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    スピネル(箱)

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    スピネル(箱)

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    通り過ぎていく光の影を目で追いながら、時折目を休めるようにゆっくりと瞬きをする。

    何かが視界に入る。どこの駅で入ってきたのだろうか、親指の爪にも満たない大きさの、小さな蛾が電車の天井の蛍光灯にぶつかっているのが見えた。

    暇だ、そう思った。

    私は今実家に帰るための電車に揺られている。いつもなら音楽を聞いて時間を潰すのだが、なんとなくカバンから音楽プレイヤーを取り出すのも億劫で窓の外を眺めて過ごしていた。
    外はもう真っ暗闇だから車内の風景が鏡のように窓に映し出されている。離れて座っている男性の姿が視界に入り、無意識に目がそちらに行く。
    ぱちり、と目があった気がした。
    互いに視線を逸らす。

    窓に視線を戻すと男性は下を向いてスマホをいじっていた。観察しているわけではないが、窓の外を眺めようとするとどうしても男性の姿が目に入ってしまう。
    何度も目が合えば「あの女、やけに見てくるな」なんて気味悪がられるかもしれない。
    こう思うこと自体、自意識過剰なんだろうけど、ずっとこの性質で生きてきたのだから思考のパターンは中々変えられない。

    まあ、どうせ外を眺めていたところで街明かり以外のものはほとんど見えないし、と私は風景を眺めるのをやめることにした。


    手持ち無沙汰になるとなんだか落ち着かない気持ちになる。流石に電車の中で絵を描く勇気はない。その点、小説ならスマホを触っているだけにしか見えないので、実家に帰るまでの長い車内の良い暇つぶしになるかと思ったのだが。残念ながら今は空腹でうまく頭が回らない。
    なにせ、朝から何も食べていないのだ。お腹が空かないわけではないが、作るのが面倒で食事を抜いてしまうということが私にはよくあった。
    少し空腹なぐらいが頭は回りやすいが流石にここまで空腹だとだめだ。

    それでも何もしないというのも勿体無い気がして、何か書けるものはないか考えを巡らせる。しかし、長考しても良い案は浮かんではこなかった。

    インスピレーションになるかと思い愛用しているイラストや小説を投稿できるサイトを開いた。ブックマークしている好きな作品をタップし目を通す。やはり上手いな、そう思った。
    自分で楽しむだけの目的で書き始めた小説であるが、どうせなら少しでも良いものが書けた方が楽しい。普段は漫画を描く際に生じる向上心のようなものが小説執筆に関しても芽生え始めていた。

    そこで、ふと思い出したのがブックマークしているある作品だった。それは小説を初めて書く人に向けたハウツー本のようなもので凄く参考になるのだ。
    その作品では確か「少女がショーウィンドウを見て目を輝かせている」というシーンをお題に解説されていた気がする。

    自分もやってみるのも楽しいかもしれない。
    私ならそうだな……女の子がわぁあと目を輝かせ、ショーウィンドウにほっぺたをくっつけてしまい、残った跡を服の裾で拭き取る、そんな描写を入れたいな。

    自分好みの描写が浮かんでマスクの下で緩く口角を上げる。どうせなら作品に起こすのも良いかもしれない。
    具体的な方向性は思い浮かばないけれど……、書くのならオリジナルの方がいいだろうか。でも昨日クリスマスの話を二本書いたばかりだしな。となると、二次創作の方が書きやすいのでは。

    舞台はクリスマスの夜。イルミネーションに彩られた街を歩いていると、ショーウィンドウに小さな女の子が顔を引っ付けて目を輝かせている、そんな様子に微笑ましげに視線を送る人。今ハマっているスポーツ漫画の登場人物に当てはめていくと、銀色の髪とクロスのペンダントが特徴的な、優しい性格の少年が思い当たった。

    けれど肝心の話の主軸が見えてこない。しばらく考えたが、これだ、と思うものは浮かんでこなかった。書きかけの小説のプロットを再構築する気にもなれず、私は再び目を閉じた。

    そのまま電車の揺れに身を任せていると、ふと脳裏にピンと閃くものがあった。

    そうだ、日記でも書こうか。

    小説のように日記を書く、中々楽しそうじゃないか。先ほどまで思いを馳せていた車内の様子も、思えば私好みの描写かもしれない。小説を書く良い練習にもなりそうだ。

    ワクワクした気持ちになってスマホのメモアプリを起動すると、思いのままに文章を連ねていく。
    そのまま30分もしただろうか。夢中で書き進めていると気づけば降りる手前の駅になっていた。
    すると、まるでタイチングを見計らったかのように母親から「駅前のコンビニで待っている」とメッセージアプリの通知が入った。
    やっぱり甘やかされているな、なんてくすぐったい気持ちになる。今日の夕飯はなんだろうか、早く家族と食卓を囲みたい。

    降りる駅を告げるアナウンスが鳴る。
    私は書きかけの小説が映った画面を閉じ、改札階へ向かうためのエレベーターに向かって歩を進めた。
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