局員危機対応力チェック 局外任務を終え、本部に戻ってきた春時は大きなあくびをひとつした。彼の後ろを歩くアダチは手帳を開き、何かを書き込んでは首を捻っている。
「ハルさん起きてるなら報告書書いてよー。僕今ちょっと溜め込んでて……」
「んー……あ、ヨシミ、これ」
春時はある張り紙の前で足を止め、まるで吸い寄せられるように顔を近づけた。広報部による局内公募、という記載がアダチにも見て取れた。
「ヨシミ、これ面白そうだよ。やろうよ」
「僕は仕事が山積みなんだけど」
「企画はハルが考えて提出するから。ヨシミはハルが言うことをやればいいから」
「えー?」
張り紙には局員や能力保持者のイメージアップをはかる作品を募集、と書いてある。作品の形式は自由で、応募の際に企画書の提出が求められている。
「ハルこういうの得意だし、絶対うまくいくって」
「ハルさんがそうやって自信満々の時は大体コケるんだよなぁ……」
大きなため息をひとつ、アダチは髪をくしゃくしゃに掻きむしった。
「報告書は僕がやっとくから、企画書が通ったら教えて」
「分かった。ありがと」
春時が笑顔を見せた。この時に春時を止めなかったことを、後々アダチは後悔することになる。
そのうち何かをやらされる予定ができたアダチは普段の倍速で書類の山を片付けた。「普段からこのくらいのスピードでやってくれ」と嫌味を言われることもあった。
あれから数日後、春時がアダチの元へやってきた。
「ヨシミ、企画が通ったから早速やろ。ヨシミに頼みたいこと、沢山あるんだ」
「沢山……?」
うきうきと楽しそうな春時を見て、アダチは顔をしかめる。
「何すればいいの? てか何やるんだ?」
春時に企画書を渡され、アダチはざっくり流し読む。『局員の危機対応力チェック!』と銘打たれているのを見て眉間の皺が深くなる。
「ハルさん、ここじゃダメだ。場所を変えよう」
アダチはミーティングルームの使用状況を確認すると春時の腕を掴み、空き部屋へ連行する。入口のプレートを『使用中』にして中に入り、春時に椅子を勧めた。
「ハルさん、率直に聞くけどこれドッキリってやつだよね?」
「うん。寮の人に寝起きドッキリやって、反応を動画にするの」
「『寝起きドッキリ』なんてどこにも書いてないけど……? 対象は慎重に選ばないととんでもないことになるんじゃない?」
「たぶん。だから候補はヨシミに選んで欲しくて」
「僕は顔出ししないよ?」
「マスクとかで顔隠してカメラ回してくれたら大丈夫じゃないかな」
「……」
アダチは思考を巡らせる。春時が普段どんな作品をネットに投稿しているか、候補に選ぶ基準は、そして部屋への侵入方法は――考えただけで頭が痛くなってくる。春時にはどこまでが見えているのだろうか?
「――分かった、裏方は全部引き受ける。でも今回限りだ。いいな?」
「分かった」
「これさ、企画書に書かなかったこと、他にもいくつかあるんじゃない?」
「うん。通らなかったら嫌だから」
なんとなく嫌な予感はするが、そこまで大それたことは考えてないだろう。多分大丈夫。杞憂だ。アダチは自分にそう言い聞かせ、改めて春時の方を向く。
「オッケー。そんじゃ詳細を詰めようか」
アダチは手帳を広げ、ペンを走らせ始めた。
***
さて、企画の決行日がやって来た。マスクと愉快なパーティメガネで顔を隠したアダチは、春時と共に自室にいる。二人の手にはいくつか丸印が付けられた局員名簿が、それに加えてアダチには小型のビデオカメラもある。
「絵になる画の撮り方、マスターしたよね?」
「もちろん。ハルさんの厳しい特訓のお陰です」
「鍵はある?」
「あるよ。夜明けまでに返せって言われてるから急がないと」
「質問はある?」
「ハルさんは眠くないの?」
「すっごく眠いよ。だから早くやろ」
頬をぎゅむっとつねりながら春時が答える。何度つねっても大きなあくびは止まらない。
「企画自体の見直しが必要なのでは……?」
「いらない! 面白いからいいの!」
出発前に企画の導入部を撮影した。カメラが回るとなぜか春時のあくびが止まる。普段から、せめて任務の時だけでもこうあって欲しいなという気持ちを抑えつつ、アダチはカメラを回していた。
突撃先は翌日が遅番か非番の人。その中でも反応の良さそうな若い捜査員か経験の浅い保護官の部屋を選んだ。いくつか回ったが、スーパーボールのごとく弾け飛んだ捜査員や咄嗟に能力がある体で対応しようとした保護官、まったく反応できずに固まってしまった人もいた。
そしてこれはもちろん想定内なのだが、能力を発動させてしまう捜査官もいた。攻撃性のある能力の矛先は大半がなぜかアダチの方へ向き、そのお陰で彼はすっかりボロボロである。
「なんで全部こっちに来るの? 制御装置で抑えられてるってウソなんじゃないの?」
「ウソじゃないよ。ヨシミだって身をもって経験済みでしょ?」
「それはそうだけど……」
ブツブツ言いながら二人が向かったのはある女性捜査官の部屋だ。ドアの前に来た時、アダチの顔がサッと青ざめた。
「ねぇハルさん、ここはやめない……?」
「面白いと思うよ。なんで?」
「――男二人で女性の部屋に入るのは問題じゃない?」
「華やかになるんじゃないかな」
「……ハルさん、僕まだ死にたくないです」
この部屋に住むのは飛鳥涼子だ。彼女は元々の能力値が高いのか、制御装置を着けていても火力が強い。火炎操作なら片手を覆う規模の炎を生成してしまうのだ。
「僕はもう十分に仕事したから帰って寝たいです」
「ダメ。ここで最後にするから」
「まさかこのタイミングで遺書を用意してないことを後悔するとは思わなかった……」
父さん、母さん、姉貴、家族不孝な愚息をお許しください――泣き言を言うアダチをよそに、春時は鍵を開け室内へ入っていく。
「寝相は全然ダイナミックじゃないね」
自分の身にこれから何が起こるのかも知らず、涼子は布団にくるまって眠っている。諦めの悪いアダチはまだブツブツ言っているが、涼子を起こさぬよう声量を落としているあたりにある程度腹を括ったのが感じられる。
「それじゃ、危機対応力チェックいきまーす」
春時はカメラに向かってニヤッと笑うと涼子の頬をつつき始める。
「おっはようございまーす」
何度かつつくうち、涼子が身動ぎをし始めた。ここで春時がポケットから取り出したのはリコーダーの頭部管。彼がアダチの私物から拝借してきたものだ。
唄口を咥え息を思いきり吹き込むと、大きな音に驚いた涼子が飛び起きた。彼女がベッドから転がり落ちると、同時に小さな障壁が空中に生成され、勢いよくアダチを壁に押しつける。
『小さな』とはいってもアダチの上半身ほどの大きさがあり、アダチは押し潰されまいと手足を総動員して必死に押し返そうとしている。
「これ僕が元身体強化持ちじゃなかったら瞬殺されてるよね……ッ!」
春時は障壁と格闘する彼には一瞥もくれず、足元に転がったカメラを拾い上げるとアダチに向け、そして涼子にも向けた。
「スズコ、ハルだよ。ヨシミが死んじゃうからそろそろストップして」
「へ……?え、あ、足達さん わー! ごめんなさい!」
涼子が障壁を消すとアダチが床に落ちた。荒く呼吸をしながら両膝を抱えるとグスグスと泣き始める。
「ドッキリ大成功~」
春時はカメラに向かって笑顔でピースして見せた。
後日春時は編集した動画を提出したものの、それが採用されることはなかった。しかし更に音声や映像を加工したものが何者かによってネットにアップされ、再生数と高評価を稼いでいるという――。