その日は風が空気を切り裂き吹き荒れていた。
そんな中、桜花の飛行訓練の一つである零戦を使っての滑空訓練を天幕から見上げていると、びゅうと一段強い風が吹き抜ける。
風に舞い上がる砂丘の砂がバチバチと頬に当たると思わず煙草を持った手で顔を抑えてしまった。すると煙草の先端に残っていた灰が風で舞い上がる。それを目で追っていると錬太がこちらを見て居ることに気がついた。
「すまねえ。服焦げなかったか?」
「いや、当たってへんよ。」
錬太はそう言うとサッと視線が逸らし、頭上の零に視線を向けた。
ぽってりと厚い唇をきゅっと結び、空を見上げる錬太の視線につられて俺も視線を上げると、エンジンを切って滑空する零が風に煽られバランスを崩した最中だった。
零は高度をガクリと下げると、やむを得ずエンジンを起動させたのであろう、起動音が鳴り響きプロペラが回転をし出す。
こんな風の強い日が俺の滑空訓練の日でなくてよかったとホッとため息を吐くと、無線機に向かい怒鳴り散らす教官の声にビクリと思わず身体が反応した。恐る恐る横目で教官を見やると、視界の端に立つ錬太と再び視線がかち合う。
「どうした?」
目線が合う訳が気になり問うてみても、勿論、錬太からは「何もないよ」の返事しか返ってこない。
以前から錬太はこっそりと俺のことを見つめてくることが多かった。俺がその視線に気がついて居ることを本人は知らない様子だが、ふとした拍子にこうやって視線がかち合う。その度に訳を聞いても「何もない」とはぐらかされて終わりだった。
熱心に向けられる視線は、どんな意図が含まれて居るのかは皆目検討がつかない。だが、錬太のような聡明で操縦の腕も上手い男に注目されるのは悪い気はしなかった。
今行われて居る零戦での滑空訓練も錬太がこの隊の中で群を抜いて上手く、俺たちの中でいち早く桜花での降下訓練に進めたのは錬太だけだった。
また視線を逸らし俯く錬太に、当てずっぽうで問うてみる。
「煙草吸ってみる気になったか?」
今まで何度勧めても吸おうとしなかった煙草を口元まで差し出してみた。
「一口喫めよ」
ほいと唇に吸い口が当たるほど近づけてみると「だっっ!!」と謎の声を上げ、顔を赤くし硬直をする。
錬太は吸い口をしばらく見つめたのち、ぎぎぎと油の切れたブリキの様な動きで俺の顔を見上げてきた。吸っても良いのかという確認だろうか?それに応える様に首を縦に振ると、またギギギと音が鳴りそうな首の動きをさせながら吸い口に唇を寄せた。
皆と群れず、人と距離を置くこの男とここまで話せる仲になるのには時間が要した。
よく話す間柄になってもどこか心の壁を感じていた。だが、いくら勧めても吸うことのなかった煙草を錬太が初めて受けてくれたことに一歩前進したと顔が綻ぶ。
耳まで赤くし懸命に顔を寄せる姿を見、ふとまるで雛に餌付けをしているみたいだと心の中で独りごつ。
やがて錬太は煙草から口を離すと俯き肩で息をしていた。ウブなその姿を見ると胸の中にじわじわと温かな気持ちが広がった。