「結婚してください」
夕暮れの教室に響いた、一声。
机を隔てて向かい合った男子に告白される。側から見れば恐らくロマンチックな場面なのだろうが、私はあまり喜べない。むしろ喜んではいけない状況だ。
(……何故なら)
「……わ、私と君は教師と生徒だからダメだと、何度言ったら分かるんだ!?」
そう。目の前に居る男子は私の教え子、宮本伊織だ。剣道ではインターハイ常連であり定期考査も常にトップを維持する、文武両道を体現したような生徒。芯の通った意見を持ち周りに流されることもなく、教師陣からも絶大な信頼を向けられている。まさに優等生と呼ばれる生徒だ。
そして背が高い。顔立ちも整っている。たしか裏には多数の女子生徒と少数の男子生徒によって構成されるファンクラブがあったような。
「こ、こうやってわざわざ時間を作って君の進路相談に乗ってあげてるのに……そうやって大人を揶揄うな!」
「本気です」
透き通った瞳が私を真っ直ぐと捉える。うっ、と少しでも引き下がる素振りを見せると、好機と言わんばかりにその眼を光らせた。
こうやって言われるのは何度目だろう。流石に場をわきまえているのか他に人が居る場所では言われないが、こうやって“進路相談”として何度も託けては言われてきた。
「な、何故本気と言えるんだ……私は君と十数年も歳が離れてるんだぞ……? ほら、学校にも素敵な女子はたくさん居るし……」
「そうですね。でも、美しいと思ったのは先生……タケルさんだけです」
当たり前のように「美しい」と溢すイオリ。至って真面目な顔に、こちらが恥ずかしくなる。何故そんな言葉を平然と言えるのだろうか。これは将来、相当な人たらしになりそうだ。
「……と、というか、名で呼ぶなと言っただろう! きちんと先生と呼べ! ……まったく、私のような喪女をどうして……」
「先生は自分が周りから……特に男子生徒から邪な眼を向けられていることに気づいていないんですか?」
は、と脳内に思い浮かんだハテナマークがそのまま口から溢れてしまった私の反応に、眼を細めるイオリ。冗談ではないようだ。
「え……はっ……?」
自分は真面目に、生徒のためにと思って日々彼らに親しく接していた。善意、あるいは教育者として当然だと思っていたが、まさか生徒たちにそう受け取られていたとは。いままで教え子は将来が明るいかわいい子達、なんて微笑ましい目で見ていたが、これからはその考えを改めた方が良さそうだ。
「ほ、本当、なのか……?」
「はい。だから、誰かに取られるくらいならと思って、こうして告白を重ねています」
そ、そんな深い事情が。背中の裏がどっと冷や汗でいっぱいになる。彼の言い分は納得できるが、教育者としてのモラルが脳で警告音を鳴らす。彼に言いくるめられてはだめだ。
「先生のことは必ず幸せにします」
「う、うう……」
整った顔面が眩しい。言っていることも、生徒でなければとても魅力的な言葉だ。
しかし私は教師。何度も頭の中で“教師”の言葉をぐるぐると
「……と、とにかく。どれだけ君が告白しても答えはノーだ。私からしたら君は、まだ初々しい子どもだからな」
「……子ども扱いを、しないでください」
「……い、イオリ……いい加減大人を揶揄うのは……」
「……先生」
私の言葉を遮るように、覚悟を決めたような視線が刺さる。これでもまだ抗おうとするのかと呆れるが、一応耳を傾けてみる。それとも諦めてくれるのか。それならありがたいのだが。
「先生が付き合ってくれなかったら、あの大学の医学科に行きません」
「う、うむ……な、なんだって!?」
“あの”大学、つまり彼の第一志望の大学であり都内最高峰の大学だ。たしか校長が『やっとうちからも』と喜んでいたのを覚えている。だからこそ、彼をなんとしても入れさせろと言う無言のプレッシャーを受け続けていた。私は彼の考えを最大限尊重したいが、こんな交渉をかけられたらどうしようもない。
冗談だろう、と呆けるが本人は至って本気らしい。
「それくらい本気です」
「そ、そんな……っ!?」
才能の無駄遣い。その文字が頭をよぎる。なぜ「私と付き合う」などと言うくだらないことに自分の人生をかけようとするんだ。
「……き、君はそれでいいのか?」
「付き合ってくれるなら」
時計は下校時刻を大幅に過ぎている。本当に付き合わなければいけないのだろうか。これまでは数回諭せば引き下がってくれたが、今回ばかりはもうダメらしい。
「……」
その大きくごつごつとした手が、私の手に絡まる。ゆっくりとその筋をいやらしくなぞるイオリの所為で、身体が熱を持つのが分かる。生憎と経験が無いので、ぎこちなくなってしまう。
「い、イオリ……っ」
「先生。名前を呼ばせてください」
彼は一度攻めると決めたらずっと攻め続ける、たちの悪い人間のようだ。何年も関わってきて気づかなかったとは不覚。というかいつもまわりに流されることはないが同調はする人間だから、こんなにねちっこい人だとは思わなかった。
「っ……そ、それはダメだ。ま、まあ、二人きりの時にタメ口ぐらいなら……」
「そうで……そうか」
声色が一段と低くなり、顔が一際近づく。体も大きくて、覆い被さられてしまえば逃げようがない。彼は生徒である以前に一人の男だ。
(……い、いや、男ではない! あ、あくまで一生徒……)
まるで自分の方が、彼を生徒ではなく一人の男として考えてしまっているようではないか。それは違う。違うはずだ。
頭を振って余計な思考を排除し、目の前に迫るイオリの顔への耐性をつけようと模索する。
「……名は、もっと愛し合ってからか?」
「……っちょ、調子に乗るな〜! タメ口もダメにするぞ!」
その言葉に流石に怖気付いたのか、イオリは口を噤んだ。まったく、図に乗るのはまだ子どもらしい。かわいくないところも多いが。
(今の状況はまったくかわいくない、が!)
理解に時間をかけているうちに、ジャージのジッパーが下げられている。その脱がされやすさにスーツを着ておけばよかったか、と後悔する。
「こ、こら! まてっ……!?」
あれよあれよと脱がされ、教室に下着一枚の私と制服をきちっと校則通りに着たイオリが教室に残る。
「ふっ、ぅ、……っ?」
少し彼に触れられただけでなぜか身体が震える。生憎とこのような経験は無いので、未感覚の快感が足先へ