キノコとバイクと都市伝説 あのトンネルには地縛霊が出るだとか、あの橋の上では首なしバイカーが並走してくるだとか、バイカーの間で語り継がれる都市伝説は枚挙に暇がない。
バイクを駆るのは好きだけど、幽霊のたぐいが苦手な私はそういう都市伝説については聞こえないふりをしてきた。でも、私が一つだけ記憶に残している都市伝説がある。
『N県の山奥に極上のキノコソバを出す店があるらしい』
私にとってのツーリングはもちろんバイクで走ることが第一目標だ。そして、第二目標が『食』。バイクで美味しいものを食べに行く。それが私のツーリングだ。そんな話を聞いてじっとしていられるだろうか。いられないだろう。
そうして私は週末になるとN県に向かってはしらみつぶしに山々の道を駆けていた。まだその蕎麦屋は見つかっていない。捜索が空振りに終わっては目についた店にふらっと入って、ソバの気分の口にそれ以外の料理を詰め込んでいる日々だった。その虚しさに疑いの心が芽生えていた。イマドキ地図で事前に探せない店なんて本当にあるのだろうか、所詮都市伝説なのだろうか。
だが、そう思っていてもこの胃袋の地鳴りは止められなかった。必ず極上のキノコソバにたどり着いてみせると、私は今日もバイクにまたがった。
夏の盛りを過ぎてなお降り注ぐ太陽光。身体中に伝わるバイクの鼓動、道の凹凸。道を切り裂いて駆ける轟音。青々とした山の香り。バイクに乗って満たされないのは味覚だけ。私は安全運転を心がけながら、とある山に造られた道路をバイクで進んでいく。もう頂上は過ぎ、下るばかりの道のりだ。
──今日も空振りなのかな。
上りの道には蕎麦屋なんてなかった。いままで見つからなかったと言う経験が、どうせ今日も見つからないのだろうとぼやいている。頭の中で美味しいソバを出しそうな古めかしい一軒家を思い浮かべつつ、目の前にそれが実際に現れることを祈っていた。
──ん?
眼の前の山々に違和感を覚えた。なだらかな山肌の中に少しだけ凹んでいる箇所がある。あれは何かがそこにあって、木が生えていないからそう見えているんじゃないだろうか。何かある。私は一縷の望みをかけて、少しだけアクセルを踏み込んだ。
何かがありそうな場所の近くについた。バイクを停めて周囲を見るが、道路の脇には有刺鉄線が張り巡らされた柵が行く手を遮る砂利道があるだけだった。
──ただの私有地だったか……、
店をやっているなら看板くらいはあるはずだ。残念だが先へ進もうと、バイクを振り返ったときだった。
──あれ?
入る隙間がないと思っていた柵に入り口があったのに気付く。おかしいなと思いつつ、お腹が空いているから見間違えたのだろうと私は柵の向こう側へ行くことにした。バイクを押し、期待に胸を膨らませながら、私は進む。
しかし、期待とは裏腹に見えてきたのはソバなど出していなさそうな古びた洋館だった。私が探偵だったら数刻もしないうちに殺人事件が起きそうな見た目と言えば説明できるだろうか。近付いてみると、壁の塗装が剥げているのがよくわかる荒れ果てたその姿は『呪いの館』なんて名前がついていてもおかしくない。
──何にせよ私有地っぽいし誤解を受ける前に撤退しよう、お化けが出そうで怖いし……、
おいせ、とバイクを来た道の方に反転させて私は洋館に背を向けたが、すぐに振り返った。
「ぅえッ」
そう、人の声がしたからだ。見ると、子供のようだった。黒いフーディをワンピースのように着て、その下から伸びた細い足にトゲ上のスタッズのついたブーツを履いている。この山奥で蚊に刺されたりしないのだろうか気になるが、それ以上にその子の頭の方が気になった。
「あ、わわ、」
目を見開いて驚く表情の上、頭にキノコが生えている。彼も私の視線に気付いたのか、持っていたらしいカゴで頭を隠してしまった。別に隠すことはないだろう、どうせ最近のパンクファッションの流行りに違いない。なんかそういう歌とかアーティストがいるとか。
「あーごめんね、勝手に入っちゃって。ちょっとこの辺りで探しものをしてて……、」
とりあえず敵意がないことを示しつつ、被りっぱなしだったヘルメットを取って小脇に抱えた。
「ど、どど、どうして、入れ、たんですか……、」
「え?入り口みたいなところがあったから、」
「へぇッ」
「あっちょっと!」
半ば絶望したような顔でその子は私が来た道の方へ走っていってしまった。私は仕方なくバイクを停めて、追いかける。
「あれ?さっきは確かに開いてたのに、」
柵のところまで戻ると、私が入ってきた入り口はなく、有刺鉄線が通せんぼをしていた。さらに近付くと隣の子供にビクッと驚かれたが、有刺鉄線に向かって手をのばしてみる。
「あっ、」
もう少しで触れそうという所で有刺鉄線が私を避けるように柵から引いていく。有刺鉄線が生き物のように動き、私の身体から血の気が引くのを感じたのだが、
「有刺鉄線くんっ」
私より狼狽えている子供の様子を見ると、不思議と私はしっかりせねばと言う気持ちが湧いてくる。
「大丈夫?」
「えっ、あ、……はい、有刺鉄線くんが、と、通しちゃっただけ、なので……、」
「そ、そう。なら、良かった。」
言っていることの意味がわからないので本当は良くはないけど、この子が落ち着きを取り戻した点は良しとしよう。子供はいまだ頭を隠しているカゴのその影から私を見上げてゆっくりと口を開いた。
「あ、あの、探しもの、って、」
「え、ああ、N県の山のどっかにね、極上のキノコソバを出すお店があるって聞いて探してるの。」
「極上のキノコソバ……?」
何か引っかかるものがあったのか、子供の顔が輝く。カラーコンタクトレンズをしているのか、綺麗な紫色をした瞳がよく見えた。
「もし場所を知っていたら教えて欲しいんだけど、」
「あ、いえ、ごめんなさい、知らない、です。」
「気にしないで、本当にあるかもわからないお店だから。」
「そ、そうですか、」
「急にお邪魔して悪かったね。すぐ出てくからさ。」
洋館の前に停めたバイクを取りに身を翻すと、何かに引っかかった。見ると、私のライダースジャケットの裾をちょこっと子供が掴んでいた。
「あのッ!」
近頃のカラコンは本当に綺麗だ。
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おっかなびっくりな様子だった子にどんな心境の変化があったのか、私は洋館に招き入れられてリビングのテーブルについていた。
なんでも、
「こんなところまでキノコ料理を探しに来てくれた人をこのまま帰せません。」
「僕のお昼ごはんがちょうどキノコソバだったんです。」
「食べていってください!」
……だそうだ。と言うことで私は一人でこの洋館に住んでいると言う男の子(らしい)、たんごくんの作ったキノコソバをごちそうしてもらうことになった。
どうやら彼は頭にキノコをつけるくらいキノコが好きなようだ。さきほど通ってきた廊下もいまいるリビングもそこかしこにキノコの標本や本が置かれている。キッチンの方からだって、いかにもシイタケによるダシの香りが漂ってきていた。
たんごくんはフーディの裾や振る舞いは危なっかしいけれど、料理をする手際は手慣れて見える。細い足をちょこちょこと動かしながらキッチンを並行移動してはソバツユとソバを用意していた。
──ピピピッ、
たんごくんが仕掛けていたタイマーがソバのゆで時間が満了したことを知らせてくれる。彼は少し重そうにしながら、ソバを茹でていた鍋を流しへと持っていき、ソバをザルにあげた。
「もう少しでできますからね、お姉さん。」
振り返ってそう教えてくれるたんごくんの顔は晴れやかで可愛いらしい。すっかり緊張が解けたみたいだ。
彼はどんぶりにソバとソバツユをよそい始めた。気にしなくていいのに量を微調整しているように見えるのがまた優しさを感じて愛らしい。
「どうぞ、」
「ありがとう。美味しそ~!」
たんごくんが完成したキノコソバを私の目の前に置いてくれた。透きとおったレンガ色のソバツユの中に、様々なキノコと薄く切った鶏肉とソバが沈んでいる。立ち上るシイタケの濃い香り、その良さに強い空腹を覚える。早く食べたいと口の中に唾液があふれるのを感じる。
「お口に合うと良いのですが、」
「合う合う!絶対合う!いただきます!」
手を合わせてから、箸を手に取りソバをすくいあげる。アツアツのソバがクーラーの効いた室内で湯気をまとっているのを吹き飛ばし、一口すすり上げた。
──うっま、
シイタケで顔を殴られたのではないかと思うほど、濃く強い風味が頭から胃まで駆け抜け、その満たされる感覚に飲み込んだあとはほうと息を深く吐いてしまった。呆けていたのだろうか、
「あの、美味しくなかったですか?」
とたんごくんに心配されてしまった。
「ううん、とっても美味しくてびっくりしちゃっただけ。」
「良かったです。」
たんごくんははにかみ、自分もと小さく『いただきます』をして、丁寧にソバを冷まして一口すする。そしてにこにことしながら食べている。
「シイタケのお出汁が濃くってすごい。」
「乾燥したどんこを冷蔵庫でゆっくりと水で戻すとしっかりお出汁が出るんです。」
「へぇ~こんどやってみるよ。入ってるキノコはその辺で取ったやつ?」
「スーパーで売っているものばかりです。天然ものは同定が難しいので……、すみません。」
「いやいや、気にしないで。ごちそうになっちゃってるし、なにより美味しいから!」
「ありがとうございますっ、」
喜んだ様子のたんごくんの頭上でゆさゆさとキノコが揺れる。
「キノコが好きなんだね。」
「はい、大好きです。」
「私も食べるの好き。この前もキノコバーガー食べたよ。」
「もしかしてマッシュルームワッパーですかッ?」
やや食い気味にたんごくんが反応した。とてもわかりやすくて可愛いな。
「そうそう、バーガーキングのマッシュルームワッパー。肉厚のパティに負けないくらいたっぷりマッシュルームが入ってて美味しかった~。」
「たっぷりのマッシュルーム……、」
「まだ食べたことなかった?」
「お外にあまり出たくなくて……、ウーバーイーツも圏外ですし……、」
お箸を開いたり閉じたりして、うつむくたんごくん。外で出会ったときの印象を思い返せば、納得の回答だ。
なんとかしてあげたい、そう思った。
「私がウーバーしてあげようか?」
「えっ、良いんですかあ、すいません、」
彼は私の提案にぱっと表情を明るくしたかと思えば、恥ずかしげに再びうつむく。私の労力を慮ってくれたのだろう。
「謝らなくて良いよ、こんな美味しいおソバごちそうしてくれたお礼。来週この時間で良いかな?」
「来週……、」
少し考えるような表情をしている。
「都合、悪かった?」
「あ、いえ!大丈夫です、ぜひお願いしたいです!」
すぐに陰った表情は晴れ、花開いた……いやカサが開いたような笑顔をこちらに向けてくれた。私も思わず笑顔を浮かべながら、応えた。
「じゃあ約束ね、たんごくん。」
「はい、楽しみにしていますね、お姉さん。」
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あのトンネルには地縛霊が出るだとか、あの橋の上では首なしバイカーが並走してくるだとか、バイカーの間で語り継がれる都市伝説は枚挙に暇がない。
バイクを駆るのは好きだけど、幽霊のたぐいが苦手な私はそういう都市伝説については聞こえないふりをしてきた。でも、私は一つだけ自ら都市伝説を語り継いでいる。
『"S県"の山奥に極上のキノコソバを出す店があるらしい』
内気なキノコ人間の日常を守ってあげたいから。