インタビュー【side 若林】
若林源三
「人にはリスクでも、自分にとっての幸福を考えた」
SGGKと呼ばれる男が居る。
今季から名門バイエルン・ミュンヘン(以下バイエルン)へと移籍した、日本の守護神。若林源三だ。
ドイツに渡ってから11年。古巣のハンブルガーSV(以下HVS)でプロデビューしてから、ブンデスリーガで日本人として最前線を戦ってきた。
このたびは、バイエルンへの移籍おめでとうございます。
「ありがとうございます」
若林は、そう言いつつもあまり晴れない顔をしている。理由を聞いてみると、栄転というよりも、元のチームから放出の形での移籍となったから納得がいかなかったという事らしい。しかし、バイエルンといえばブンデスリーガでは押しも押されぬ一強のチームであり、どんな形であれ、ステップアップである事は確実だと思うのだがー。
「ステップアップである事は確実だと思います。これから、GKとしてのレギュラー争いもかなり厳しくなるとも思いますし、やりがいも感じています。拾ってくれたチームにも感謝はあるんです。これは大前提として…まぁ、これは自分の意地みたいなもんですが、HSVでももうちょっと、胸を張れる結果を残して去りたかったというのはありますね」
本人はそう言うが、HSVからの事実上の戦力外通告は監督との衝突である事は周知の事実であり、決して若林の実力がチームにとって不足していたわけではない。それでなければ、あの名門バイエルンへと渡る事など、ここ数年のー…言葉を選ばなければ「拝金主義」なこのビッククラブへの移籍など、実力主義の欧州サッカー市場においては不可能なはずだ。
そして、若林といえば、オフシーズンにもう一つ世間を騒がせた出来事があった。
ブ ンデスリーガでの得点王、ユースの頃からの圧倒的実力で、ドイツで皇帝と呼ばれる男、カール・ハインツ・シュナイダーとの結婚である。
「おめでとうって言われるんですけどね。何だかまだ実感が湧かないです。交際自体は、ずっと何年も続いていたので……」
そう語る若林は、先ほどの表情とは逆に、少しだけ浮かれているようでもあった。
「シュナイダー…いや、カールとは、自分が初めて渡独した時にチームメイトになったのがきっかけで出会いました。今思うと、あの頃からの腐れ縁というか、何というか…まさか、こうなるとは思ってなかったですけど」
若林が、かつて代表監督も務めた見上辰夫とドイツへと渡ったのは、まだ彼が小学校を卒業してすぐの春だった。
「当時はありましたね。差別というか、日本人が来て何ができるんだって。簡単に言うと舐められてたんですよ。自分もこなくそ、と思っていてもまだ体も小さかったですし、中々努力に実力がついてこない事が続いて…。悔しい思いをする事が多かったです。チームメイトとの衝突もありましたし、ドイツ語もしばらくは話せなかったので、本当にフラストレーションが溜まっていて、性格もどんどん尖っていってしまって……。ただ、今考えてみれば、相手の身からすると、ある意味当然ですよね。守備の要のGKはコーチングも重要な仕事ですが、そのためには言語が必須条件です。なのに、そいつがカタコトなうえに常にイライラしている(笑)。これじゃあ勝てる試合も勝てません。なので、ディフェンダーとはなかなかうまくコミュニケーションを取り合うようになれるまで時間がかかりました」
ただ、そのおかげでシュナイダーとは仲を深める事が出来たという。
「彼がFWだという事がきっとよかったのだと思います。DFのように、俺のプレイに試合中直接イライラしていない(笑)だからなのか、まだ自分がドイツ語を話せるようになる前から、取るか入れるかという練習を二人で続ける事が出来たんです。彼自身も、ドイツ語を同じくらい話せないんじゃないかというくらい無口だったので、それもあるのかな(笑)それに、自分でいうのも何ですが、あの頃のチームの中で、俺とカールが上達に対して特に貪欲だったんじゃないかと思います。二人とも、ともかくもっともっとサッカーがうまくなりたかったんです。それにお互い、すごい負けず嫌いなので(笑)先に根を上げるのは嫌でした。ともかく、相手をまいったと言わせるまで練習してやると思っていたんですよ。なので、当時はスタジアムの電気を切られるまで、ほぼ毎日遅くまで残って練習していました」
日本が優勝した事で話題となった、国際ジュニアユースの第一回の大会。伝説的な決勝戦になったドイツvs日本の対戦で、若林とシュナイダーの初めてお互いに対しての認識が少し変わった。
シュナイダーはその頃からドイツ随一の有望株で、HSVの下部組織からバイエルンのトップチームへの移籍が決定していたのである。
「ドイツとの対戦で、初めてシュナイダーが”対戦相手”になりました。今までの練習では何回とも止めていた彼のシュートですが、本当の敵になると、また感覚はまったく違うんだなと感じたんです。彼があのままHSVに居たら、今みたいな状況にはなっていなかったかもしれないですね。私生活だけでなく、自分もまだブンデスリーガに残っていたかどうかもわかりません。あの決勝戦は、チームメイトのおかげもあって勝つ事が出来ました。ただ、あの一戦からシュナイダーへの対抗心が高まったのは事実です。敵のチームで、彼のシュートを止めてやるという事が、ドイツでプロでやっていく事のひとつの原動力でした。HSVのチームメイトも、うちから出て行ったシュナイダーが活躍しているわけですから、当然気持ちはよくないところもあります。ドイツのチームは、サポーターに特におらが町のチームみたいな土地意識が強い場合が多いというか…日本でチームを応援する感覚とは、少し違うんじゃないかなと感じますね。シュナイダーがホームに対戦に来た時なんかとてつもないブーイングが起こったりしました。そんな環境なので、選手達の中にも対戦意識みたいなものが強く芽生えるのは当然です。俺もカルツ(※ヘルマン・カルツ/ドイツ代表、HSV所属。仕事師の異名を持つDF。)も、シュナイダーとは昔馴染みなので、逆に絶対に負けたくないという気持ちを特に強く持っていました。バイエルン戦というのは毎回特別な試合だったんです」
そんな色々な経緯があった中で、プライベートではシュナイダーと若林は交際をはじめていた。
「私的な事なので、経緯はあまり話したくないんですが…。色々あって、まぁ付き合う事になったんですよ。俺もあいつも元々はゲイではないと思うんですが…まぁ、もうなるようになったとしか言えないですね。そのへんも別に男女の付き合いと同じだと思いますけど」
スキャンダルで失脚するプロスポーツ選手は少なくないが、欧州のトッププレイヤー同士のカップルというのはかっこうのゴシップのネタになりそうな内容だ。今ではこんなにオープンにされている関係も、本人達から発表があるまでは本当に一部をのぞき、誰も知らなかった。
「色々聞かれるんですが、そもそも俺たち自身は性別が同じ…という事よりも、同じリーグの中の対戦チームの選手同士が親密である事が公になるのは、プロスポーツ選手である自分たちのデメリットになると考えていました。俺もあいつも、別にサッカーとは別のプライベートな時間で付き合っている訳ですから、仕事の事には干渉しません。別チームならばなおさらですし、移籍について噂が出た時も絶対にその事については触れませんでした。ただ、その事をいくら説明しても、付き合っているという時点で疑われても仕方がない。だから、しばらくは隠して生活しようという話をしていたんです」
関係を前進させ、表立って公表しようというきっかけは若林のバイエルン移籍だという。
「これまでにも、バイエルンからの移籍の打診は何度かあったんです。でも、自分の矜恃みたいなもので全て断っていました。ミュンヘンに行けばカールと暮らせるかもしれませんが、サッカーの事とプライベートの事はまた別の事というか…今でもお互いの事はもちろん大事に思っています。でも、自分たちはプロのサッカー選手であるという意識の方が大きいんです。そのあたりの価値観が合っているからこそ、彼と生活できているのかもしれません。ただ、HSVから事実上の戦力外通告を受けてバイエルンからも話が来たという時、自分の下手なプライドよりも、出場機会をもっと狙っていきたいという純粋なサッカーをするための動機で初めてバイエルン移籍に対して心が動いて、ハンコを押す事にしました。」
晴れて同じクラブに所属するという事になった時、若林は改めてシュナイダーと話し合いを設けた。
「この先、お互いの所属チームが変わっていく事はプロスポーツ選手ならば考え続けなければいけない事です。でも、同じチームに所属できる状況というのも、またとない機会なんじゃないかと思いました。結婚するなら今しかないな、と思ったんです」
若林の提案を、シュナイダーは冷静に受け入れた。逆に、自分もその事を切り出すか迷っていたと告げられたのは、しばらく後になってからだった。
彼自身は子供の頃、サッカー選手でもあった父親(現バイエルン監督)のルディ・シュナイダーのHSVでのスキャンダルとゴシップに巻き込まれた事で、サッカー選手の社会的意義について常に深く考えていたという。
「カールは、”バッシングや差別は受けるかもしれないが、人にはリスクだとしても、自分にとっての幸福を考えよう”と言ってくれました。現役のサッカー選手が、同性愛を公表した事は世界広しといえど、ほとんど例がありません。それで、俺もカールも、その事で逆に決心がつきましたね。こんなにプレイヤーが世界中に居るのに、ゲイが他に居ないなんて事は絶対にありえないんです。ただ、このスポーツを取り巻く環境が、あまりにもカミングアウトを困難にしている。だから、俺たちが先陣をきってみようというチャレンジです。困難は大きいほど、乗り越えた時の達成感が大きい事を俺もカールもわかっています。何せ、今までに数え切れない困難な局面を乗り越えてきました。サッカー選手ですからね。それこそ、バイエルンとの対戦で何度も経験してきましたよ(笑)。他の世界中のみんなが、自分たちと同じようにそれぞれの幸福な選択をしてくれるきっかけになれば嬉しいかな」
そう答える若林の顔は、少し不安げに見えた取材前よりも、スッキリと晴れやかな表情になっていた。左手に光るシルバーの結婚指輪を笑顔で少し見つめてから、記者の視線に気づいて照れたように頭をかいた。
「まぁ、もの珍しいと思うので、しばらくはこういったインタビューばかりになる事は覚悟しています」
ただー…そう続けた後の男の目は、勝負を賭けた世界に生きるいつも通りの鋭いものだった。
「矛盾もしているようですが、チームで活躍して、そういえばあいつら結婚してたんだっけ?というくらいになるのが理想ですね。カップ戦に強い事は対戦相手だったのでもちろん知っていますが、実際、バイエルンはCLも取れていないですから。まずは、CLでも登録選手に選んでもらえるように、実力を発揮したいと思います。代表の方も、あと2年でワールドカップです。オリンピックが終わったかからといって、まだアジアの予選は終わっていません。同じように欧州で頑張っている翼や日向も脂にのってきている。Jリーグも盛り上がっていますよね。今の年代なら、夢でなくワールドカップで優勝を狙えると思っていますし、自分がGKのうちは無得点で決勝戦まで通過させますよ」
勝気な表情は、資料にある小学生の頃と変わらない、根っからのサッカー小僧のものだ。
日本の守護神はある意味しらがみから解放されて、さらに日本サッカーを高みに連れて行ってくれるにちがいない。■
++++++++++
【シュナイダーside】
カール・ハインツ・シュナイダー
「彼との関係は、常にリスペクトで成り立っている」
ドイツの皇帝との取材はこれで数回目になるが、今回は今までよりも穏やかな環境で行われる事になった。
同室に、彼と結婚(正確にはドイツでの同性とのパートナーシップ制度を結んだ)をした、若林源三が同席してくれているのである。
取材を受けてくださってありがとうございます。
「こちらこそ」
今回は失礼なのを承知で、サッカーの事がメインでないインタビューですみません。
「かまいません。こうなる事は、自分たちの選択で予想できていた事ですし、私が答える事で少しでも行動に社会的意義が生まれれば嬉しいです」
(若林「なんか妙に改まってるな」)
若林選手とのご結婚、おめでとうございます。彼との関係はどのようなものだと考えていますか?
「アリガトウゴザイマス(笑顔になり日本語で)。単刀直入に言えば、彼との関係は常にリスペクトで成り立っています。そのリスペクトとは、お互いに、サッカーに対してとても真摯であるという事です。私も彼も、サッカーのために生きているといっても過言ではありませんから、多分お互いよりもサッカーボールとの会話の方が多いでしょうね。家に帰ってもサッカーの事を話していて、時々自分たちは病気じゃないかと思いますよ。朝起きてサッカーの話をして朝食とコーヒーをとり、一緒の車でクラブハウスへ行って、サッカーの練習をし、帰りに寄った食堂で練習の反省点を話して、家に帰ってからテレビのサッカー中継を見ているんです(笑)」
それはすごいですね(笑)
「だからこそ、このような事になったんだと思います。正直、お互い以外にこの病的な生活に耐えられる人間が居るとは思えません(笑)」
若林選手は、今季からバイエルン所属になりました。どのような事を期待しますか?
「私は身内だからといって、ひいき目で見る事はありません。これから、彼はレギュラー争いを勝ち抜かなくてはいけない立場なので、まだ試合での活躍の話をするのは時期尚早でしょうね。ただ、個人的には一緒にCLの決勝戦のピッチの上に立っていられたら嬉しく思います。リーグ戦ではほぼ首位を独走できるチームですが、CLにおいては、中々決勝までコマを進める事ができないでいます。点を取る事が勝利には絶対条件ですが、負けないためには点を取られない事も絶対条件になるので、源三に期待したいです。してもいいんだよな?(背後の若林に確認をとる)」
(若林「まかせろって言う以外ねェだろ!」)
若林選手へのインタビューで、お二人がご結婚を決めた理由をお聞きしました。
「そうですね。私たちはプロのサッカー選手である事を一番に考えています。父がサッカー選手であった事もあり、世間や社会にこの職業が与える良い影響はないものかと考えていました。サッカーをして勝利を収める事が第一ですが、しかし、それ以外にもサッカー選手だからこそできる事というものがあると考えています。私たちのようなカップル…いや、パートナーが増える事によって、どのような形であれ人は自由であるという事を、世間の皆さんに知ってもらう事はできる」
ご結婚を決めた時、ご家族はどういった反応でしたか?
「もともと、私たちは子供の頃からの知り合いです。母は、少し驚いたようでしたが、すぐに受け入れてくれました。妹は少し反対しましたが、源三を交えて何度か食事に行って、理解してもらえました。今では、私が源三に嫉妬するくらい妹と仲が良くなってしまったんですよ!妹を返して欲しい!(笑・若林「今度、ふたりで買い物に行く約束をしています(笑)」)…ただ、父の説得には、中々骨が折れました。もともと源三の選手としての素質はかっているんです。ただ、プライベートとなると…。隠してはいましたが、いつ何が起こるともわかりませんから、家族には交際をはじめて一年ほどで源三との事は打ち明けていました。彼も、日本の家族には連絡していたようです。父も交際までは特に何も言いませんでした。サッカー選手としての本分を忘れていなければ問題がなかったのでね。しかし、結婚して公表すると言った途端。すぐに心のシャッターを閉められてしまいました(バタン、といって扉を閉めるジェスチャー)。自分がスキャンダルで役職を辞めた事もあり、世間を賑わせるような事をしてほしくなかったんです。」
では、まだ認めてくれていないんですか?
「いえ、こういった事はブンデスリーガどころか、世界中のサッカーリーグで今までなかった事ですから、私は父を説得してからでないと、彼とは結婚できないと思っていました。家族にも絶対に何かしらの負担がある事ですから……。父親とはいえ、オフの日にも、自分のチームの監督とずっと顔を突き合わせて険悪な表情で向かい合うのは本当に苦痛です。私が頭を抱えているのに、源三は”OKOK”などといって鼻歌交じりで、私の車の運転手をしていました。彼のいいところはポジティブなところですが、時々横顔を張り倒したくなったのも事実です(笑)……ただ、最終的に、父が折れてくれました。息子が人生を自分で決める事を認めてくれたのです。今では、家族として源三を認めてくれていますよ。次のクリスマスはきっと彼も一緒にディナーを食べる事になると思います。私も源三も、サッカー選手であるという事が自分たちの一番の価値観だという事がわかってもらえたのが一番の要因だと思いますね」
それはよかった…!
若林選手のご家族には会いましたか?
「はい。とても良い人達でした。(笑顔で一瞬後ろを振り返る)彼の素晴らしいお母さんと、お父さんとは源三の通訳で話す事が出来ました。そして、彼の兄は医者をやっているんですよ。なので、彼の兄弟もドイツ語をネイティブ程ではありませんが、話すことができるんです。これには、私も驚きました。ですから、源三がいない時も、お兄さんから電話がかかってきて話す事があります。日本でも、ブンデスリーガの事をニュースで取り上げる事があるそうですね?あとは、何かミュンヘンで事件や事故が起きた時、心配して連絡をくれます。とても優しくて善良な人達です。ドイツよりも日本の方が法の整備が遅れていると聞いていて、正直会う前は少しナーバスになっていたのですが……。もともと、源三が交際中から私の事を説明して、説得してくれていたと聞きました。だから、はじめて会った時も全員とてもフレンドリーに接してくれて、嫌な思いはひとつもしなかったどころか、私は家族になれた事を嬉しく思っています。」
最後に、今季のバイエルンでのご自身の目標をよろしくお願いします。
「何よりも、まず点を取る事です。私はFWですから、やはり何よりもそれが重要ですね。ともかく、チームを勝たせるためには、いくらGKが優秀であろうが点を取らなくては意味がありません。バイエルンには私だけでなく、優秀なストライカーが居る事は事実ですが、リーグの誰よりも自分が点をとる事を目標にしています。これは決して個人的なタイトルが欲しい訳ではなく、私が確実にチームの勝利に貢献できるのはその方法が一番近道だからです。自分のやるべき仕事をして、リーグ戦を優勝し、さらにCLのカップを掲げたいですね。個人的には、怪我をしないように気をつけてプレイしていきたいです。いつも万全なプレーと勝利を観客の皆様に届けたいと思っています」
お時間いただいて、ありがとうございました。
「ドウイタシマシテー(笑顔になり日本語で)。源三、これでいいんだっけ?日本語は難しいですが、彼の両親と会話をしたいので少しは覚えたいんです。」■