アレは死んだ「カキツバタ、ほら書類!」
いつものブルーベリー学園。いつものリーグ部。いつもの日常。
ドサドサと置かれた書類に、彼はあからさまに嫌な顔をした。
「うげ〜多くね?誰かなんかやらかしたの?」
「始末書じゃないです!部長が当たり前に処理する物です!これでも私達が減らしたんですよ?」
「ええ〜。でもよぉ、全然どーでもいいの混ざってるじゃん絶対。ほらコレとか。テラリウムドームの天気がどうたらとかさぁ、そんなのドーム部の専門だろぃ」
「リーグ部の四天王は各エリアを任されてるんです!当たり前でしょ!?文句言ってないで、黙ってやる!」
「かったりぃよお」
「チョコレート食べない!書類が汚れる!」
「……へぇい」
交換留学生や特別講師に触発されたのか、これでも彼はマトモになった方だ。
あー、とか、うー、とかやりたくないオーラを出しつつ、嫌々仕事を始めてくれた。私は一先ず安心してその隣に座る。
「あれ?手伝ってくれるのかいタロさん?さっすが優し、」
「いいえ?レポート書くだけですが?」
「あ、そう…………」
「カキツバタはちゃんと課題やってるんですか?明日本土に帰省すると聞きましたけど、まさか放り出して帰るつもりじゃないでしょうね」
「片付けましたよぅ、ジジイに怒られるもん」
「怒られても無視して三留してるクセに」
「へっへー、ご尤もーっ!」
ふと、二人それぞれやるべきことをしてる間に不思議になる。
学園生の殆どが知らない話で、知ってても噂レベルの認知度だけれど、彼はジムリーダーの孫だ。そしてチャンピオンの義弟。そんな彼はなにやら現在進行形で実家と揉めているようで、滅多に帰ろうとしない。一応年に数度は集まりや顔出しの為に足を運んでるようだけど……
そんな彼が、突然の帰省。最近幾らか真面目になった点といいどうにも不思議で、訊いてみようと思い至った。
「それにしても、カキツバタが自分から実家になんて……なにか大事な話でもあるんですか?もしかしてとうとう卒業する気に…………」
「へっへ、まあ色々と煩くてねぃ。……卒業、出来たらいいなとは思ってるよ」
「!! えっ、ホントですか!?」
「ツバっさんだってそれくらい考えるさ」
ありふれた、それでいて大事な話だった。卒業する気になったのならそれはめでたい。私や先生達もこのちゃらんぽらんに悩まなくなるということだ。
そう喜んだのも束の間、不意に気付く。
彼の顔が酷く曇っていて、その目が何処か遠くを見つめていることに。
初めて見る表情に首を捻っていたら、直ぐにパッといつもの胡散臭い笑顔に戻った。
「ま、なるようになるってねぃ!卒業決まったら祝ってくれや!」
「それは勿論いいですけど。先ず進級してくださいよ、進級」
「善処しまーす」
「そこは『はい』って言う所でしょ!もー!不安で仕方ない!」
「へっへっへー」
なんだ、気の所為だったかな。
お互い止まりかけていた手を再び動かして、今日もいつも通り一日が終わって。
翌日彼は、予定通りイッシュ本土の実家へ帰省した。
………………そしてそのまま、戻って来ることは無かった。
いつもより少し静かな部室。
そこで私タロはコール音を鳴らすスマホロトムを凝視して、間も無く溜め息を吐いた。
「ダメです。やっぱり出ません」
「うーーん……そっか」
電話を掛けていた相手は、つい三日前に本土へ出掛けたリーグ部長カキツバタ。
「『直ぐに戻る』って言ってたのに……やっぱり変だよね?」
「うん。流石におかしいよ」
彼と連絡がつかないことに最初に気付いたのは、四天王仲間のネリネ先輩だった。
なにやらカキツバタの書いた書類に不備があったようで、でも大きなミスじゃないし確認して修正すればいいだろうと電話を掛けたのに、繋がらなかったと。
一日経った時点で交換留学生兼チャンピオンのハルトさんが「なんかおかしくない?」とは言ってたものの、皆「まあカキツバタだし」と気にしてなかった。けれど、あのカキツバタが三日も実家に留まるのは明らかに妙だし、電話に出ない理由も分からない。
メッセージも未読。完全な音信不通状態だ。部屋にも行ってみたが返事も物音も無かったから、誰も知らないうちに帰ってるわけでもない。
「そういえば俺、カキツバタの実家が何処とかなんで帰るの嫌がってるのかとか、なんも知らね………」
「オレもよく知らないけど。確かソウリュウシティ出身だったっけ?」
「あの街は色々ありましたが、それが原因ではないとネリネは推測」
「単に身内とソリが合わないだけでしょ。あんなちゃらんぽらん、どんな親でも将来が不安になるわ」
「うーーん……それだけなのかなぁ。お祖父ちゃんのこと『ジジイ』呼ばわりしてたし、留年してるのも考えると普通に険悪になっちゃってるんじゃ………全寮制の学校に三留して家に帰るのも嫌がるなんて、それほぼ家出だよ?」
流石はハルトさん。一番持ってる情報が少ないだろうに察しがいい。
私も薄々「これは殆ど家出じゃないか」と思っていた。でも踏み込むと本人が嫌そうにするから、周りと同じように接してたけど。卒業して欲しいのも本心だったけど。悩んでるなら相談してくれてもいいのに、そう一切感じなかったわけじゃない。
「あののんべんだらりが家出ねぇ」
「でも、それなら益々不思議だ。なして実家に行ったまま戻って来ないんだべか?」
「そこまでは僕にも分かんないけど……トラブルとかかな?」
「えっ、もしかして事故に遭ったとか!?」
「いやいや、だとしたら先生達が教えてくれるでしょ。皆『知らない』の一点張りよ?仮にもリーグ部長が戻れない程のことがあったなら誰かしらに伝えるわよ」
「ネリネも同意します。状況は不自然」
話す間にも電話やメッセージを繰り返すけど、応答無し。
こっそりとパパを経由してカキツバタの祖父シャガさんにも連絡を試してみたが、何故かそちらも返事をしてくれなかった。
「…………………………」
イッシュの交通情報を調べてみる。カキツバタが乗りそうなバスや電車で事故が起きたという話は無い。勿論飛行機も。
「なんなんですかね、一体……」
不審でしかない全てに、胸騒ぎがした。
皆は黙って考え込む。あんなのでも仲間で友人だから、消息が絶たれれば当たり前に皆心配する。カキツバタだって分かってる筈だ。
なのに無視するなんて。
いや、これは本当に無視なのかな?
「私、直接本土に行ってみます」
「!! え!?」
ただ待っているだけじゃ良くない気がして、そう立ち上がった。
「いやでも、先輩の家の場所分かるの!?」
「ネリネ達はソウリュウシティであることしか知りませんが」
「ま、まあ、一応心当たりはあるというか……」
「どういうことよそれ」
「もしかしてツバっさん、ジムリーダーと繋がりがあるとか…………?」
「まさかー!」
「ハルトは冗談さ上手いな!」
「いえしかし、そのような噂を耳にした覚えがネリネには……」
「噂は噂でしょ。鵜呑みにするなんて、ネリネは純粋ねえ」
ハルトさん鋭過ぎですよ。そのまさかなんです。まあバレたらカキツバタは良い顔をしないだろうから、そのまま流した。
普通の子供なら誇りに思いそうな"ジムリーダーの孫"という部分をカキツバタが隠したがる訳も、私は知らない。彼は広く浅く人と付き合う人間だ。ジムリーダー繋がりで前々から知っていた私相手でさえ、距離を置いていた。
これは彼の内面に触れるチャンスかもしれない。
そう前向きに捉えて部室を後にした。
急いで外出許可と次に来る飛行機の席を取って、簡単に纏めた荷物を手にイッシュ本土へと向かったのだった。
イッシュ地方ソウリュウシティ。
学園は寮制度だから、この街どころか本土を訪れるのも少し久しぶりだった。
でもまあカキツバタの家に行くだけだし、と宿のことや父親のことは考えずに、真っ直ぐあの立派な家へと進んだ。
「……ここ、ですね」
何度来ても豪勢で、到着するとつい再確認してしまう。
カキツバタがこんなお屋敷で育ったお坊ちゃんだって知ったら、皆ひっくり返るんだろうなあ。
段々嫌な予感は薄れてしまって、能天気にインターホンを鳴らした。
「すみませーん。ブルーベリー学園のタロです。カキツバタくんはいらっしゃいますか?」
……………………。
あれ。返事無いし誰も出て来ない。
「? なんだろ。もしかして間違……えるわけないか」
もう一度インターホンを鳴らす。
「ごめんくださーい」
すると、門の向こうでドアが開いた。
現れたのはカキツバタでもシャガさんでもない、見覚えの無い男性だった。
「あ、カキツバタくんのご家族ですか?連絡がつかないので来てしまったんですが………」
「…………ああ。貴女はヤーコン氏の」
「はい。娘です」
なんだか重苦しい空気が漂ってきた。天気が悪くなり始めた所為だろうか。
雨が降る前に退散したいので、私は重ねて問い掛けようとした。
「あの、」
そこで門が開けられて、前触れなくポーチのような物を渡される。
「? なんですか?」
受け取って、中身を見てみたら。
モンスターボールが六個入っていた。
ボールの中に居るのは、カイリュー、フライゴン、オノノクス、キングドラ、ジュカイン………ブリジュラス。
カキツバタの手持ちだった。
「え、あの、」
「アレは死んだ」
「……………………………………えっ?」
一瞬、どころか数秒掛けても意味が分からなくて、私は言葉を失う。
「カキツバタは死んだ。不慮の事故だったよ」
死んだ……?
カキツバタが、死んだ?
不慮の事故、で、死んだって?
「葬儀ももう済んだ。お引き取り願おう」
「え、ま、待ってください!ど、どういうことですか!?死んだって、なんで!?」
嘘だ。だって直ぐ戻るって、卒業するって。
『ま、なるようになるってねぃ!卒業決まったら祝ってくれや!』
四日前まで、あんなに、普通に、ちょっと暗い顔してたけど、でも、
無慈悲に門と扉は閉められて、ガチャンと鍵の掛かる音がした。
「………………死んだ?カキツバタが、」
不慮の事故…………
手の中にあった鞄とポーチが滑り落ち、私自身もその場に崩れ落ちた。
ポツポツと雨が降り出す。
「カキ、ツバタ。嘘、だよね?冗談…………」
実際彼は何処にも居ない。連絡も途絶えた。この家に来ても出て来なかった。
死んだ?本当に、死んじゃったの?あのカキツバタが?
こんな、突然。まだ、十代で、私達よりちょっと大人なだけだったのに。………死んだ?
「〜〜〜〜〜っ!!」
信じられなくて信じたくなくて、私は荷物を引っ掴んで走り出した。
強まる雨に濡れるのも泥だらけになるのも気にならなくて、急いでブルーベリー学園へ帰る。
「キミ、大丈夫?服が汚れて……」
乗務員さんの言葉も無視して飛行機から駆け降り、無我夢中で部室へ飛び込んだ。
「わぎゃ!あ、タロ先輩!」
「早かったわねタロ。どうだった……って、なんでそんなに汚れてるの?」
居ない。居ない。何処にも居ない。
いつも同じ場所で、同じように座ってたのに。
カキツバタは、何処にも居なかった。
「っ、ぁ、あ…………」
あ、そっか。
もう、居ないんだ。
「あれ?それツバっさんのポーチじゃ……なんでタロちゃんが持ってるの?」
「…………………………………………」
「タロ?大丈夫ですか?」
急に実感が湧いてきて、涙が溢れた。
「カキツバタ、死んだんだって」
「………………え?」
「は?」
「えっ、た、タロ、なに言っ」
私はまた膝をついて、人目も憚らず泣き叫んだ。
「え、う、嘘だ、死んだ?」
「カキツバタが………?ど、どうして?」
涙も声も止まらなくて、なにも言えない。なにも返せない。
「タロ先輩、先輩!そ、そんなの嘘だよね!?カキツバタ先輩が、だって、」
アカマツくんに肩を揺すられるけど、首を振ることしか出来なかった。
放心していた皆は徐々に現実を知って、息を詰まらせる。
「嘘…………カキツバタ、死んだの………?」
「ツバっさん………」
スグリくんが拳を握り締めて、壁を殴った。
「クソッ!!あのバカ、なんで!!」
他のリーグ部員達も私達の様子と発言で悟ってしまったらしい。混乱が段々と広がった。
私と同じように慟哭する人も居れば、スグリくんのように怒る人。アカマツくんみたいに取り乱す人。ハルトさん同様放心する人。
どれだけ喚いて騒いでも、あのふざけた男はやって来なかった。
「ドッキリだよ」と笑ってひょっこり出て来るんじゃ。そう思いたくても、居ないものは居なかった。
(なんでこんな。私、まだ貴方に一度も勝ってないのに。卒業するって言ったクセに。なんで、なんで、嘘吐き、嘘吐き、嘘吐き嘘吐き嘘吐き!!)
この日、リーグ部に差し込む光が一つ、消えて失くなった。
幾ら待っても泣いても、私達を愛していた筈の彼は帰って来なかった。