ロドス艦内で後姿を見かけてもなかなか追いつけない筆頭と言えばドクターであったが、最近はそこに新しく炎国から来たオペレーターが加わった。
ゆったりとした別段急ぐ足取りではないというのに、見る間にその背から離される。しかも昼食時の食堂の人混みの中でさえ、あの立派な尾は誰にぶつかることもなくするすると人の間を渡っていくのだから、何か特殊なアーツでも使っているのかと疑いたくなるほどだが、本人に尋ねてみた勇気ある同僚曰く、単に人口の多い移動都市に長年住んでいたからだろうと笑顔で返されたというのだから、到底勝てる相手ではないのである。
「――だなんて言われてるらしいけれど」
「新参者の身で貴公と並ぶとは光栄なことであるな」
「単なる素人の見立てだけれど、あなたはただ歩くのが上手なんだ。きっといろんなところを長らく歩いてきたんだろうな」
「そうだな、この身を得てからは歩き回れる限りはいろいろ巡ったとも。だがこの大地のすべての道を知り尽くしたわけではない。例えばロドスにこのような通路があることなど、貴公に教えてもらわなければ到底知りえなかった」
「いい近道だろう? 便利なのにまだ総合案内図に反映されていなくて」
二人が歩いているのは薄暗い通路である。照明は最小限であるが床には埃一つなく、時折聞こえるのはおそらく巡回用の警備ドローンの飛行音か。食堂へ連れ立って行く途中に、ついとドクターに腕を引かれたかと思えば、気が付けばこの見知らぬ通路に二人立っていたという次第だった。ドクターは特に気にするそぶりも見せず、ほら、と自身の端末に表示された艦内図を見せてくれたが、少なくとも重岳の知る限りではこんな場所に通路はなかったはずだ。ドクターの迷いのない足取りからは、もう何度も通っているのだろう気安さが見受けられるので、この通路について何の疑問も持ってはいないのだろう。だが、と重岳はきらりとその紅の瞳孔を光らせた。夜の闇でさえも障害にはならない瞳には、うっすらと壁に刻まれた細かな文字が見て取れた。そしてその文字が、千年を人の間で生きた重岳でさえも見たことのない、未知の文字であることも。
「そろそろだよ。これなら今日の限定メニューにも間に合うかな。サルゴンから最近来たメンバーの中に、料理の得意な人がいてね」
「ほう、それは楽しみだな」
「だろう? だからどうしても急ぎたくて」
翳された繊手の先で、当然のように重い扉が道を開く。途端に身を包む喧騒に安堵を覚えてしまったことから、重岳は自身が知らず緊張状態にあったことを自覚した。その当の本人はと言えば、一目見ただけで暗記したらしい食堂の本日限定メニューをのんびりと調子はずれの鼻歌交じりに唱えている。
「――貴公はよほど好かれているらしい」
「うん? ……ッ!」
扉が開ききる直前、その細い腰を抱き、ぽかんと半開きになった小さなくちびるに己のくちびるを重ねる。途端に暗い通路の壁の中から一斉に機械の騒めく音が聞こえてきたが、重岳はそのしなやかな尾を一振りし、静かな威圧を振りまいた。
「もう、誰かに見られでもしたら」
「誰も見てはいないさ、誰も、な」
もう一度だけ暗闇の向こうを振り返って、重岳はドクターの背を促して一歩を踏み出す。そうすればそこは既に見慣れた食堂へと続く大きな回廊の真ん中であり、今までの静寂が嘘であるかのように人々が賑やかに行き交っていた。
「次は許さないからね」
「うむ。心得た」
チリチリとうなじを焼く複数の監視カメラからの視線に一瞥すら返さず、重岳はのんびりとドクターの隣で歩みを進める。
なにせこの鱗を預けると決めた相手なのだ、そうやすやすと連れ戻されては困る。そちらにとっても手放し難いのはわかっているが、重岳としても譲れないものはある。
うちの兄貴はこれと決めたら頑固だからな、と笑う下の妹の声が聞こえた気もしたが、重岳はこれからドクターと共にする昼食に気を取られていたため、いつも通りその立派な尾を誰にもぶつけることもなく、人のごった返す食堂の中でさえぴったりとドクターの横について進みながら、残っていた! と喜ぶドクターにその朗らかな声で相槌を打ったのであった。