恋人の日 帝国領が拡大したことに伴って海向こうの文化が伝言ゲームのようにアバロンまで届くようになってきた。
今日の「恋人の日」というのもその一つらしい。具体的にどういった日なのかまではまだ詳しく知られていないにも関わらず、若い女官などがその言葉の響きだけではしゃいだ顔をしているのをジェラールは1日微笑ましく見ていた。
そんなあやふやながら平和な1日が終わろうとしているころ、読書に勤しむジェラールの自室にノック音が響く。
「どうぞ。」
ドアの方を見もせずにただ一言許可を出す。失礼します、という挨拶とともに姿を見せたのは見慣れた天色の瞳。
彼もまた慣れた様子で室内に歩みを進めるとジェラールに勧められるまま隣に腰を下ろす。
「やあ、ヘクター。」
「こんばんは。」
目を合わせて短く挨拶と微笑みを交わす。
「夜分にすみませんが、ジェラール様にご相談したいことがありまして。」
改まってそんな物言いをするヘクターが一枚の紙を差し出す。
「手紙を書いてみたいんですが、何を書いたらいいものか検討がつかなくて。俺の恋人はどんな手紙を書いたら喜んでくれるか教えてくれませんか。」
ジェラールが彼の手にある真っ白な便箋に柔らかな眼差しを注ぐ。
「君も恋人の日とやらに流されたようだね。」
ええまあ、とすました顔をするヘクターにジェラールは一つ笑みをこぼす。
「何も難しいことは考えなくていいのではないかな。書き手が書きたいと思ったことを書けば良い。」
そういうと、ジェラールは手元の本の表紙を捲ると、1通の封筒を彼に差し出した。
「こんな風にね。」
差し出された自分宛の手紙をヘクターは一瞬目を丸くしてから受け取る。
「…俺の考えることなんてお見通し、ってことですか?」
彼の頬が少しばかり赤く見えるのはジェラールの気のせいではないだろう。きっと自分も同じような顔をしているから。
「言っただろう?『君も』流されたようだね、と。」