眠れない夜、というものはある。
例えば心配事があったり、明日大きなイベントを控えていたりであるとか。ただ、この日眠れなかったのは、単に変な時間に仮眠をたっぷりと取りすぎて、眠気が来なかっただけなのだけど。
目をつむっても、ベッドの上でごろごろと寝つきやすい姿勢を探っても、一向に訪れてくれない眠気に痺れを切らして、ぼくはベッド脇のローチェストの上で充電していたスマートフォンを引き抜いた。ロック画面が表示され、今が午前一時を過ぎた頃だと知る。
前に、ママから、寝る前にケータイやパソコンをいじると眠れなくなるらしいから触っちゃだめよ、なんてどこかで聞いたらしい話を言われたのを思い出す。もう既に眠れなくなっているのだから、今更知ったことではない。そのままロックを解除した。
それからはピアノのアレンジや、第一線で活躍しているプロゲーマーのプレイングの解説なんかの動画を横になったままいくつか見たけれど、見れば見るほど目が冴えてしまって、気づけば二時前くらいになっていた。
あーあ、しまったなぁ、と思う。
もう少し早い時間だったならば、おにいちゃんに連絡して、眠くなるまで付き合ってもらおうと思っていた。動画を数本見てダメだったら、すぐ通話でもしてみようと思っていたのに。どうでもいい関連動画をだらだらと押し付け続けた動画サイトに一方的に腹が立つ。
そのタイミングで、ふと、スージィに連絡してみようかな、と思ったのは、ちょっとした賭けのつもりだった。
きっともう起きてないだろうし、スージィのことだから起きてたってそもそも気づかないかもしれない。返事がないようなら、諦めてここから頑張って眠ろう、と。
『起きてる?』
メッセージアプリを開いて、短い言葉を、特にためらいもなく送る。ロッカーに叩きつけられた頃を思うと、ずいぶんと仲良くなったなあと感慨に耽る。
送り終えるとすぐ携帯を置き、誰に見られるでもないのに、返事がくる期待なんて全然してませんよ、とばかりに携帯に背を向け、目をつむる。耳だけは密かに通知の音を待って。
返事は意外にも、すぐ返ってきた。
『すげー寝てるぜ』
起きてるじゃないか、と思わず笑ってそのまま起き上がる。
誰もが眠って、起きているのは世界でじぶんひとりだけにさえ思えるこの時間を、目には見えないところでスージィと細く分かち合っていることがとてもうれしい。体が奥からじわじわと温まってくるのがわかる。
『起こしちゃった?なんか眠れなくって』
『いんや』
スージィはもともと筆まめな方ではないので、返事は簡潔で短い。それがまた、普通に会話しているようで、ぼくはわりと気に入っている。
『いまから一緒に外歩かない?』
こう送って、祈るような気持ちで待った。遠慮がいらない仲になったとはいえ、この時間ではさすがに厳しいものがあるだろう。
『なんかおごるなら』
どうやら気分が乗ってくれたようで、ほっとする。きっとスージィは、奢っても奢らなくても結局ついてきてくれるんだろうな、と思う。
お店がやってたらね、と返し、携帯をポケットに入れて、ベッドから足を下ろす。家でいつも使うスリッパではなくて、ベッドの下にしまっておいたサンダルを履くと、ひんやりとした感触が足先に伝わってくる。
いまのパジャマ姿では、外はきっと寒いだろう。パソコンデスクの椅子に掛けてある、いつもパソコンを使う時に掛けているブランケットをひらりと羽織る。今から冒険に出かける、勇者のマントのようだ。
廊下へ出るドアノブに手をかけ、ふう、と息を吐く。
夜を征く、小さな冒険が始まる。