一歩づつ──デートでもしませんか。
廻屋からそう誘われたのは、春の日差しが暖かくなり始めたお昼前。
いつぞやのお月見で、一応は恋人となったものの。いつも通りにセンターに顔を出し、いつも通りに調査に向かって、いつも通りに調査報告をして解散、という進展のなさだったのに。一体どういう風の吹きましなのか。
でーと、デート……。口にして反芻して首を傾げるあざみに、廻屋は「映画とかいかがです?」と付け足した。
「見たい映画があってですね。ホラー映画なんですけど」
「えっ……それは、ちょっと……オコトワリシマス……」
思わず小声になってしまうあざみに、廻屋はクスクスと笑いだす。
「安心ください、怖くないですよ」
「ホントですか……?」
廻屋の発言に思わず身を乗り出す。嘘を言っている様子は微塵もないが、それでも怖いのは嫌だと、あざみは首を振った。
「では……お食事とかどうでしょう。美味しいお店があるんです」
「……ごはん」
「はい、ごちそうします。あざみさんさえよければ」
「うー……ん」
食事ならいいか、とあざみは頷く。
「あざみさん、苦手な食べ物ありますか?」
「……ないです。何でもたべます」
「では、お気に入りのお店が近くにあるんです。そこに行きましょう」
手早く電話をかけ、呼びつけたタクシーに乗り込んで向かった先は、ちょっとお出かけで入れるような店でもなく。
あまりの場違い感に恐縮するあざみに、「個室ですから気にしなくても大丈夫ですよ」と声をかけた。
「あざみさん、お酒は大丈夫ですか?」
「……はい。あまり強くはないですが」
メニュー表を開き、注文する品を選ぶ。廻屋が適当に頼んでいくのを、あざみはただ見ているだけだった。
「では……とりあえず、乾杯しましょうか」
運ばれてきたグラスに、カチンと軽くぶつけて一口飲む。口当たりがよく飲みやすいそれに、思わず「あ」と声を漏らした。
「美味しい……」
「良かったです」
そのまま料理が運ばれてくる。どれも美味しそうで、あざみはどれに手をつけようか目移りしてしまう。
「お好きなものからどうぞ」
「はい……」
結局選んだのは、廻屋と同じものになった。
食事中は映画の話や仕事の話など、他愛もない会話が続いた。その流れの中で、ふと思い出したように廻屋が言う。
「……難しいものですね」
「なにがですか?」
「恋人らしいことを、と思ったんですが。どうやら私の空回りのようで」
「そ、そんなこと……!」
あざみは否定しようと慌てて手を振る。廻屋はその様子に小さく笑った。
「いえ、いいんですよ。あざみさんが楽しんでくれているならそれで。なにぶん、こういったことに慣れていないので」
「たのしむ……はい、楽しいですよ」
「それは良かったです。私も楽しかったです」
そう言って笑う廻屋は、本当に楽しそうだったけれど。でも、とあざみは考える。
これはデートだが、恋人らしいことをしているかといえばそうではない気がする。
映画を観に行こうとするか、食事に行くだけなんて。ただ一緒に出掛けて食事をしただけでしかないじゃないか。
「ごちそうさまでした」
にこにこと愛想よく笑う廻屋に、あざみは躊躇いながらも口を開いた。
「あの、今日のお出かけ……デートだとは思うんですけど……でも、これは恋人同士がするものじゃないと思うんです」
「……どういうことでしょう?」
首を傾げる廻屋に、あざみはさらに言い募る。
「恋人同士ってもっとこう……いえ、こういうのも楽しいですが!えっと、その……」
必死に言葉を探すあざみを、廻屋は黙って見つめるだけだ。その視線に居た堪れなくなったあざみは、もごもごと口を閉ざしてしまう。
「……もっと、こう」
「……はい?」
きょとんとした廻屋の頬に手を添え、車椅子の高さに体をかがめ顔を寄せる。ちゅ、と小さな音を立てて重ねられた唇は一瞬で、柔らかな感触がしたと思うとすぐに離れていってしまった。
「……こういう方が、恋人っぽいと思うんです」
耳まで赤くなって顔を逸らすあざみを呆然と見つめて数秒、廻屋は我に返り「あ……え……?」と声を漏らした。その頬も次第に赤く染まっていく。
「あの、えっと……」
しどろもどろになりながら言葉を探す廻屋の手を、あざみがぎゅっと握る。
「だから、またデートしましょう。次はもっと恋人らしいことを」
「……そうですね」
柔らかく微笑む廻屋に、あざみは安心したように表情を緩める。
小さく頷くあざみを見て満足そうに笑う廻屋の頬も赤く染まっていた。
その頰の熱さを誤魔化すように、廻屋はあざみの頭に手を伸ばし優しく撫でると口を開いた。
「では次のデートで、恋人らしいことをたくさんしましょう」