのになー。ま、姐さんはめちゃくちゃ金払い良いし良客の中の良客なんで俺達としては大歓迎なんですけど!今回のこいつも殺しちゃってOKの簡単案件なのにチップいっぱいはずんでくれてもう最高!」
「璃月の姐さんも大変っすねー。馬鹿に目ぇつけられやすいお立場なんでしょうけど、腹心にばっかり手を出されちゃかなわないっしょ!この前のは殺しちゃ駄目案件だったけど、今回はokってことは悪化したってことだろうしー」
「バカ、もっとよく考えろ。前回のは政治的に殺せない相手だったってだけだ。今回のはどうみても小物だろうが……前回のはこの兄さんを殺しかけた輩なんだから殺したかっただろうよ」
「えっ?!?!あ、あーー!!貴方璃月の姐さんが言ってた兄さんか!!そっかそっかあ!!その目とかまじでやばかったんですよね…」
「あっ!ディルックの旦那様の弟さんのお友達さん!はじめましてはじめましてー!あ、すいません、俺ら一方的に知ってまして!どうぞどうぞ」