アズラエルの揺籠
アッラーフがミカール、ジブリール、イスラーフィール、アズラーイールの四天使に、四方から七掴みの土を集めて人を創るよう命じられたとき、アズラーイールだけがそれに成功した。というのも、彼は人の肉体と魂を分けるすべを心得ていたからである。――『民間伝承』
砂埃が風で舞い上がる。中東の地図にない《都市》に茨は潜入していた。武装をして。どうしてここにきたか――単刀直入に云えば凪砂の為だ。乱凪砂が失踪して一ヶ月。いつもの気まぐれの発掘旅行でもないとわかった時には遅かった。忍ばせていた発信機も取り外され、消息が立たれ、これは完全にプロによる犯行。一縷の望みをかけて、世界中のメガデータの防犯カメラデータ中にAIによる顔認識システムでハックをかけ、物量でしらみつぶしに凪砂を探した。そして引っかかったIPが中東。そこから重点的に追跡したところの《都市》。ここに拉致されたにちがいなかった。
どうやら都市の中心にある建物は研究所らしい。アズラエル研究所。死の天使アズラエル。蠍座の天使でもある。そういえば偶然にも、閣下も俺も蠍座だ。土塊からアダムを作った天使。――これも偶然、だ。
(最強のアイドルの研究でもしてるんですかね……)
潜入チームに指示を出して建物に近づく。閣下は本当にここにいるのか、生きているのか、交渉はできるのだろうか――とぐるぐる思考していたら、無線の向こうに衝撃音。
「!? どうした!」
襲撃。敵に見つかったらしい。どんどんロストしていく。構えていると後方からブラックのフルフェイスシールドをした連中が――。
接近戦。動きが早い。向こうは銃器を使うつもりはないらしい。捕獲が目的か――ナイフを振りかざそうとした時、見えない動きでそれを叩き落される。衝撃でよろけた体を、制圧される。
「ぐっ……」
「***」
何か話している。聞きなれない音だ。
どうなる。始末されるのか。閣下は。閣下だけは無事に返したい。
睨みつけていると、後方から一人歩み寄ってきた。
「サエグサイバラ!」
「!?」
名前を呼ばれた? 何故知っている? それでなんで嬉しそうに連呼するんだ。
敵はブラックのフルフェイスシールドを外して――俺を覗き込んだ。そこにあった顔は――。
銀の長髪。切れ長の太陽の眼。美しい顔立ち。
「か、っか!?」
まぎれもなくその顔は、乱凪砂だった。
「閣下!? なにしてるんですか!? いえ、その、無事だったんですね!? え、なに、どういうことですか!?」
「Japanese」
別のフェイスシールドがそう云った。それで――そのブラックも外される。
銀の髪、太陽の眼――。
「!?」
「日本人か。03が溺愛しているアイドルに似てる、そういうこと」
「いやこれ本人! 間違いない! 僕が見間違えるはずないでしょ!」
「***」
「***」
日本語をしゃべった敵の後ろから、わらわらと、フルフェイスが集まってきた。珍獣を鑑賞するようにブラックを外す。
顔、顔、顔。
そこには――乱凪砂の顔が――溢れていた。
***
暗闇に人形を抱いていた。
閣下、殿下、ジュン。
――さあ、《おかたづけ》の時間だよ――。
そういって、黒い手が、奪おうとする。
「やだ! これはっ! Edenはっ、おれのっ!」
子供の俺は無力だ。簡単に奪われてしまう。
必死になって守っても、黒い手からは、逃れられない。
「おれのっ、大切なものっ、もって、か、ないでっ……!」
閣下の手を、引きはがされる。
俺の、俺の――大切なもの。
追いかけても追いかけても、遠くへいってしまう。
躓いて、転んで、手を伸ばして。
もう、届かない距離。
「うう……うああ……っ」
かみさま。
俺を見捨てたかみさま。
くそったれなかみさま。
かみさまどうかおれからもう奪わないでください、やっとみつけた大切なものなんです、おねがいします、かえしてください……。
――。
「茨くん大丈夫?」
「……っ、ここは……」
真っ白な部屋に寝かせられていた。ベッドのようだ。拘束もされていない。なんだここは。……そして隣に、閣下の顔、がいる。
「……」
「あ! 説明が必要だね! 何から話そうかな~~茨くんが研究生の頃に僕が運命的な出会いをしたところから話そうかな~~」
「あの、あなたは……」
「え! 認知された! ノバラって呼んでください! 愛称がノヴァなんだけど野薔薇みたいでいいでしょ!? その方が好きだから!」
閣下の顔でテンション高く話されると混乱する。
「ええと……あなた……あなたたちは閣下の……乱凪砂となにか関係が? いや、そのまえに乱凪砂は? この施設にいる?」
「俺から話そう」
いつのまにか部屋に入ってきた短髪の閣下の顔の人がこちらにきた。こっちは俺モードの閣下っぽい。
「乱凪砂は収容されている。現在治療中だ」
「治療!? ケガでもしたんですか!?」
「いや……テロメアの伸張を行なっている。……やはり連絡がいっていなかったのか。したはずなのだが」
「こっちは突然閣下が消えて大騒ぎですよ。閣下に合わせてください、本当にここにいるのか、確かめたい――それとあなたたちと閣下の関係を」
「ふむ」
じっと見つめられる。見慣れた顔――しかし確実に違う顔。
「まあ端的に云えば、クローンだ。俺たちはデザイナーズベイビー。試験管生まれの作られた男(Adam)。人類最強を作るアズラエル計画の走りだな」
まさかそんな――ただのコンセプトが輪廻するなんて。偶然の一致、それを人は運命と呼ぶ。
「そうそう、最初は一ダースくらいいたんだけどいろいろあって今は半ダースしかいないんだよね。今風に云えば十二つ子?」
「……兄弟……?」
「そうなるな。計画の途中、07――乱凪砂には適性がないと判断され《摘蕾》された。たしかその後日本の富豪に引き取られたはずだ。骨格がいいだとかなんだとか云っていたな」
「では……閣下……乱凪砂はここで過ごしていたんですか」
「そうだね。うーん五歳くらいまでかな。あー、でも記憶はないと思う。頭はリセットされたんじゃなかったっけ。海馬のCA3領域をいじったんだね。それにここの共通言語は英語と中国語と現地語のハイブリットだから喋れなかった筈」
閣下は――過去を話さなかった。話さなかったのではなく、話せなかった、というのが正確なのだろうか。
「……それがなぜ今になって? もうあなたたちの計画には不要、と判断されたんでしょう?」
「《欠陥》が見つかってな。それの修復だ。研究所は、俺たち商品のアフターケアは無料でやっている」
電気屋か。
「今回は急ぎだったから急いで回収して急いで修復して急いで輸送しようとおもったんだよ~~、一ヶ月くらいなら大丈夫かなって」
「連絡してください! 困ります!」
「乱凪砂の寿命が延びたのだからいいだろう。七種茨」
「う……」
その顔で云われると滅茶苦茶困る。やめてくれ。
「というわけでお仲間もまとめて返還だ。また何かあれば連絡する。ああ、もし乱凪砂が使えなくなって――代替品が必要なら手配する。貴様の《最終兵器》なのだろう?」
「……代替品なんてありません。閣下はこの世に唯一です」
「そうか。03、行くぞ」
「うえ~行きたくない茨くん眺めてたい元気でね茨くんまた来てね」
「サインをもらわなくていいのか?」
「いまはプライベートだから貰っちゃだめでしょ!」
煩い方の閣下の顔が何度も振り返りながら部屋を出ていった。静寂。まるで棺の中のようだ。
処女から生まれたかみさま。
それならば――閣下はきっとそれに近い。
けれどだからといって、何が変わるわけでもない。俺にとっての閣下は、うるさくて我儘で意地っ張りで強情で、でも必要な、人だ。
またドアーが開き、研究員らしき人物にこちらへと誘導される。入った部屋に――閣下がいた。
「……茨」
「閣下。ご無事で」
「うん。のんびりしてた。ここ、海外なんだってね。茨も来たんだね」
「急にいなくなるから困りました」
「あれ、連絡はしているって云われたけれど。端末全部没収されちゃった。発信機もね」
「ばれてましたか。まあでも見つかってよかったです」
「ふふ。どうしたの茨、疲れてる?」
「ええ。まあ」
閣下は同じ顔を見たのだろうか。会ってないのだろうか。会ったとしても――わあ、同じ顔だよ、兄弟だよ、だなんてはしゃいで――なにもかわらないだろうけれど。
「帰ろうか」
閣下の手が伸びてきて、抱き寄せられる。匂いと、温もりと、感触は、確かにいつも求めるものと同じだった。
閣下だ。
唯一無二の、俺の、大切な、――乱凪砂。
「……帰ったらスケジュールが詰まっておりますよ。忙殺させますから覚悟してください」
「ふふ、わかった。頑張るね」
俺は閣下の背に手を回して、密やかに抱きしめた。アズラエルに手を伸ばされるまで、きっと、もう、離さない。
(210413)