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    Mozuku_under

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    Mozuku_under

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    歌劇学校編

    檜上のカルテット「……歌劇、ですか」
     意外にも、最初に反応を示したのはエラ・エズモンドだった。
    「そう。君たちには歌劇学校へ行って、調査をしてもらいます。サブスタンスの影響と思しき現象が発見されたらしいんだけど、詳しい情報が得られなくてね。学校の関係者が関わっている可能性があるので、見学と称して潜入の形を取ることにしました」
     司令室に集められた四人のヒーローは司令の話を聞きながらも、周囲に視線を向けていた。ライズ・トゥルースと、ノア・ハーフェナー。エラ・エズモンド、そして、エラリー・フォックス。口に出さずとも、なぜこのメンバーで、という疑問を全員が抱いていた。
    「細かいことは向こうで連絡するから。質問はあるかな?」
    「あの、」
     黙って話を聞いていたノアが手を挙げる。
    「私とライズさんはともかく。知名度のあるエラさんとエラリーさんが行っては、先方にはヒーローが来たと警戒されてしまうのでは?」
     単刀直入な質問に司令が頷く。唯一のルーキーであるライズは、メンター三人の様子を窺っていた。
    「だからこそ、ですよ」
     司令は頷いて、にこりと笑ってみせた。
    「潜入だと言ったでしょう。あくまで表向きは、パフォーマンスの向上を目的とした演劇体験。エラとエラリーを呼んだのには、ちゃんと理由があります」
     司令が立ち上がって、二人の前に立つ。エラは品のある微笑を崩さずに、エラリーは怪訝そうな顔で彼を見た。
    「君たちは華やかで、ヒーローの活動でも人目を引くだろう。それを踏まえての判断です。ライズとノアには影で動いてもらうから、二人の動きが見えなくなるくらい、できるだけ派手に動いてくださいね。実力のある君たちなら何かあったときのサポートもできるでしょう」
    「それは、まあ……」
     直接的な賛辞に、エラリーはきまり悪そうに目を逸らした。
    「そして。……そろそろ新人の子たちにも、緊張感が必要になる任務を経験させた方がいいと思ってね。ノアとライズは判断力に優れている。周囲の人間にどう見られているかも客観的に判断できるだろうから、有事のときに引き際を見極められると思ってこの編成を組んだ。存外に思うかもしれないけれど、私は君たち四人を高く評価しているんですよ」
     ライズが背筋を伸ばす。
    「とはいえ、慣れない任務だ。危険性は薄いから気負わずやりなさい。楽しんで、というのも変だが、学生たちに上手く溶け込みながら、自分たちの役割をこなすように。発表会もあるようだしね」
    「発表会」
     不安そうにライズが呟く。
    「こういうことを習いました、っていうお披露目の場だよ。君たちならできるでしょう?」
    「ええ、もちろん」
     三人が思案する間もなく、ノアが無鉄砲に言い切った。

    **********

    「ノアくん、すごく目立ってるって聞いたんだけど!?」
     個室の鍵を閉めて開口一番、エラリーはノアに詰め寄った。
     初日を終えて、四人は寮に集まっていた。学生たちと同じく二人一部屋を与えられた四人は、エラとエラリー、ライズとノアに分かれて過ごしている。
     ここは、有名な歌劇学校の姉妹校。「最近は知名度が上がってきたけれど歴史はまだ浅いから積極的に宣伝してほしい」と学校の関係者から繰り返し念を押された四人はカリキュラムをギリギリまで詰め込まれており、自由行動ができる頃には日付が変わろうとしていた。
    「……ええと、勉強が楽しくなってしまって……。けれど、そのおかげで演劇論の教授から声をかけられましたよ。研究室に呼んで頂いたので、さりげなく探ってみるつもりです」
    「それなら……」
    「一応、順調だと見ていいのではないですか。私たちが勝手に入るわけにはいきませんし。エラリーさんと私はちゃんと、言われた通りに目立てていますよね?」
     エラの問いにライズが目を泳がせて、助けを求めるようにノアを見る。ノアは何のためらいもなく口を開いた。
    「ああ、……すごく噂になっていますね。エラさんとエラリーさんが恋仲なのではないか、と」
    「…………」
    「学生の方に聞かれました。十人くらい」
     小さく溜め息を吐いて、エラがエラリーに視線を向ける。エラリーはそれをわざとらしく避けて、控えめに手を振った。
    「……いや、違うんだよ」
    「あのね、エラリーさん。遊びに来たわけではないんですよ」
     小さな子供に諭すように、穏やかな口調でエラが言う。
    「まだ何も言ってないじゃん!?」
    「どんなことを言われましたか?」
     慌てるエラリーをあえて無視して、エラはノアに尋ねる。
    「待ってエラくん……」
    「そうですね……。エラリーさんにエラさんの場所を聞いただけなのになぜかはぐらかされただとか、自分のことならにこやかに話してくれるのにエラさん絡みのことは異常なくらいガードが固かっただとか、エラさんの後ろ姿を校内SNSに上げていた学生を特定しようとしていたとか……」
    「ボクも同じ講義の子に似たようなこと言われた」
    「でもね、考えてみてよ。エラくんはすごくモテるからさ、ただ講義を受けてるだけでも悪い虫が寄ってくる可能性が────」
    「男子校なのに……?」
     信じられない、とでも言いたげな目でライズが言う。
     演劇専門の学校ゆえに女性の衣装を着た人間があちこちで歩いている環境でも、一応は男子校だ。
    「美しさに男も女もないよ……!」
    「エラリーさん」
    「気を付けます……ライズくんはすごいね、一番年下なのに、何も問題を起こさなくて……」
     返す言葉も見つからず曖昧な笑みを浮かべながら、ライズは思う。言われたことをやってるだけで、特にすごいことをしているわけじゃないのに、と。
    「────あ、そうでした。台本が届いたのでお配りしますね」
     重くなった空気を無視して、ノアが冊子を取り出した。
    「届いた……? ノアくんが書いたんじゃないの?」
    「いえ、こういった方面に通暁した知人がおりまして。ヒーローの方ですので守秘義務に関しては問題ありません」
    「すごい、本格的だぁ……」
    「私が皆さんの詳細を説明した上での当て書きですから、演劇経験がなくとも問題ないだろうと。恐らくレベルも合わせて頂いています。それと、名前を知られるのが嫌だとのことでしたので、学校には私が台本を書くとお伝えしてあります」
    「立ち位置と動きまで書いてある……こんなに丁寧な台本を書いてきて名前も明かしたくないなんて、ずいぶん控えめというか、繊細な子なんだろうね」
    「……そうですね」
     間を置いて、ノアが目を逸らした。
    「学校にある台本を使ってもいいとの話だったのですが、最悪の事態を想定してこちらで用意しました」
    「イクリプスの襲撃ですね」
    「戦闘が入ると動きが変わる可能性もありますから。サブスタンスの反応に気付いた場合でも、観客に台本と違うことをしていると気付かれるのは避けたいですしね。とはいえ、舞台構成を考える前にサブスタンスの系統は見極めなければいけないのですが……ライズさんの予想はどうですか?」
    「えっ、ボク?」
    「ええ。一番校内を観察できていたのはライズさんかと思いまして」
    「えっと……危険性が分かりやすいものなら、きっと隠さずに対処するでしょ。毒素が発生するとか、爆発するとか。だから隠したくなるような何か────ある程度向こうに、歌劇にメリットがあるのかなって。例えばノアさんのサブスタンスみたいに精神に影響を与えるとか……」
    「確かにね。ライズくんは、明日の予定は?」
    「調べたいことがあるから、図書室と講堂に行こうと思って」
    「……では、今日は一旦解散ということで。四人で長時間集まっていると気付かれると面倒ですし、ひとまず体を休めましょう」

    **********

     翌日の深夜。日常的なレッスンの上に、発表会に備えた自主練習。詰まりに詰まった予定に少し疲労を見せながらも、再び四人が集まった。
    「何か情報は得られましたか?」
    「はい」
    ノアがエラの問いに笑顔で返して、制服のジャケットから何かを取り出す。
    「思った以上の収穫でした。まずはこれを見てください」
     ワイヤレスイヤホンのようなものが机の上を転がった。
    「なにこれ?」
    「研究室から盗ってきました」
    「だめじゃん! 何してるの!?」
     エラリーが困惑した声を上げる。ライズはもう驚いてすらいなかった。
    「棚の上に置いてあったのですが、ちょうど本を移動するときに落としてらして。ばれないように片方だけ拝借しました。こうやって」
     再びそれを指先でつまんだノアが手を握って開いて、袖の中に落としてみせる。マジックのような慣れた手つきに、エラリーは眉を顰めた。
    「うっわ……」
    「片方は触っていませんので、無いことに気付いてもきっと、どこかに落としたのだと思うことでしょう。今日は本をお借りしたので、返しに行くときにこちらも戻してきます。……ところでこちらを見て、何かおかしいところに気付きませんか?」
    「ヒーローが人のもの盗んでること……?」
    「そうではなくて」
    「イヤホンにしては小さいですね」
     ノアの手元を覗いて、不思議そうにエラが言う。
    「ええ。これはイヤープロテクターなんです。主にライブ用の耳栓として使われているもので。以前見たことがあったのでもしかしてと思って形状を調べてみたところ、型番が一致しました」
    「それが何の……あ、歌劇に耳栓を使うのか、ってこと……?」
    「ライズさん、その通りです。私たちは体験入学なので音響関係の設備をお借りしますが、学生の方々はオーケストラ等の生演奏で舞台に立つわけですよね。耳を傷めるほどの大きな音を聞くことはほとんどないはずなのです」
    「実技講師の方ならともかく、演劇論の教授に耳栓は少し引っかかりますね。他の方は?」
    「舞踊の講師と、清掃の方が付けているのも確認しました。教授のものとはデザインは違うように見えましたが」
    「それなら、音に関係するサブスタンスだと仮定してもよさそうだね。ライズくんは何か分かった?」
     話を振られて、ライズがこくこくと頷く。鞄から取り出した小さめのノート────これは本人のものだろう。それには何らかの製品の型番と、年度と思しき数字が並んでいた。
    「外では話さないでねって言われたんだけど。周りの子に学校の話を聞いたとき、設備の不満を言う子が多くて」
    「設備?」
    「姉妹校の方は最新設備をアピールしてるのに、この学校は全然改修が入らないんだって。それで機材とか設備とか、そういうものの設置年度を調べてみたの」
    「なるほど。そういう着眼点が」
     数字を指でなぞりながら、エラが呟く。
    「結果を言うと、創立してから改修は入ってなかった。確かに業者を外から呼ばなきゃいけないほど古くはないけど、姉妹校から持ってきた設備もあるのに。特にこういう学校は公演で外部のお客さんも呼んでるから、変化がないと逆に不自然に見えそうだし……」
    「難しいね。無関係なオレたちは簡単に入れるどころか、むしろ歓迎されたのにさ。舞台設備のことをよく知っている人は入れたくないのかな」
    「やはり意図的に何か隠していると踏んで間違いなさそうですが、行動は制限されていませんよね。学校の中も普通に案内して頂けましたし。情報が漏れていないのは単純に、把握できている人の数が少ないのでは?」
     ノアが首を傾げる。
    「……あ、だからか」
     エラリーが、納得したように呟く。
    「何か?」
    「例えば学校側が全部知ってて同じ耳栓を配っていたとしたら、隠蔽したことの証拠になっちゃうでしょ。耳栓をしてない人もいるってことは、効果のある人が限定しているか、良い意味でも悪い意味でも講師に周知されていないかだ。向こうが協力してオレたちを排除することは無いかもしれないけど、証拠のない人を問い詰めると逆に怪しまれそうだね」
    「数人の講師が気付く程度の異変が起こっていたとしても現状維持を貫きたい、といったところでしょうか。徐々に外部の評価が高まっているのは事実ですからね。ノアさん、もう少し深掘りして頂いても?」
    「了解しました。……明日が勝負ですね」
     ノアが頷いて、時計を見上げる。
     最終日は目前に近付いていた。

    **********

    「例のものはきちんとお返ししてきました」
     会場の裏で、ノアが説明する。個室ではないため、声の大きさを最小限にして。
    「その後お話を伺ってみたのですが、あの耳栓を持っていたのは『大きな音が鳴ったときに耳を痛めるから』とのことでした。けれども音の原因は分からないと。音声も撮っています」
    「これで、ほとんどサブスタンスの影響だって確定できるね」
    「講義内容を確認しても彼が実技指導をするものは存在しなかったので、サブスタンスは音に関係するものと見て間違いはないと思われます」
    「そこまで調べたんだ、っていうかどんなお話の伺い方をしたの……」
    「いえ、そんな大袈裟な素振りは。……大抵の人間は、無知を装って矢継ぎ早に問いかけていけばいつかボロを出すものでして」
    「脅してないよね!?」
    「見方によっては」
    「まあまあ。……原因がある程度分かったとはいえ。私たちの役割は彼らの糾弾ではありませんので。サブスタンスを回収して、平和的に任務を終えましょう」
     エラが話を切り上げて、会場を見つめる。公演の際にしか開錠されないこの場所でサブスタンスを探す機会は、もう二度と訪れない。
     つまり、これが、発表会の本番が最初で最後のチャンスだった。
    「ライズくん大丈夫? 緊張してる?」
    「人前に立つの苦手だから緊張してたけど、今はあんまり。考えることとやることが多すぎて、逆に落ち着いてるかも。エラリーさんは?」
    「オレも似たような感じかなぁ。何が起こるか分かんないけど、頑張ろうね」
     あと十数分。舞台の幕が、上がろうとしている。

    **********

    「我がサーカス団に栄光あれ!」
    「「我がサーカス団に栄光あれ!」」
     真っ暗な舞台で、張り詰めた声が響く。
     二つの足音が去った後、ゆるやかにライトが点く。厳粛に思えた声を振り払うように、華美な見目の人間が歩き出した。
    「御機嫌よう、私は流れ者のサーカス団でございます! 星のように雪が舞い散る北国から、波が輝き太陽を招く南国まで! はい、はい! 渡り鳥さながら、どこへでも参りますとも!」
     広い舞台の中央に、長髪の男が一人現れる。
    「……ああ、失礼! 申し遅れました。私はリングマスター、案内役のノアと申します。他にも、ジャグリングにイリュージョン、空中ブランコにアクロバット、それからフープ、……やることが多いでしょう。ええ、ええ。本当に大変なのです! 私がいなければ成り立たないほどに!」
     照明を浴びたノアは全く怖気づかず、大股で舞台の先を行き来する。明瞭な声が会場に響いた。
    「なにせ団長が厳しくって、入る方入る方、すぐに出て行ってしまいまして。ですから団員はたったの三人。ここだけの話、団長はお坊ちゃん育ちの若い男でございまして、実力はあるのに、こう、夢想家と言いますか、……あっ、この話はくれぐれも内密にお願いいたしますよ。そうでなければ空中旋回をお見せする前に、私の首が飛んでしまいますからね! それでは今日も老若男女の皆々様に────おや、この街には女性の方がいらっしゃらない? それなら先程、道ですれ違った町娘や、姫君は。……それは、それは。何とも摩訶不思議な……」
     ノアの砕けた口上に、客席からくすくすと笑い声が聞こえる。
     舞台の後ろでは、ライズとエラが機材の配置を確認していた。歌劇にしては長めの口上は、裏で準備を進めるための重要な装置だった。
    「今よりお目にかかりますのは私たちの最高のパフォーマンス! 三人ばかりと侮るなかれ、驚きのショーをお届けいたします! ……ライズ、クラウンのライズ、そこにいるんでしょう? 早く出てきなさい!」
     ノアが舞台後方に映るシルエットに手招きをする。それは徐々に大きくなり、ノアの背丈を大きく超える。観客がざわめくうちに、それは弾けて紙吹雪を巻き散らした。きょろきょろと辺りを見渡すノアの後ろから、小柄なライズが顔を出した。ノアが窘めるように肩を叩くとそこからは煙が噴き出し、跡形もなく姿が消える。
    「残念でした! ボクはこっち!」
     ノアが肩をすくめてみせる。舞台端から飛び出してきたライズには、大きな拍手が起こった。サイズの合わないピエロ衣装を着た少年に、可愛い、と客席から声が飛び出す。
    「いよいよ団長の登場です! 皆様、エラリー、と名前をお呼びください! せぇの!」
    「「エラリー!!」」
     物語に溶け込んだのか、それとも初めての発表会を経験する初心者に優しい気持ちを抱いたのか。観客席にいる学生たちは、ノアの言葉に反応して声を上げた。
     ノアは笑顔のまま、そっと声のトーンを落とす。
    「……九割方は操作できるかと」
    「了解」
     一瞬の暗転の後、エラリーが舞台中央に登場する。ノアの精神干渉を受けた大勢の観客が、歓声を上げた。
     音符をなぞったかのように乱れない格式めいた歌声を聞いて、舞台袖に入ったライズが目を丸くした。笑顔を絶やさず、それでいて抜けたところもある好青年のエラリーの姿は、そこにはなかった。
    「ライズさん、こっち」
     奥にいたエラが、止まっていたライズに小声で呼びかけた。
    「……サブスタンスは音の増強のようですね。リハーサルとの声量の強弱に違いが見られました。私は出番が近いので、捜索をお願いします」
    「分かった」
     舞台の上では、エラリーとノアが会話を交わしている。
    「オレのいない間に、たくさん喋っていたようだけど。また余計なことを言っていないだろうね、ノア」
     エラリーがにこやかな表情を消して、ノアを見やった。清潔に澄ました横顔には、厳格さが滲み出ている。一見ミスキャストのように思えるその役は、意外なほど滑らかに機能していた。まるで、元々そういう人間だったかのように。
    「おや、疑っていらっしゃる?」
     白々しく驚いてみせて、ノアはエラリーの顔を覗き込む。
    「何十もの役をこなして、綻びだらけの貴方の舞台を仕立てているのは誰だとお思いで」
    「はぁ、……もういい」
    「どこへ行かれるのです」
    「外の空気を吸ってくる。お前は先に戻っていなさい」
     舞台は暗転。夜の空を模した舞台上は薄暗いライトが揺れて団長の心情を描く。
    「どうして分からない。オレの作りたいものは、綺麗で、潔癖で、完璧で、────」
     ふと足を止めた先には、何かが。
    「どなたですか」
     空気が変わった。
     たった一言の問いかけは、まるで人を操るおぞましい魔法のように、エラリーの視線を惹きつける。
     顔以外に肌を見せないその衣装は、エラの幻想的な美しさを際立てていた。何重にも重なった薄い布が淡い光に透かされて、彼の整った身体の輪郭を浮かび上がらせる。観客は、薄い雲を纏った満月を見上げるように、うっとりとエラを見つめた。
     エラリーの存在に気付きつつも視線を寄越さないエラは、声帯に乗せずに、けれど高貴に、小さく笑う。傾いたライトがエラリーの澄んだ瞳に差し込んで、ぼんやりと光った。

     練習時間の限られた環境で、手を出しやすいのはロマンスだ。けれど上背のあるエラに女性の役を当てはめては、エラリーとの体格差がちぐはぐになる。そしてノアやライズを全面に出して物語と言い切るには、存在感の欠如がみられる。
    エラリー・フォックスに注目を。そして、エラ・エズモンドに注目を。これがこの四人にできる、最善の表現方法だ。
     清く厳格なサーカス団長は、恐ろしい美貌の仄暗い悪魔に魅了されて明朗なシナリオを書き換え、光で満ちた空間に闇を落とす。
     ハッピーエンドを裏切れ。
     想定内だったと言われて堪るものか。
     私たちは、貴方達の想像する「都合の良い正義の味方」ではない。
     台本から生み出された意思は、相応の形を持って舞台の上に立っていた。

     誰のものとも知れない四肢を抱いて、エラリーは悪魔を見上げる。赤に塗れたノアが、傍らで人形のように横たわっていた。
    「誰よりも美しい人。オレのことが見えますか。どう映りますか」
    「ええ、素敵ですよ。朝を知らない微睡のように甘くて、呼吸を終えた喉のようにがらんどう。これより清いものがありましょうか」
    「きみの名前を教えてください、名前を呼びたい」
    「教えましょう、教えて差し上げます。けれども決して、お呼びにならないで」
    「なぜ」
    「夢が溶けてしまっては、いけませんもの」
     これ以上のものはないと、誰もが思う。
    「私の名前は、」
     背筋が凍るほど美しいそれを「綺麗」と呼んでも、間違いだと嘆けない程に。
    「────エラ」
     静かな囁きの後、息を飲む音がした。

     舞台が終盤に差し掛かった頃、ライズが裏で小さく声を出した。
    「鳥みたいなのが見える。イクリプスかも」
    「私も確認しました。サブスタンスに反応したのでしょう。五十センチメートル程度ですが複数見られます。動きに規則性はありませんね。客席に向かわれるとまずい。どうしますか」
     裏にはけていたノアが上を見上げる。
    「それは大丈夫」
     ライズがぶかぶかなピエロ衣装の中から、狼のパペットを取り出す。
    「軌道はボクが何とかするから」
    演出で回る大きな舞台装置の後ろに隠れて、ライズがサブスタンスを使った。
    「床から四メートル上、舞台中央を中心にして三メートルを旋回するよ」
    「サブスタンス確認、そちらへ向かいます。エラさん、足止めできますか?」
     ライズのサブスタンスに影響されたイクリプスが、円状に回っていく。ノアの合図に、エラが頷いた。
    「ええ。かえって好都合です。私たちの舞台に利用させて頂きましょう。エラリーさん、いいですね」
    「うん」
     エラリーが後ろ手で光線を放ち、イクリプスの体を色とりどりに染め上げる。乱雑でいて、幻想的な何かが宙を舞う。プロジェクションマッピングのようにも見えるそれは、いともたやすく観客たちの視線を集めた。
     途端、エラの毒がイクリプスの動きを奪う。黒ずみながらはらはらと落ちていくイクリプスは、きっと斬新な演出に見られていることだろう。
     全てが地に落ちた瞬間、ふっと、エラリーに当たっていたライトが消える。
    「どこへ行ったんですか、美しい人」
     役目を終えた三人は、呼吸の音すら漏らさない。
    「オレだけを生かさないで」
     悪魔は現れない。
    「名前を呼ばせて下さい」
     小さく、けれども耳を裂くような嘆きで、幕は下りた。

    **********

    「終わったねぇ……」
     声にもならないような息を吐き出して、ライズが伸びをする。
    遮光カーテンが付けられた車内で、四人は寛ぎながら本部への報告書を書いていた。
    「短期間でしたが、任務が果たせて一安心ですね」
    「楽しかったですし、舞台も好評でしたね、あんなに歓声を受けるとは。台本の方にお礼をしなくては」
    「……あれって、ノアくんが操作してたからじゃないの?」
     エラリーが控えめに問いかける。
    「いえ。さすがに私も、ホールいっぱいの人間の感情を一から十まで操作するのは困難です。気休め程度に個々の感情を増強したといいますか……」
     ライズとエラがノアを見る。
    「ですから私たちが、そしてあなたが受けた歓声は、全くの作り物というわけではないのですよ」
    「そう、だったんだ……」
     エラリーはそう呟いて、満足そうに目を瞑る。
    「こういうの、またやってみたいね。潜入とか、そういうのじゃなくてさ」
    「そうですね」
     エラが答える。

     穏やかな疲労と確かな満足感を湛えたヒーローたちを乗せた車が、タワーへと走っていった。
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