手紙 子蛙に文字を教えている。妙なこととは己でも思うのだが、これも子蛙に文字を教えるついでに書いている。
「子、ゲ、える、とは、おれのことか」
「そうだ、お主の他におるまい」
そう答えると、子蛙は膝の上でプクと頬を膨らませた。
「この、子、という字は、幼いとか小さいとか、そんな意味だろう。おれとはてんで違う。おれは小さくも、幼くもない」
このこどもは、小さな身体の割に大きな声であれこれ騒ぐ。生来の蛙の質であろうけども、それにしても指先ぐらいの小さな身体で騒ぐのならばともかく、人のこどもに似た姿に化け、身体もまったく人のこどもと同じような大きさで、それでいてゲコゲコと騒ぐのだから、まったく騒がしさは庭の池に棲む蛙の比ではない。だというのにどうしてこうも目にかけてしまうのか、自身、不思議に思わないでもない。教えた知識をなんでも丸呑みにしてしまう様が面白いのやもしれぬ。
「待て、待て。書くのが早くて追いつけない」
「急がずともゆっくりと読めばよい。文字は逃げぬ」
「文字は、逃げない。ふぅん、なるほど」
「はるか遠くの者に伝えるため、あるいははるか後世の者に伝えるために文字というものはあるのだ」
「うん。ちょうどそういうことだろうと考えていたところだ」
「はっはっは。釈迦に説法であったか」
「おれの名前は釈迦じゃなくて大ガマだ。ところでこの文字は、つまりいったい誰に伝えるために書いているんだ?」
「誰に? ウム、これは日記というのだ。他の者へ伝えるためではなく、強いて言えば未来の吾輩へ宛てた手紙と言えなくもない」
「未来の土蜘蛛へ、おれが小さいだの声が大きいだのをなんで伝える必要がある」
口は相変わらず尖らせたままである。その蛙らしさの抜けない丸い指先で、まだ墨の乾ききっていない文字の上を指差しなぞる。すると指の腹が黒く汚れ、またぞろ頬を膨らます。
「よく読めているではないか。だがそこから先で詰まったのだな?」
「もう土蜘蛛の文字には飽きた。もっとためになる文字がいい」
「最後まで読めず諦めておきながらよく言うわ」
「読めないとは言ってねえ」
またいつか吾輩がこれを読み返す頃には、この子蛙も呑んだ知識で本当の大蛙になっているろう。しかし今のまさかはまだ子蛙だ。
【了】