「これは一体どういうことなんですかねぇ……」
ふと気がつけばフレイムチャーチの巡礼路に立ち尽くしていた。
東の空には朝日が昇って、鳥たちのチチチと鳴く声が聞こえる。
「私の記憶が間違っていなければ……昨夜は確か、自宅に帰って新しく手に入った本を読んでたんですよね……」
懸命に昨晩の記憶を引っ張り出す。
「でも読んでるうちに少し眠気を感じて……」
そこから記憶が無いので、睡魔に負けてそのまま寝落ちしてしまったんだろう。
「え?まさか私、寝ながらここまで歩いてきたんですか?」
まさか30にしてもう徘徊癖がついたのだろうか。……とにかく、ここでボーッとしてても始まらない。とりあえず家に帰らないと。
いつもより道の悪いボコボコした巡礼路を下って、自宅へと急いだ。
+ + +
「これは一体どういうことなんですかねぇ……」
見慣れたはずのフレイムチャーチの町並みを見ながら、思わず先程と一言一句変わらないセリフが飛び出してしまった。
別にヒノエウマ地方のように不毛の砂漠に変わっていたとか、ニューデルスタのようにネオン煌めく華やかな街になっていたとかいう訳では無い。
ただ……何かが違うのだ。
(あの家に住んでいるのはあんな若い夫婦じゃなくてご老人だけだったはず……。それにあの店は雑貨屋ではなくパン屋のはずなのに……)
他にも羊の数が違ったり、教会の屋根の色が変わっていたりと、本当に些細な違いだが、ここは明らかに私が住んでいるフレイムチャーチではない。
もしかして、ここは……と思考の海に沈み始めた意識は、一人の男性の声によって現実に引き戻された。
「テメノスさん?」
「…………え?」
忘れるはずもないその声。
まさか、そんな……と、ゆっくり振り返ってみると……。
「やっぱりテメノスさんだ…!おかえりなさい!」
あの頃とまったく変わらないクリック君がいた。
「…………」
「ずいぶん早かったんですね!一週間はティンバーレインに滞在するって言ってませんでした?」
「…………」
「まぁいいや。向こうでの聖火教の講演、お疲れ様でした!慣れない場所で過ごして大変だったでしょう?少しゆっくりして……」
「クリック君」
はしゃぐクリック君の声を遮る。
「ど、どうしたんですか?」
「クリック君。今の聖堂機関の機関長は誰ですか?」
「え?誰って…オルトですよ。テメノスさんも知ってるでしょう」
「……では、クリック君はまだ聖堂機関に属しているんですか?」
「はい、一応は。でも今は現教皇の護衛として大聖堂に勤務してますけど」
「…………」
「あの…テメノスさん、やっぱり疲れてるんですか?だったら早く休んだ方が……」
「では最後の質問です。……クリック君、貴方はカルディナの手によって命を落としたのではないのですか?」
「……いえ、確かに一時は危なかったそうですが、テメノスさんやキャスティさんの治療のでおかげで一命を取り留めました」
「そうですか……。ありがとうございます、クリック君。おかげで確信しました」
「確信?」
「はい。ここは私が本来いた世界とは違う世界……、俗に言うパラレルワールド…のようですね」
+ + +
突拍子も無さすぎる私の発言に、てっきり驚くかと思ったが、意外にもクリック君は落ち着いていた。
「パラレルワールド……つまり今僕の前にいるテメノスさんは平行世界から来た…ってことですか?」
驚いた。まさかクリック君がそんな言葉を知っていたとは。……いや、それよりも。
「……なんですかその顔。これでもこっちのテメノスさんと一緒によく本とか新聞とか読んでるんですからね」
「いえ、そうじゃなくて……。私の言うことを信じてくれるんですか?」
「もちろんです。たとえ違う世界から来たんだろうと、僕はテメノスさんの言うことなら信じます」
「………ありがとう、ございます」
……あぁもう…本当に、君は……。
「あの……一つお尋ねしてもよろしいですか?」
思わず零れそうになる涙を堪え、強引に話題を変える。
「なんですか?改まって」
「もしかして……こちらの世界の私とクリック君は、すでに婚姻関係にあるんですか?」
「うぇっ!?ち、ちちちち…違いますよ!ただ…僕の一方的にテメノスさんを好きなだけで……あ」
面白いくらい真っ赤ですねぇ。どうせ君のことだから、「僕なんかがテメノスさんとそういう関係になるなんて烏滸がましい!」…とか思ってるんでしょうけど。そんなの多分…いえ、ぜったい杞憂ですから大丈夫ですよ。
(…………)
もしあの時、もっと早くにクリック君を見つけていたら…いや、あの時彼を一人にしなければ…私も今頃はクリック君と一緒に……。
そんな考えがフッと過ぎった。でもそれは一瞬のことで、すぐに脳内から追い払う。
(……やめましょう。そんなことを考えたところでどうにもならない)
その時、何やら視線を感じて顔を上げると何かを思い詰めたような表情のクリック君と目が合う。
「テメノスさん……、もしかして貴方の世界の僕は……」
「……えぇ、カルディナの手によって命を落としました。此方の世界の君と違い、私が発見した時には、すでに……」
「そう……なんですね」
二人の間に沈黙が流れる。
何か言わなくてはと思うが、どうにも頭が上手く動いてくれない。
「あの……」
先に口を開いたのはクリック君の方だった。
「あの…もし行くところが無いなら、テメノスさんも…ここで一緒に……」
誰より優しい彼が何を言いたいのか悟った私は、彼の唇を人差し指で塞ぐ。
「いえ、遠慮しておきましょう。違う世界とはいえ同じ人間が二人もいたら、どんな影響があるかわかりませんし……」
(それに…此方の世界の私と君の取り合いなどしたくありませんし…ね)
私は、私の仔羊君がいつか迎えに来てくれる日を待っていよう。
その時、私の体が淡く光り始めた。
(あぁ……元の世界に戻るのでしょうか)
「テメノスさん!?体が…光って……!」
「さて…と。クリック君、お礼を言わせてください。久しぶりに君とお話出来て嬉しかったです」
だんだん目の前の景色がぼやけ、クリック君の姿も識別できなくなっていく。私の声、聞こえてるでしょうか。……どうせならあらん限りの大声で教えてやろう。
「それからクリックくーん!『テメノス』はきっと君が思ってる以上に君にベタ惚れですからねー!さっさとくっついてしまいなさーい!!」
最後に見たのは、さっきと同じ真っ赤になったクリック君の顔。
うん、彼ならきっと大丈夫。………多分ね。
+ + +
……カーテンの隙間から差し込む太陽の光で目が覚めた。
今度は巡礼路ではなく、見慣れた自宅…の机の表面。本を読んでいるうちに寝落ちしたまま朝を迎えたせいか体が痛い。
「…………」
カーテンを開け、見慣れた町並みを見渡す。
ヒノエウマ地方のように不毛の砂漠に変わっているわけでもないし、ニューデルスタのようにネオン煌めく華やかな街になってるわけでもない。
いつものご老人は朝の体操をしているし、パン屋の煙突からは煙が立ち上っている。
羊の数も教会の屋根の色も変わらない。
「……戻ってこれたようですね」
さて、無事に戻れたお祝いに…お祝いに………。…何をしようか。とりあえず…朝食にしよう。
そういえば今日は久しぶりの休日だった。
じゃあ…まずはクリック君のお墓参りに行こうか。
最近は忙しくてろくに会いに行けなかったから彼に怒られるかもしれない。
そして積もる話も終わったら、一つ約束を取りつけさせてもらおう。
「……私は精一杯生きてみせますから。その先で必ず迎えに来てくださいね、クリック君」