私と茨の自由「いちいち感謝しなくてはいけないのが、つらいんです」
車椅子の茨を外に連れ出そうとしたら、静かな顔で、何でもないように、茨はつぶやいた。私は茨の顔を見たくて、しゃがんで、見上げてみる。
「いやなやつですよね。でも、そう思ってる。俺はゴミクズなので」
そういってわらってみせた。平気をコーティングした笑顔。それがいたいほどわかって、私はぎゅっと茨の手を握る。
「……茨はゴミクズなんかじゃないよ」
「実際そうでしょう。足を無くして、なにもできない」
「……今まで通りに戻ってきた。バリアフリーの整備もして、学校も副所長も、それから……」
「閣下の役に立たない」
茨の失われた両足が、気丈な茨にそんなことをいわせる。茨は私のケアを出来ずに、苛立っているのだろう。
生きがい。
生きる意味。
七種茨と乱凪砂。
私は思わず、小さくなってしまった茨を抱きしめた。
「……全部私がやってあげる。感謝しなくていい。私がやりたくてやってるんだから」
「そんなの」
その表情を見れたらよかったのかもしれない。私はぎゅっと、つよく、抱きしめる腕を強くした。
「……私がきみに傅くよ、茨。私を使って。きみの最終兵器なんでしょう?」
息を呑む音がした。茨の心臓が匂い立って、その鼓動が何も変わらない愛おしさだと、私に、わからせた。
***
「……これで大丈夫」
茨の車椅子のメンテナンスを終えて、額の汗を拭った。茨は椅子に座って打鍵している。
茨はあれから私をよく使った。仕事先の些細な段差をクリアするためだとか、荷物持ちだとか。私は茨に頼られて嬉しかったけれど、茨は終始不機嫌な表情で、そこにいる。茨のその感情を見られたのはいつからだったろう。わざと私を振り回そうとしているのはすぐにわかった。茨の思惑の外で、私は逆に、喜んでしまう。いつも他人のためにご機嫌を保っていた茨の笑顔を、被らないでいてくれているということだから。
「……茨、休憩しよう。お茶を淹れてあげるね」
コーヒーを淹れて、茨をソファに運ぶ。隣り合って、私はチョコを齧った。茨はくろい液体をじっと見て、しばらくしずかを味わった後、ちいさくつぶやいた。
「……俺を嫌いになってください」
茨の、ねがい。今日までの茨のわがまま。
「どうして、おれ、なんか」
何もわかっていないそのこえ。
「おれ、もう、かっかの、やくに、たた、ない……」
どうしてそんな弱気になってしまっているのかわからない。十全に、仕事も学業もアイドルも、以前と変わらないくらいこなしているのに。義足のリハビリも、何度も倒れながら努力している。私がいなくたって、一人で生活するやりかたを、もう手に入れているのを知っていた。
「……役に立つとか、立たないとか、そんなの問題じゃないよ、茨。互恵関係じゃなくたって、私はきみのそばにいる」
「でも」
「茨が大切だから。私の大切なもの、一生涯をかけて守りたいもの、それが、きみだから」
もう既に、利害の一致以上だと思っていた。茨はそれがわからない。損得が介在しない繋がりを、茨は受け入れられない。
だから、茨がかつてつぶやいた、願いを私も反芻する。
「……茨の野望、まだ道半ばでしょう? 私は知ってる、茨はきっとやり遂げる」
その揺れる海色が美しかった。どんなに変わっていったって、茨は努力の才能で這い上がる。それを助けたって、バチは当たらないはずだ。
「……じゃあ、私のためにわらってくれる? 役に立つ茨のわるい笑顔を、私に見せて?」
その頬に触れた。かしこい茨は全て理解して、敬礼してみせる。
「アイ・アイ!」
私たちはわらいあった。共に進む未来を、確かに感じながら。
***
四季が過ぎて、また同じ季節を迎えている。茨は義足のリハビリを目を見張る早さでこなして、こうして、一人で歩けるようになった。
はらはらと色づいた紅葉がおちて、公園の外歩道を進む茨をうつくしい絵画にする。
私はそれを、写真に収め、その隣に急いでついた。
「……歩くのが、楽しいです」
遠くの空を見て、それから私を見てくれる。
「閣下と、歩くのが、楽しい、です」
「……私も、楽しい」
そこに理由なんてなくて、ただの自由だけがあった。
私と茨の自由。
やわらかくうつくしいその響きが、私たちをつなげてくれていた。
Request
事故で足を失くした茨を世話したい凪砂と凪砂の役に立ちたい茨
(220911)