漫画のようにはいかない ハイカラスクエア駅から六駅先、モンガラ駅から徒歩二分の場所にあるハギノ大学。バトルのステージにも使われ、有名となったモンガラキャンプ場のある辺りに位置するこの大学は、ハイカラ地方ではそこそこ名の知れた学び舎である。
入学して半年も過ぎれば、広い敷地も慣れたものだ。お気に入りの場所も出来た。敷地の奥にある建物の陰に置かれた木製のベンチ。木々も近く、静かに過ごしやすい。
ここなら緊張もしないだろう思ったけれど、甘い考えだった。僕はそわそわと丸いべっ甲のメガネを持ち上げた。生唾を飲み込み、ようやく声を出す。
「スミマセン、突然呼び出して」
隣に座っているのは、友人……と呼んで良いのか、未だに曖昧な関係の人物だった。彼はひとつに結んだ青いゲソを揺らした。
「ううん。空きコマだったから。イトからなんて珍しいとは思ったけど……話って?」
もっとなんでもないように聞くつもりだったのに、いざ彼を前にすると言葉が詰まる。拳を握って、腹に力を入れる。
「アノッ……」
せめて目を合わせようと顔を上げると、垂らした足が眼前で揺れた。
「……アノ、少し、聞いてみたいと思いまして……」
彼はなぁに、と相槌を打ち、小首を傾げる。ゆったりとしたその動作に、落ち着いてと言われたようだった。
僕には聞いてみたいことがあった。
「カイさんは、3ゴウのことを好きなのですか?」
告げた途端、彼は固まった。肩は強ばり、瞳孔が収縮する。
「……何、」
零れた二音は、先程と同じなのに、その声色には動揺が現れていた。
「と、突然でゴメンなさい。ソノ……」
予想外だった。彼なら笑い飛ばすか、はぐらかすか……何にせよ、僕相手に大きな反応を見せるとは考えていなかった。
何から話すべきか。言葉を選びあぐねていると、彼が時間をかけて息を吐く音が聞こえる。
「だいぶ唐突だね。なんでそんなこと聞こうと思ったの?」
視線がこちらに向く気配がした。目を合わせると、大きく揺れていた彼の瞳には動揺は見えず、落ち着きを取り戻したようだった。
「ソレは……アナタの表情に、見覚えがあったから……」
そう、きっかけは彼の表情だった。最近、先輩のような存在であるイイダさんから、恐れ多くも趣味だという漫画を貸してもらっていた。これがなかなか興味深く、イカ達の心情を知る良い勉強になった。……三号からは、フィクションだからとは言われているが。
とにかく、その漫画というのが、世では少女漫画と位置づけられており、多くが「恋」を扱う物語であった。その中で、主人公が恋を自覚し、表情が変化していく。それが印象的だった。
そうしていくつか作品を読み、少女漫画が僕の中に馴染んだ頃、不意に見せる彼の顔に見覚えがあるように感じた。最初はあまりに些細で分からなかったが、その顔がいつ現れるのか、誰に向けられているのか……観察しているうちに、記憶と結びついた。
つまりは、漫画の中で「恋」をしている少女達の表情と、カイが三号を見ている顔が重なった、ということだ。
……と、なんとか伝えると、静かに聞いていた彼は一応納得したように、そう、と相槌を返した。
「で、オレから答えを聞いたとして、キミはどうしたいわけ?」
そう問う彼の瞳は冷ややかだった。納得していなかった。その反応が当然だとは理解しているが、普段の温厚な様子を知っているが故に、心に来るものがある。
「不躾な質問だとは、承知しています……」
そう返しながら横を見る。彼はふいと顔を背け、前かがみになり広げた脚の間で手を組んだ。手に力が入る。合わない視線は前に向けた。
「好奇心があることも、否めません。タダ……」
相槌は返ってこない。静かな圧を感じる。
「アナタの温かい顔を見ていたら、ボクも、温かい気持ちになったんです」
身動ぎしたのが目端に見える。
「モシ、お話のような気持ちがアナタにもあるのだとしたら……それは、素敵なことだと思いました」
彼が三号を思う気持ちがこちらにも流れ込んでくるようで。知りたかったのだ。あんな温かい気持ちがどこからやって来るのか。
「ダカラ……聞いてみたかった」
言い終えてから、これでは答えになっていないと思ったが、ボクには精一杯だった。
「……ステキ、ね」
ふっと息をつく音が小さく漏れた。威圧感が緩む。
「そんなふうに言われるとは思わなかったな」
体を起こした彼の顔には、苦笑いが浮かんでいた。
「トッ、とても優しいお顔だったんデス!」
こうして、無理を押して聞いてしまいたくなるほどだったのだから。僕の勢いに押されたのか、彼は声を上げて笑った。
「わかったわかった」
彼は不意に笑い声を納める。そうして、さらりと告げたのだ。
「アイツのことは、特別だよ。確かにね」
一転して浮かべる静かな微笑み。この顔だ、と僕は思った。
「けど、キミが期待するようなことはないと思うよ」
「期待、ですカ……?」
意図が読めず、ただ言葉を繰り返す。
「だって、漫画みたいって思ったんでしょ?」
まあ、と曖昧に応える。確かに、彼を主人公に重ねたのは事実だ。
それなら、と彼は言う。
「漫画みたいな関係にはなれない。オレは何も言わないから。アイツは……よくわかんないし、わからなくていいんだ」
そう言うと、彼は立ち上がった。羽織っているブルゾンが風に膨れる。
「そして何事もなく終わる……そんなオハナシはないだろ?」
もう良い? そう聞かれて、僕はつい頷いてしまった。話が出来て面白かったよ、と嘘か本当か分からないような言葉を落とし、彼が立ち去る。
その姿見えなくなっても、僕はずっと彼の言葉の真意を考え続けていた。彼の言う終わりとは、何なのかを。
その後、何も聞けず、おそらく彼らの間に変化もなく半年が過ぎた頃。彼にとっての「終わり」だと悟るには十分な出来事が起こる。
彼はこの大学を離れ、バンカラ地方に移った。彼は、自らの意思で三号の元を去ったのだ。