黒星を追う 6-1〇前回のあらすじ
暗号を見事解いた五人は無事爆弾犯を取り押さえる事に成功。
そして、類はとうとう司に想いを打ち明ける。
―――
「『水曜の午前十一時、裏通りにある○○喫茶店、壁際の席で待て』、ねぇ…」
「もしかして、Xが自ら来るってことじゃ…」
「それはないよ。類が自分を追ってるって知ってるみたいだし」
先日捕まえた爆弾犯の所持品に紛れていた僕宛ての封筒。中身は前回と変わらずWordで文字を書いているので筆跡は分からない。文面も簡素で、男か女か判断できない。分かるのは、日時と場所。そこでなにかしらの情報を得られるという事だ。罠でなければ。
ギッ、と椅子の背もたれに深く腰掛ければ、寧々が僕の方に顔を向ける。「どうするの?」と問いかけてくる寧々は、僕の返事を聞かなくても予想できているのか、表情が少し強張って見える。
「勿論行くよ」
「罠かもしれないのに、単身で乗り込む気?」
「まさか。【一人で】とは書いていないのだから、皆で乗り込んであげればいいんじゃないかい?」
「いいね! それさんせー!」
僕の言葉に、瑞希が手を挙げる。そんな僕らを見た寧々は、深い溜息を吐いて片手で額を押さえた。
文面には日時と場所の記載しかない。僕一人で来るように、とは記載がないのだから皆で行っても問題はないはずだ。一人で行くと言えば寧々も反対するとは思うけれど、皆で行くなら反対もしないだろう。
すると、黙って手紙をじっと見ていた東雲くんが、顔を上げる。
「オレらを誘い出すための罠ならどうするんすか?」
「一応調べてみたけど、指定の店は今も営業中の喫茶店のようだから、何かを仕掛けるとしても、白昼堂々と起こすには難しいと思うよ」
「そうだね。一般人もいるかもしれない店内にボクらを全員閉じ込めてドッカーン、なんてこともできないだろうしね」
「……いや、相手は指名手配の犯罪者なんだから、なにがあってもおかしくねぇだろ」
東雲くんの言葉も一理ある。一般人に手を出さない、なんて僕らの常識が通じる相手ではない。実際にXが巻き込んでいるのは、その一般人だ。他人の憎悪を誘発し、犯罪に手を染めさせる。計画書は見つかっても、Xについての証拠や痕跡は見つからない。警察を煙に巻き、お遊びの様に事件を起こさせている。そんな犯罪計画者。
だからこそ、罠だとわかっていてもこれは好機なんだ。Xの正体を知る為に、少しでも情報が得られるなら罠にも飛び込む必要がある。
「勿論、店内に入るのは僕と瑞希、寧々の三人で。東雲くんは店の外で待機し、何かあればすぐ動けるようにしておいておくれ」
「まぁ、それなら」
「念のため、二人は僕とは違う席に座って、万が一に備えてもらうよ」
こくん、と寧々も頷いてくれて、僕はあらかじめ用意しておいた指定場所の店内図を机上に置く。と、不思議そうな顔をした瑞希が顔の高さに手を挙げた。
「一人くらい類と一緒に座ってもいいんじゃないの?」
「仲間と一緒にいるのを見て警戒されても困るからね。相手がどんな人物かもわからない以上、こちらの手は隠しておく必要があると思うんだ」
「それなら、店に入るタイミングもずらした方がいいかな」
「類が先に入って、ボクたちは少し時間をあけてから入ろうか」
「それがいいね」
座る席の場所も確認し、話を進めていく。何かあれば、インカムで連絡を取り合い、万が一情報を提供してくれる相手を拘束する必要があった際はその場で拘束。逃走しようとした時に備えて東雲くんは店の外で待機。念のため、指定された店の周辺の地理は頭に入れておいたほうが良いかな。
「…今回の件、司には話さないの?」
「何があるか分からないのに、司くんを巻き込むわけにはいかないからね。終わってから報告するよ」
「……そう」
なにか言いたげに口を閉ざした寧々はそれ以上何も言わなかった。
元々、司くんは一般人だ。お人好しで好奇心旺盛だから僕らの捜査にも協力してくれているだけで、危険な目にあわせるわけにはいかない。それに、この件が片付いたら、僕はこの国を出なければならないからね。
(告白しておきながら、返事を聞く気はないなんて、彼が知ったら薄情だと怒るかな)
懐いてくれて、その素直で明るい性格に惹かれた。一緒にいて癒されるというか、安心するというか…。彼が出迎えてくれるあの店に通えなくなるのはとても残念だけれど、それでよかったのかもしれないね。このままだと、彼を攫ってでも傍に置きたいと思ってしまいそうだ。
なんて冗談を頭の中で思い浮かべて、くすっと小さく笑みを零す。こほん、と一つ咳払いをして、もう一度手元の資料に目を向けた。
*
(十時五十五分…)
スマホで時間を確認し、店の扉を開く。カラン、カラン、とベルの音が店内に響き、店員の男性がこちらを振り返った。「いらっしゃいませ」穏やかなその声に会釈で返し、店の奥へ入っていく。壁際の席はどこも空いているようだ。その内の一席の前で足を止め、入り口が見える方の席へ座る。他の客は二組。店員は三人。僕の他に窓際の席に座っている人はいない。他の席の客の中に、誰かを待っている様な様子はない。一人で静かに本を読む女性と、デートの最中なのか、楽しそうに話す二人組、そして、注文した料理を食べる男性が一人。
「ご注文が決まりましたら、お声がけください」
水の入ったコップを置いた店員は、一言そう言うとカウンターへ戻っていった。それを横目に、テーブルの下を軽く確認する。テーブルの裏に何かが貼られた様子はない。足元にも何もない。もしかして、他の席になにかあるのだろうか。そう思って体を傾けて軽く覗くけれど、何かがありそうな様子はない。それなら、やっぱりここに誰かが来るのだろうか。
指定された時間まで後二分。一体どんな人がココに来るのか。もしX本人なら、何を企んでいるのか。
「いらっしゃいませ」
カラン、カラン、とまた入口のベルが鳴りだした。ちら、と見てみれば、寧々と瑞希が入ってきたようだ。二人は僕とは違う席に座った。通路を挟み、仕切りで殆ど顔も見えない席だ。けれど、相手の様子はこっそり見る事が出来るだろうね。打ち合わせ通りの配置についた二人を横目にカップの取っ手を持つ。そのカップに口をつければ、また店の入口でカラン、カラン、と音がした。
入ってきたのは、ラフな格好をした男性が二人。きょろきょろと店内を見回し、僕を見ると真っすぐこちらに歩み寄ってきた。「失礼ですが」と声をかけられ、顔を上げる。
「白海さんですか?」
「…はい、そうです」
「お待たせしてすみません。私たちはこういう者です」
「……記者の方、ですか」
テーブルを挟んで向かいの席に座る男性が、名刺を僕の方へ差し出してくる。そこに書かれていた名前の上には、雑誌社の名が書かれていた。確か、ゴシップ記事も取り扱っている週刊誌を発行している会社か。それよりも、Xから指示された店に彼らが来たというのは、どういう事だろうか。
もしかして、彼らが僕らの知らないXの情報を持っている…?
「私は風間と言います。こっちは瀬田です。本日は、白海さんに協力させていただきたく、お時間をいただきました」
「…協力、ですか」
「はい。実は、私たちは以前からある犯罪者の情報を集めておりまして」
にこ、と作り笑いを浮かべる男性に、僕も笑顔を張り付けて返す。
そう来たか。つまり、僕らへのヒントとはこの人たちの情報ということなのだろうね。けれど、それを鵜呑みにするには不審点が多すぎる。第一に、何故僕が『Xを追っている』と知ったのか。今までの現場で僕に会った事があるとしても、警察と思うことはあっても、『特定の犯罪者を追っている』とは辿り着きづらいはずだ。記者としての情報収集力という理由だけでは弱い。
となれば、彼らに『その情報を提供した人物』がいる。
「前置きはいりません。本題をお願いします」
「…昨日、こんなものが当社に届きましてね、ここで貴方に届け物をしてほしいと書いてありました」
「へぇ」
僕の言葉の意味を察したのか、風間さんが鞄から封筒を取り出した。A4サイズの封筒から出て来た紙がテーブルの上に置かれ、僕はそこへ目を向ける。Wordで打たれた文字はには、いくつかの指示が書かれている。
指定の日時に、指定の場所へ行き、『白海カイ』という男に会え。もう一つの封筒の中身を、そいつに渡せ。そんな簡素な指示に、そっと息を吐く。
僕と友好的にしろという指示はないから、開口一番の申し出は彼らの独断だろう。それなら、何故あんな言い方をしたのか。黙って風間さんの顔を見れば、彼はにこりと笑ってテーブルに肘をつくと、組んだ両手の甲に顎を乗せた。
「取引しましょう、白海さん」
「…取引、ですか」
「えぇ。貴方宛てのこのお荷物をお渡しいたしますので、私たちにもお話しいただきたいんですよ」
面白い記事のネタになりますので。そう付け足した風間さんの言葉に、眉を顰める。
成程、こっちが目的か。手紙の指示を見て、記事のネタになると思い、大人しく指示に従うふりをして、情報を得ようという魂胆だろうね。話さなければXから届いた封筒の中身も見られない、と。なんとも厄介な状況だ。下手にXの情報を渡すわけにはいかないというのに。
それに、封筒の中身が何かもわからない以上、安易にこの話に乗るのも恐ろしい。万が一にも新たな情報が得られなかったり、Xの罠だった場合はこちらに不利益が出る。かといって、返事を保留にしてまた後日という事にしても、彼らがそれに乗るとも思えない。封筒の中身が本当にXの情報であったなら、中身だけ奪うことも彼らには可能だろう。それを先に記事で公開されるのも困る。
「先に中身を確認しても?」
「それはできません。大事な交渉材料ですから」
「でしたら、貴方たちが中身を抜いていないという証明はできますか?」
「…このように、封はしっかりと閉じておりますよ」
長方形の小さな封筒が、テーブルの上に置かれる。「見るだけですよ」と念を押す風間さんをちらりと見て、封筒へ目を向けた。表向きに置かれた封筒に変わったところはない。風間さんが封筒の端を親指と人差し指で擦ってみても、折り返した部分がはがれる様子はない。確かに、封筒の封は閉まっているようだ。同様に、横に穴が開いている様子もない。彼らが先に中身を確認した、ということはなさそうだね。となると、この中身が気になるけれど、膨らんでいる様子が見られないから薄いモノだろうね。もしくはとても小さいものか。どちらにしても、Xがわざわざ僕宛てに指示をしているというのだから、何かあるのだろうけれど…。
素性も怪しいこの二人にこちらの情報を提示するのは避けたい。けれど、そしたらこの中身は見られない、か。こうなる事を予測して、Xも彼らに預けたのだろうね。僕を困らせる策を良く思いつくものだ。
(適当にはぐらかして、なんとか封筒だけでも手に入れられればいいけれど…)
難しいね。相手は二人組だ。二人が同時に封筒から視線を逸らすなんて機会は中々ないだろう。幸い空の封筒は鞄の中にあるから、機会さえあればすり替えられるかもしれないけれど、その機会が来るか。ちら、と別の席に座る寧々たちに目を向ければ、二人がそっと頷いて返した。上手く隙が出来れば、二人に協力してもらって、すり替える事はできるだろう。それまで、この二人との会話を上手く引き伸ばさなければ…。
珈琲のカップに口をつけ、ゆっくりと傾ける。焦っても仕方ない。相手は一般人だ。犯罪者を相手にするより楽な相手だろう。そう自分に言い聞かせ、にこりと笑顔を作る。
「ちなみに、そちらが欲しい情報とはなんでしょうか?」
「貴方が関わっている今回の事件について、教えて頂きたいんですよ。分かっている情報だけで十分です。こちらは読者が食いつくネタを提供いただければそれで充分なので」
「ふむ…。以前解決した事件の方が、詳しくお話できるかと思いますが?」
「いえいえ、謎に包まれた犯罪者を必死に追う警察官と、そんな警察官を華麗に躱して犯罪を行う指名手配犯。これを記事にした方が、民衆の不安を煽り雑誌が飛ぶように売れるでしょう」
笑顔でそう返す風間さんに口角が攣りそうになるのを耐え、笑顔を張り付ける。成程。中々にイイ性格をした記者だ。下手に情報を渡して、面白可笑しく脚色されても困るね。提案を断るのが一番かもしれないけれど、Xがそこまでして僕らに渡そうとしている情報が何かは気になる。
と、そのタイミングでずっと黙っていた瀬田さんが席を立った。「失礼」と僕に断りを入れ、なにやら風間さんにこそこそと何かを話している様だ。そして、そのまま通路に出て店の奥へ向かっていった。その先にあるのは、店内に設置されたトイレだ。
(…これで風間さんが気を逸らしたら、封筒をすり替えられるかもしれないね)
鞄からこっそりと未使用の封筒を出し、珈琲のカップを持つ。飲むふりをしながら時計に視線を向ければ、タイミングよく着信を知らせる音が響いた。僕のではない。ジャケットのポケットに手を入れた風間さんは、自身のスマホの画面を見ると僕の方に顔を向けた。
「すみません、少々いいですか?」
「えぇ、どうぞ」
「失礼します」
席を立った風間さんがスマホを耳に当てる。「もしもし」と機械越しに相手へ話しかける風間さんを横目に、手早く空の封筒を重ねる様にテーブルの上に置き、最初に置いてあった方の封筒とすり替える。それを通路側の椅子の上へ置けば、瑞希が席を立った。トイレに行くふりをして、瑞希は僕らのテーブルの横を通る。さっと封筒を取り、それを上着の内ポケットに忍ばせた瑞希は、トイレに向かっていく。インカムから、≪回収成功≫と短く瑞希の声が入った。次いで、≪そのまま先に店を出て東雲くんと合流して≫という寧々の指示が入る。≪車を回します≫という東雲くんの声も聞こえてきた。これで、瑞希と寧々が先に東雲くんと合流したら、僕も撤退できるね。
トイレの前で待つ瑞希と入れ替わりで瀬田さんが席に戻ってくる。風間さんも通話を終えたようで、「失礼しました」と僕の向かい側に座り直した。にこりと笑顔で返し、珈琲を一口飲む。すぐに提案を断っても怪しまれるからね。もう少し話に付き合ってから、頃合いを見計らって抜け出そう。
「それで、取引の件ですが、どうでしょうか?」
「…ちなみに、その封筒以外になにか入っていませんでしたか」
「いえ。先程お見せした手紙以外には何も」
「そうですか」
風間さんも瀬田さんも、テーブルの上の珈琲カップを片手に持ってこちらの反応を窺ってくる。その視線に気付かないフリをしながら、僕はスマホを手に取った。すい、すい、と画面をスクロールして、数日前に遭遇した事件現場の写真を出す。
「そうだ、こちらの事件の方が面白い記事が書けるかもしれませんよ」
「…」
「事件解決までの一部始終を警察関係者に取材した、なんて売り文句はいかがでしょう?」
「…はぁ、生憎と、そういう話題には興味ないんですよ」
予想通り、風間さんは難色を示す。そんな彼に肩を落とし、口元に手を当てた。「そうは言っても、僕の権限で安易にお話するわけにはいきませんので」とそう口にすれば、彼は身を前に乗り出した。封筒を手に持って、ひらひらと僕の目の前でそれを振る。
「では、こちらは必要ないと?」
「…情報は必要ですが、無理な提案はお引き受けできそうにありませんね」
残った珈琲を飲み干して、鞄から財布を出す。中から千円札を一枚出し、それをテーブルの上に置いた。風間さんはそれを見て驚いた様に目を丸くさせる。その隣で、瀬田さんは珈琲カップに口をつけた。
「今回のご提案は、無かったことにいたしましょうか」
そう一言笑顔で言えば、風間さんが勢いよく席を立ちあがった。そんな彼の後ろで、瑞希がトイレから出てくるのが見える。タイミングはちょうどいいかな。「待ってください」と風間さんが大きな声を発し、僕はそちらへ目を向けた。
その時、彼の隣で低い呻き声が聞えて来た。
「う゛、…っ、」
「え…」
思わずそちらへ顔を向けると、苦しそうに首を押さえて のたうつ瀬田さんが視界に入る。ガシャン、と珈琲のカップが割れ、驚く風間さんが通路の方へ後退る。そのまま、瀬田さんはテーブルの上に上半身を投げ出すような形で倒れ込んでしまった。
「瀬田さんっ…!」
店内に女性の悲鳴が響き渡る。カウンターにいた店員が戸惑いながら電話をかけようとする姿が視界の隅に映った。寧々の方へ視線を向ければ、彼女は一度頷いて慌てて瑞希と共に店から出ようと早足に動き始める。けれど、その瞬間、店内の扉が勢いよく開いた。
「警察だ、全員その場から動かないように」
聞き慣れた言葉と共に、数名の警察官が店内に入ってくる。寧々と瑞希もその場に立ち止まり、苦虫を噛み潰したような顔をする。真っすぐに僕らのテーブルへ近付いてきた警察官に、僕は小さく舌打ちをしてしまった。
あまりにも、到着が早すぎる。店員がそんなに早く連絡をしていた様子はない。なんなら、まだ連絡もしていないのではないだろうか。それなのに、このタイミングで警察が到着するのはおかしい。ということは、あらかじめ“こうなることが分かっていて待機していた”という事だろう。もしくは、こうなる予定で、警察を店の外に呼んでいたか。どちらにしても、厄介な状況に変わりない。こうなったということは、この次の展開もおおよそ予測できてしまう。
「被害者は瀬田智一さん、二十八歳。死因は毒物による中毒死ですね」
「被害者と一緒にいたのは、貴方たち二人で間違いないですか?」
「はい、そうです」
誤魔化しても仕方がないので、警察の質問に正直に答えていく。
ある人物から預かった手紙をここで受け取る話になっていた事。二人とは初対面であり、店に来てからは三十分と少ししか経っていない事。話し合いが上手くいかず、解散しようとしていたところだったことも話をした。初対面の僕に動機はないけれど、彼らには疑われているのだろう。怪しむように僕を見る刑事さんに、にこりと愛想笑いで誤魔化した。
現場の写真を撮りながら、鑑識の人達が何かを話している。毒物は割れた彼のカップから検出されたようだ。トイレに行く前にも彼は珈琲を飲んでいたので、毒物が入ったのはその後だろう。けれど、僕も風間さんも、彼のコーヒーカップには触れていない。僕と風間さんはずっと顔を見合わせて話をしていたから、怪しい動きをしていれば気付いたはずだ。となれば、風間さんに毒を盛ることが出来なかったと僕が証言することになってしまう。
けれど、それはあまり良くない展開だ。
「壁際にいた瀬田さんの珈琲カップに毒を盛れるのは、風間さんか白海さんの二人となりますね」
「毒を持ったとしたら、瀬田さんがトイレの為に席を立った後。隣に座る風間さんに、毒を入れている素振りは見られなかった、と」
瀬田さんの席は壁側で、通りすがりに毒を盛るのは不可能だ。隣に座っていた風間さんにも毒を盛る機会はあるけれど、そんな素振りは見られなかった。僕も入れてはいない。けれど、状況だけを見ると、僕の場合は“機会”がある。
「瀬田さんがトイレで席を立ったのと同時刻に、風間さんは電話で席を立っている。その時この席にいたのは白海さん、貴方だけだ」
「…そうなりますね」
「となれば、毒を盛るチャンスがあったのは、貴方だけということになりますね」
予想通りの言葉に、奥歯を強く噛む。そう、僕には“気付かれずに毒を盛る機会”があった事になる。実際に、その時封筒をすり替えることが出来たのだから、毒を盛ることも可能だっただろう。そんなことはしていないけれど、それを実証するのは難しい。といっても、彼らにも僕を犯人と断定する“物証”がないので、証拠不十分で逮捕は免れるかもしれないけれど…。
手荷物検査の結果、僕の鞄から毒物を入れていただろう瓶や容器は見つからなかった。持ってきていないのだから当たり前だけれど。これで、僕が毒物を持ち込んだと実証するのは難しくなる。
と、刑事さんが風間さんの方に顔を向けた。
「ちなみに、ここで渡すはずだった“手紙”というのは」
「あ、この封筒です。会社の方に白海さんへ渡してほしいと先日届きまして」
す、と風間さんが、鞄から封筒を取り出した。それは、僕がすり替えた何も入っていない封筒だ。しまった、と気付いた時には遅く、「無いっ…!」と風間さんが顔色を青くさせてそう大きな声を上げた。中身のない封筒を覗き込み、「ないっ…ないっ…」と口にする風間さんを、刑事さんも「落ち着いて」と宥めている。
そんな風間さんは、僕の方を見ると人差し指をこちらへ向けて来た。
「貴方が盗んだんですね…!」
その一言に、その場にピリッと緊張が走る。まずい。この状況では余計に悪手だ。近くの席でこの状況を見ている寧々と瑞希は大丈夫だろうか。幸い、僕の鞄にその封筒はないので、僕が取った証拠はない。まぁ、そもそもこれは僕宛ての封筒なので、盗むもなにもないけれど。
「中身だけを抜いて、どこかに隠したんだっ…!」
「落ち着いてください。その封筒の中身が何かはわかりませんが、僕が取ったとしたら、僕の荷物のどこかにあるはずですよね?」
「私も中身は知りませんから、とても小さいモノで、服の中に隠している可能性もありますよ」
「…でしたら、身体検査でもなんでもお引き受けしますよ」
騒ぎ立てる風間さんに、刑事さんの僕へ向ける視線が鋭いモノへ変わっていく。窃盗の容疑はまだしも、このままではこれを動機に殺人の容疑も押し付けられてしまいそうだ。それだけはどうにか回避しないと。かといって、犯人に繋がる手掛かりが無さ過ぎる。
死因は毒物による中毒死。毒を盛る機会があったのは、現状僕だけ。隣に座っていた風間さんの犯行は、僕が見ていた限りではとても難しい。そして、僕が受け取るはずだった封筒は、僕がこっそりとすり替えて瑞希が持っている。二人が先に店を出れていれば良かったのだけれど、早過ぎる警察の登場に逃げるタイミングを完全に失った。今の所怪しいのは僕と風間さんだから、寧々たちに警察の目は向いていない。どうにかこのまま犯人を上げて、封筒の件はバレないように…。
「身体検査をしましたが、何も出てきませんね。荷物の中に使用済の封筒らしきものもありません」
「これで僕の容疑は晴れましたね?」
僕の服や荷物を確認した警察官の言葉ににこりと笑って返す。すると、そんな僕をじっと見ていた風間さんが、ぼそりと小さく口を開いた。
「…仲間がいるのかも…」
「な、仲間…?」
「例えば、僕らの席の近くに座っていた人とか…。その人たちに盗んだ封筒の中身を渡してたら…」
ざわ、っと店内にいた人たちから戸惑う声が零れる。「俺じゃないぞ」「僕でもない」と口々に言い始めた他の客に、冷や汗が背を伝い落ちた。すると、風間さんがちら、と寧々と瑞希の方へ目を向ける。
震える手で真っすぐ瑞希を指さして、彼は「あの人…」と口にした。
「あの人、が…確かトイレに行くときに私たちのテーブルの横を通りました」
「っ…ぼ、ボクっ…?」
「きっとその時に、こっそり中身を渡して…!」
彼の言葉に、瑞希が表情を引きづらせる。寧々も戸惑うような表情で僕の方を見た。そんな二人に、ぎゅっと、握りしめた拳へ力を入れる。
やられた。最初からこの状況を作る為に、“態と”すり替えやすい状況を作ったのか。飲み込めない条件を提示して僕を困らせ、やむを得ずすり替えを行うよう誘導し、実行しやすいように僕から視線を態と逸らした。最初から、僕を嵌めるつもりで…。
瑞希の荷物から封筒が見つかり、鑑識にそれが手渡される。指紋の照合で、僕の指紋も出てきてしまったことから、警察は風間さんの話を信じた。窃盗と殺人の容疑で、僕の手に手錠がかけられる。同時に、瑞希の手にも手錠がかけられた。
「まッ…!」
慌てて寧々が反論しようとするのを首を横へ振って制し、≪今は駄目≫と口の動きで彼女に伝える。ここで寧々が反論すれば、寧々もすぐに捕まってしまう。幸い警察がこの店に来た時、二人はすでに席を立っていた。だから同じ席に座っていたとバレていない今なら、寧々だけは逃げられるかもしれない。東雲くんと寧々が協力すれば、僕らの冤罪を晴らしてくれるだろう。その為にも、寧々にはそのまま黙っていてもらわないと困る。
「詳しい話は署の方で」
そう言って、刑事さんが僕らを入り口の方へ誘導する。黙ってそれに従い、店内を進んだ。入口の扉を開けて外へ出ようとすれば、「類さんッ!」と僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
「…司くん……?」
そこにいたのは、泣きそうな顔をした司くんだった。