龍神様の供物2龍神様の供物
体がふわふわする。目を開ければ――部屋。
そうだ、俺は龍神様の供物になって――湖に沈められて――この人に抱かれたんだ。
隣には美しい人間の姿の凪砂さまが、満足そうに眠っていた。
生きている――死ぬと思っていたのに、俺はこうやって雨風しのげるこんな立派なところで眠っていられた。今まで生きていて、幸せな時間なのは間違いない。
龍神様の役に立たなくてはいけない、そう思って、俺は起き上がってまずは顔を洗って来ようとした。そっと抜け出して歩く――ふらふらする……。
「う……」
ふらついて倒れそうになったら、ぎゅっと後ろから抱きしめられる感触がした。
「……大丈夫? 茨」
「あ……凪砂さま……」
軽々と抱き上げられ、にっこりと顔を覗かれる。そうして、思い出したように凪砂さまは目を見開いた。
「……そうか、人間はご飯を食べなくちゃダメなんだね」
「まあ……でも平気です俺……」
ずっと飢えていたから水だけでも生きてこれた。
「……ちょっとずつ、茨の体をひとでなしにしていくんだけど、まだ人間としての機能はあるから……」
龍神様は食べ物を食べたりしないんだろうか。
「……私は人間の祈りを食べて生きるからね」
「わ……そうなんですか」
心を読まれるのにはなれそうにもない。
「……でもたまに食事もしているよ。たのしいから」
ふふふとわらうかれの表情は、まるで子供のようだ。
「なにか……そうだ、湖の魚……」
「……お魚を捕るんだね」
凪砂さまは俺を抱いたまま、初めの湖につながる洞窟まで歩いていった。そうして俺を岩に座らせて、ざぶざぶと湖に入っていく。
「……えい」
ぱちん、と指を鳴らせば――びちびちびちっ! と何匹も魚が陸に跳ね上げられた。
「……これで足りる?」
「あ……ありがとうございます……」
俺はわたわたと魚を取って、落ちている木の枝で串刺しにした。そうして石の間にさしておいて――火おこしだ。
「……火で焼くんだね」
「そうなのですが……火種を作りますね」
薪を集めて、柴を積んでいく。そうしてどうにか木を削って木くずを作って、摩擦で付くかどうかだ。
「……木があればつくよ。……えい」
「わ」
凪砂さまが指を鳴らせば、ぽっと木に火がともった。
「なにからなにまで……」
「……ふふ、たのしいね」
「それでは焼かせていただきます……塩があればいいんですけど」
「……清めの塩、あるよ」
凪砂さまが指をさす先に、村から捧げられた塩の山があった。それに今気が付けばたくさんの奉納品の食糧があったわけで、なにも魚を焼くことはなかったな……と思う。
それでも凪砂さまがわくわくしてらっしゃるから、それでいいか。
俺は魚に塩を揉みこんでから火であぶった。ぱちぱちと燃え上がる火の、清らかなことは俺を浄化していくようだ。
もう人間ではなくなる、それがどんなことになるのかはわからない。
「……さあ、私の食事をとれば、茨はもう帰れなくなる。嬉しいな」
「そうなんですね」
ヨモツヘグイ……ということを聞いたことがあるが、ここは半分黄泉の国なのだろう。これで――俺は地上から切り離されるのか。
未練などなかった。
俺は焼けた魚を取って――ぱくりとくちに含む。
「――おいしい」
「……おいしいね。あったかい食事って、いいね」
気が付けば凪砂さまも、魚をほおばっていた。まるで普通の人間みたいだ。食卓。家族。そんなもの、俺にはなかったのに。
ひとでなしになって、ひとのあたたかさを知るなんて、なんて皮肉なんだろう――そう、ぼんやり思った。
***
冬が解け春の兆しが二人の洞窟にも少しずつ差し込んでくる。凪砂さまはあたたかくなって嬉しいね、としきりに俺を抱き上げた。朗らかな日々が続いていたけれど、一遍、今日は酷く冷え込んで真冬のようだった。
俺が起床して朝餉の準備をしていれば、いつもふらふらと起きてくる凪砂さまがいらっしゃらない。どうしたのかなと閨にいけば、そこにはくるりと小さな蛇のような龍が、ぐるぐるととぐろを巻いていた。
「凪砂さま、どうしたんですか」
俺は寄り添って、その体を撫でる。酷く冷たかった。
「……さむい……」
蛇は冷血動物だから、やはり寒さに弱いのだろうか。油断して薄着で寝てしまったからかな――そうなんとはなしに俺は思う。
俺は火鉢を持ってきて、それを布団の横に置き、小さくなってしまった凪砂さまを、俺は布団をかぶって抱きしめた。
「……いばら……」
弱ってしまうなんて凪砂さまらしくなくて、それでも愛おしいことには変わらない。俺が冷たい肌を撫でていると、にゅるりと変化して人間の体になった。人間の――子供だ。
「あまりご無理は」
「……大丈夫」
小さな子供になってしまった凪砂さまを、俺は懐にいれるように抱きしめた。ぶるぶる震えている。それを体で感じると、俺はひとりぼっちの頃を思い出した。一人でいると、とてもこたえる。いままで凪砂さまも――こうやって震えていたんだろうか。
「寒いときは――人間の体ですけど――一度体に力を入れて、脱力をすると、血が巡ります。縮こまって……脱力して……まあ、気休めですけどね」
「……うん……あったかい……茨……」
俺の腕の中でもぞもぞする凪砂さまが愛おしかった。誰かに必要とされることが、こんなにも嬉しいだなんてしらなかった。
「温まってください、俺で」
俺はぎゅっとその体を抱きしめる。ふうふうと吐息が温かくなって、きっと俺の熱が伝わっている、そう思いたい。
「……茨、どこにもいかないでね」
龍神様の願い。
共に生きること。
寂しさが鳴っている。
こんなに、互いの願いが結びついていくことが、俺は嬉しかった。
「俺は龍神様のものですから」
俺は小さくなってしまった凪砂さまの、額にそっとくちづけをした。
「……かわいい、私のお嫁さん」
「あう」
ぎゅっと抱きしめられ、愛撫される。
そうして、約束のように、ふかくふかくくちを結ばれた。
「ん……う……」
「……茨……あったかい……おくち……」
「ふあぁ……っ」
ちゅ、ちゅ、とくちづけを続けられれば、体の上に乗りあがった子供の体が――ぽんっ! と大きくなる。見上げればその太陽の瞳が、ぎらぎらとひかっていた。
「な、ぎささま……お元気に……?」
「ん……もうちょっと熱が欲しいな……」
「わっ、あ、朝から……っ~~♡」
がばりと覆いかぶさられて、全身を抱きしめられる。
行きかう熱が、きっと二人を幸せにするんだろう。