大きな大根分かりやすく気持ちが落ちる日がある。
理由は特になく、目が覚めた時から気持ちが重い。
授業をしていても教師の言葉が頭に入ってこず(それでも当てられれば答えられるのだが)、実技で体を動かしてもなんだか上手くいかない(こちらもまた組手していても負けることはない)。
何してもどこか消化不良で、学園長が朝から出かけているから委員会もなしになれば自室に戻ってごろりと床に横になって。
深く息を吐いて、目を閉じた。
僅かに浮上した意識。
鼻に届いたいい匂いに薄らと目を開けた。
ああ、寝ていたかとそこで思う。
体を起こそうとして上にかけられた何かに気づいた。手に取るとそれは五年生の忍服。自分のでは無い。けれど裏地は自分のものと同じ。
つまりは、これは雷蔵のものだ。
腕を床について上体を持ち上げる。
いい香りの正体を部屋を見回してさがせば、それは机の上にあった。
やきたてのボーロだ。湯気こそでていないが、匂いが部屋中に充満している。多分これは中在家先輩が作ったものだろう。私が部屋に来た時はなかった。でも今はある。ここは私と雷蔵の部屋。疑うことなく、これを持ってきたのは雷蔵だ。
ボーロを置いて、私に上衣をかけて、出ていったのだろう。
ぐう、と腹がなった。障子の外が薄暗い。かなりの時間寝ていたようだ。
今日色々と上手くいかなかったのは眠かったからだろうか。睡眠は十分に取っていたつもりだったんだが。
ぐぅ。
ふたたび腹が鳴る。ボーロの匂いのせいだ。しかし流石に勝手に食べるわけにはいかない。とりあえず食堂に行ってみるか。何かあるといいけど、と思い立ち上がった瞬間、障子が開いた。
「あ、起きたね、三郎」
「らいぞお」
「いひひ、まだ眠そうな顔してるな。ご飯持ってきたよ。今日食堂のおばちゃんがいないって言われてただろ。だから皆でご飯作った。お前寝てたから持ってきたけど、食べるかい?」
思い出した。そうだ。今日はおばちゃんがいないから、学年ごとに食事を作る予定だった。担当は先日組ごとに数人決めて、自分は違ったが雷蔵は担当になっていたはずだ。
皿や碗の乗った盆を持つ雷蔵に、眉を下げると頭を下げる。
「すまない。食べるよ」
「無理しなくていいからな。お前今日なんかずっと調子悪そうだったし」
「体調が悪いわけではないさ。ただ、なんか歯車が噛み合わない感じがしていただけだ」
「そう。身体になにかあるわけじゃないならよかった」
雷蔵はそう言いながら部屋の中へと足を進めて、私の前に盆を置いた。みればそれは二人分の食事。
「君も食べてないのか?」
「お前と食べたかったからね。食べたあとまだ腹に余裕があったらボーロも食べよう」
「そんなに入るかな」
「お前は僕より食が細いよね。食べないわけじゃないからいいけど」
「雷蔵は思ったより食べるよな……あ、そういえばこれありがとう」
手に持っていた上衣を雷蔵に差し出すと、それを受け取って肩に羽織った。
食べよう、という雷蔵の言葉に二人で手を合わせ、盆を挟んで向き合って食べ始める。
米と豆腐の味噌汁と根菜の煮物と冷奴。兵助も担当になっていたか?と考えた。米も少し柔らかくなりすぎだが問題ない。普段食事を作らない自分たちが作ればこんなものだろう。ふと見ると煮物の大根の大きさがバラバラだ。器に盛られた大根を箸でつまんで目の前に掲げる。
「煮物の野菜、もしかして君が切ったか?」
「うん、よくわかったね」
「そりゃあ君、こんな大雑把な切り方するの食事担当になった奴らを考えたら君くらいしか思いつかない」
「えー、そうか?」
「そうだよ」
笑いながらパクリと口に入れた。
少しだけ味が濃いめ。恐らく煮物担当は雷蔵だ。確実に。大雑把なのに何故か美味い。入れながら加減を調整するから少し濃くなってしまうだけで。
「美味しい?」
「美味しいよ。今日は芯がなくていい」
「いひひ。褒められた」
肩を揺らして笑う雷蔵をみて、もぐもぐと口を動かす。
なんだか胸の中のもやついていたものが、少しだけ無くなったような感覚。肩の力が少しだけ抜いて、今度は冷奴を口にした。
ふと雷蔵をみると、一瞬驚いたような顔をして、眉を下げる。なんだろうと思えば、茶碗を盆に置いて手を伸ばしてきた。
「らい」
「三郎は、頑張ってるもんなぁ」
「え」
私より骨ばった太い指が、目元に触れた。
濡れた感覚に思わずその指を視線で追うと、雫がついていた。なんだ、これ。
「あったかいご飯って、なんか安心するよね」
親指で目元を拭われて、頬を撫でられて、自分が泣いていることを自覚した。
満足気に笑う雷蔵の笑顔に、更にぼろりと涙が零れた。
「あったかいうちに食べてしまおうか。三郎」
「……ああ、そうだな」
君にしかこんな姿見せられない。
泣きながらご飯を食べる姿なんて、恥ずかしい。
「今日は布団をくっつけて寝ようか」
味噌汁を飲んだ雷蔵の言葉に、口の中に入れた米をごくんと飲み下して。
涙を零しながら「いいのか」と問うた私に、雷蔵は「いいよ」と笑った。