料理をする七種茨はすでに愛している、食べる乱凪砂にはすでに愛されている。
料理することはすでに愛している。食べる人はすでに愛されている。それを当たり前のことと信じて疑わない。――土井善晴『おいしいもののまわり』
茨は傭兵施設から出た時から、まず何とか食い繋ごうと自炊を始めた。それまでは全て厨房で作られていた食事、つまりは茨はキッチンについて何の知識もなかった。失敗だった。まず初期投資がかなりかかる。料理器具は無限に必要だし、調味料や食材もそれこそ補充していかなければならない。メンテナンスにも時間がかかる。生ゴミ処理の仕方も知らなくて、排水管を詰まらせて業者を呼んだ。油を捨ててはいけないことや掃除のことなんてなにもしらなかった。そんなの見たことも聞いたこともないから仕方なかった。だって作る人は料理人で料理人は厨房にいて厨房に入ることなんてなくて。料理のイロハも何も知らなくて、野菜は皮を剥くこと、卵はレンジで加熱してはいけないこと、換気扇を回すこと、全て失敗して学んでいた。
そんなわけで全ていちいち調べながら作るわけで、一時間も二時間もかけて作った料理を五分で食べながら茨は思う。
気づいてしまった。
……こんなに大変なら出来合いを買った方が早いのでは……?
それから経営が軌道に乗ってからは惣菜やコンビニ飯でも良いと妥協して作らなくなった。
乱凪砂に出会って、また料理を始めた。
食事管理をしたい、この肉体を形成する要素全て、自分の手で管理したい。そう思うほど茨は凪砂を自分のものにしたかった。シェフや栄養士をつければいいことに後から気が付いたけれど、当初はその発想がなかったのである。
自分が。
料理教室をやっている講師を呼んで、基本から学んだ。調理器具の使い方、メンテナンス、食材の保存方法から下準備まで。努力を惜しまない茨は飲み込みが早く、味噌汁の出汁を取れるほどに成長した。閣下にはご飯と味噌汁を好きになってもらおう、そう云えるほどに。
「茨は私のお嫁さんみたいだって」
「え?」
夕飯の味噌汁を飲みながら凪砂は云った。おいしいね、とつぶやきながら。
「ゆうたくんが云ってた。家事労働を性別で固定化するのは良くないと分かっているけれど、茨がお嫁さんなら、私、嬉しいな」
「はあ……」
凪砂は箸を置いて、にっこりと茨を見る。
「料理をする事はすでに愛している、食べる事はすでに愛されている、って、云うらしいね。私、きっと、茨を愛している」
なんでもない会話のように、いつもと同じトーンで、凪砂は茨に尋ねた。
「茨は私を愛している?」
言葉にされて気がつくことがある。茨の心にそのラベルを貼られて、急にもやが晴れたように、胸が高鳴る。愛している。愛。愛なんて茨が一番知らなくて要らないものなのに。かれがそんな事いうから、とろとろとした愛という熱が溢れていく気がした。
「茨、大丈夫? 顔が赤いよ」
いつもの軽口が出てこなくて、熱くなる耳がチリチリする。
料理をする。かれのために。
それが愛の査証なら、自分は、既に、きっと。
茨はその言葉をくちにするために、震えるくちびるを開いた。
(210515)