「外出中」「先生……、と」
保健室の扉を開けると、いつも先生が座っているデスクにその姿はなかった。
「いない……なら外のボードに一言書いてあるよな……トイレとか?」
絆創膏一枚あればよかったので、先生にはあとで言うとして戸棚から一枚だけ拝借しようとそっちに足を向けたとき、奥のベッドのほうからごそごそと誰かが寝がえりでも打ったみたいな音がした。
よくよく見ればカーテンが閉められていて、具合が悪い生徒かはたまたレンが寝ていたのだと気づいて、そこまで大声を出していたわけではないけど思わず手で口を塞いでいた。
レンなら起きないだろうけど、他の誰かだったら悪い。
そう思って物音を立てないようにしようとゆっくり戸棚の戸を開けようとしたら、そのベッドから声がした。
「……どなたか、いるのですか?」
「!」
その声は、捜していた先生の声だ。
「え……先生?」
「その声は……ガストですか。また喧嘩でもしてきたのですか? 少し待ってください、薬箱を開けますから」
カーテンが開かれ、先生が顔を出す。
戸棚の戸を開けながら俺をじっと見る。
「どこですか?」
「え? あ、えっと、喧嘩じゃねえよ? 大したことないんだけど、授業で指きっちまって、絆創膏もらえたらそれで」
言いながら左手を見せる。家庭科の調理実習の最中、包丁で指を切ってしまったのだ。一応水で傷口は洗ってきたけど、ちょっと深くやっちまったみたいでまだじんわり血が滲んでいた。
「ふむ、分かりました。消毒をしますから、そこへ座って」
「本当に絆創膏だけで」
「座りなさい」
「ハイ」
有無を言わさぬ、と言った語気に素直に座る。保健室の先生に逆らってはいけないのである。
向かいに座った先生は、俺の手を取って改めて傷をじっくりと見つめる。
「いっそ切り落としたほうがきれいに縫合できますね」
「怖ッ養護教諭がそんなこと言っていいのかよ」
「冗談です」
「先生マジトーンだから冗談に聞こえねえんだって」
言い合いしてる間に、先生はテキパキと消毒をしてガーゼを小さく切りテープで留めた。
南校の先生はツバつけときゃ治るとか言ってたのに、学校によって先生に当たりはずれがあるのはマジだ。
「……大げさじゃね? ちょっと恥ずかしいんだけど」
「適切な処置です。気になるなら、家に帰ってから絆創膏に貼り替えるといいでしょう。貼り替える時もきちんと消毒をしてからにするのですよ」
「はーい」
先生は片づけを始めたから、俺も立ち上がってぐっと伸びをする。
ついでにさっき先生が出てきたベッドを覗くと、誰もいなかった。
「あれ?」
「どうしました?」
「先生さっき、あそこから出てきたよな? てっきり誰か生徒がいるんだと思ってたんだけど」
「掃除をしていただけですよ」
「ふぅん……?」
その割には、掃除道具は見当たらないしベッドの上もシーツがめくれてたりする。
まるで、さっきまで誰かが寝てたみたいな……。
「……もしかして、先生が寝てた?」
振り返って先生を見てみると、戸棚に消毒液なんかを入れていた背中が一瞬固まった。気がする。
「当たり?」
「……。少し、目眩がしたので」
「え、大丈夫かよ」
「大丈夫です。多少回復しましたから」
戸棚を閉めた先生が俺を見る。元々肌が白いからっていうのもあるのか、全然具合が悪そうには見えなかった。
「あ、だから入ってきたとき最初反応なかったのか。えぇ、無理して起きてこなくてよかったのに」
「ここは私の管轄ですから、備品が知らぬ間に減っていては困ります。今回は帳簿も出していませんでしたし……」
「帳簿?」
「私が外出している際に備品を使うときは、何をどれだけ使ったかをメモする帳簿を置いていくのです。……まあ、それでも書き忘れていく生徒もいるので実数と合わなかったりはするのですが……」
「はあ……」
几帳面そうな先生らしいというか、なんというか。
「んーと……じゃあまあ、ありがとな先生。ちゃんと休めよ」
「生徒に言われるとは……。ええ、ありがとうございます。貴方もその指、お大事に」
「うん」
保健室を出て扉を閉めながらちらっと見ると、よく見えなかったけど先生は椅子に座ってこめかみの辺りを抑えているように見えた。
本当に具合が悪いんだろうか。せっかく休んでたのに、俺が顔出したせいで起こしちまったのは申し訳なく思う。
ちょっと心配だけど単なる不良生徒の俺じゃ、傍にいたって何をすればいいのかなんて分かんないし、それこそこれ以上生徒が居座ったって休めないだろうし。
養護教諭なんだからどうすればいいかは先生が一番分かってるはずだ。
ホワイトボードが目について、マーカーをちょっとだけ借りてから教室に戻った。