冬の朝 吐く息が視界を染める。生まれた白が空気にとけても、目の前の世界は変わらず同じ色をしている。
冬型の気圧配置がもたらした強い寒気とやらの影響で、わたしの住むこの町もめずらしく積雪に見舞われた。雪が降ることはあっても、積もることなんてそうそうない。だから、見慣れた景色が一面真っ白に染め上げられたこの様は、何となく非日常を感じさせて、心の奥がくすぐられてそわそわとする。早朝に通った車や人々の形跡が残った通学路の、それでもまだ誰も通っていない場所。そこをわざわざ歩いて、足跡を残してみたりしてしまう。ざくざくと、履き慣れないブーツでアスファルトを覆い尽くした雪を踏みしめる。足先に伝わる感覚は新鮮で、未到の地を切り開き進む冒険家の気分を味わえるようだ。
などと、最初こそ内心ではしゃいでいたのだが。それ以上に、寒い。嬉々として踏みしめた雪は当然冷たく、防水対策が不十分であったブーツを突き抜けて、じわじわと水気が浸食してきた。のんびりと歩いている場合ではない。さっさと学校に向かって、温かい暖房にあたらなくては。
進む足を早める。数分も経たないうちに、刺すような寒さと悪路への不満が急激に募っていく。暖かな教室にたどり着くまでにはいつも以上に時間がかかりそうだ。あれほど暖まっていた心はすん、と冷え切り心はちくちくとささくれ立っていく。
――ああもう、雪なんて最悪!
角を曲がり、手のひら返しの心境を吐露したところで、ふと前方に見知った背中を見つけた。同じ学校の制服が、この寒さにも関わらず真っ赤なマフラーを巻いただけで歩いている。つんつんと立てた短い黒髪、部活動をやっているわけでもないのに、やたら大きなエナメルバック。遠くからみてもわかる。あれはわたしの幼馴染みだ。塀に積もった雪を集めてなにやら形作っているその手はむき出し。みているだけで寒い、馬鹿なのではないか。冷ややかに見つめて、足下に気をつけつつ、つい小走りになってその背を追った。
「おはよ!」
追いついて、投げかける。気づいた彼は一瞬驚いたようにして、それからにかっと笑って挨拶を返した。
「なにしてんの?」
彼の手の中の雪玉をみて問う。当たり前だが、冷え切った手のひらは真っ赤に染まっている。手袋くらいすればいいものを。痛くはないのだろうか。
「みてわかんねーの? 雪うさぎだよ」
「うさぎ……?」
丸みをおびたいびつな雪のかたまりは、よく見ると小石が三つ埋め込まれていて、それが目と鼻を意味しているであろうことはわかった。だが、頑張ってみてもこれはただの石の刺さった雪のかたまりだ。うさぎには到底みえない。動物にみえたとしても、せいぜいナマコといったところだろう。ナマコは動物だっただろうか。
わたしが怪訝に顔をしかめたので、彼は少しだけ不服そうに唇を尖らせた。彼にとってはこれは十分にうさぎなのだろう。
「うさぎっていうなら、せめて耳とかつけてあげなさいよ」
「耳? あんじゃん」
そういって雪玉の前方、小石の上あたりにある微妙な突起を指さした。これは耳だったのか。雪玉自体がいびつにでこぼこしているので、もともとそういう形だったのか、意図的に作った形なのかがわかりにくい。
「もうすこしわかりやすくできなかったの?」
「なんだよ、不満か」
「不満です」
「くっそー」
大げさに唸って、ぐるりとあたりを見回す。そして、思いついたように飛びついたのは……。
「これでどうだ!」
道路沿いのガードレール。戻ってきた彼は楽しげに口元をほころばせ、こちらに手をのばした。一体なんだと、差し出された手の中をみてみると、先ほどの雪のかたまりに、小さな氷の柱が二本。ぴんと伸びた耳のように刺さっていた。
「うさぎだ」
ガードレールから伸びた小さなつららを耳に見立てたらしい。たしかに、これならうさぎに見えなくもない。
「だろ?」
幼馴染みは満足げだ。子供だなあと思いつつ、感心している自分も同類なのかもしれないなと、内心で苦笑する。
「これでよし!」
完成した雪うさぎ。彼はそれを道路沿いの縁石の上に置いてしまった。
「置いてっちゃうの?」
「なんだ、欲しいのか?」
「そういうわけじゃないけど」
ここに置いていってしまうのはなんだか勿体ないように思えて、思わず声を発してしまった。こんないびつなうさぎも、少しの間眺めていただけでかわいくみえて、妙な愛着がわいてしまった。
「教室に持っていってもいいけどさ、手に持ってたら溶けちゃうだろ? つめてーし。それより、ここに置いてってさ。道を歩いてる他の奴らがおっ? って、少しでも思ってくれた方が楽しくねえ?」
歯を見せて笑う彼は、まるでいたずらっ子のようだ。呆れつつも、不思議とそれもそうだなと思わせる。
「確かにね。これからここを通る人もいるだろうし。それもありかもね」
「だろ? じゃ、いこうぜ」
雪の積もった道を、普段通りのスニーカーで彼は軽やかに歩き出す。
「あ、ちょっとまって」
やっぱり少し名残惜しいので、スマホを取り出して写真に納める。心の中で別れを告げて、先ゆく背中を追いかけた。