夢みたいな展開 噛みつかないと出られない部屋。
デカデカと掲げられている看板を見上げるのは、オンボロ寮の監督生とイグニハイドの寮長イデア・シュラウド。
監督生は顎に人差し指をちょこんと置いて「うーん」と目を瞑り唸っている。
イデアはというと「なにこれなにこれなにこれ」と軽いパニックに目をぐるぐる回しながらも、部屋が魔法を一切遮断していて、所謂結界内に閉じ込められた状態で、この謎クエストを消化しないと鍵が開かないってこと? と高速で導き出し、どんな魔法にも綻びというものは存在するものだ、解析してしまえば鍵を偽造するなんて造作もない。とさっそくこの部屋を構築しているシステムをハッキングしてやろうとしたところで「あの」と監督生に声をかけられた。
こんな部屋に突然髪の燃えた陰キャオタクとぶち込まれてさぞや不安だろう。
イデアは監督生を不憫に思いながら、安心させようと口を開いたところで「噛まれるの嫌ですか?」と問われた。風向き変わったな。
イデアはこれってもしかして正規ルートで部屋を抜けるでもいいという兆しですか? というのをひた隠し「まあそうだね。でも女子に噛み付く趣味もないね」と真顔で言い切ったが嘘である。
イデアは監督生に想いを寄せているので、好きな子に噛み跡をつけたいという性癖は持ち合わせている。
とはいえ自分の歯が鋭利なのは己が一番よくわかっているので、許可取りして許されて初めてできるということは重々承知。あくまでも今現在の関係性では「噛み付く趣味はない」は妥当な答えである。
「じゃあ私が先輩に噛み付いてみてもいいですか」
「……ん?」
ん? イデアは己の耳をきゅっきゅっと指でこねくり回し、チューニングし直した。
聞き間違いか? いや確かに「噛んでいい?」って言ってたよな。
左右の耳を交互に下にして頭を叩いた後「なんて?」ともう一度聞き直してみた。一応ね、確認しないと。
「か、噛んでいいですか?」
か細い声で尻すぼみに恥ずかしそうに言われると、伝染するのですが!
イデアはパッと顔を逸らして咳払いをする。
「だってイデア先輩の歯だとちょっと痛そうだしその」と何やら言い訳を並べ立てているが、まあ確かにそれなーなんだよね。とちょっと納得しつつも、噛む心意気を持ってるところに賞賛したよ。そりゃこんな問題児だらけの学園で生活できるわな。経験値が違うわ。
「どぞ」
パーカーの袖を捲って腕を差し出す。
君の心意気に胸を打たれたテイだけど、ちょっと嬉しいのは秘密だ。
というか嬉しいとかキモすぎるな。無になれ。喜ぶな。感触とかそういうの堪能しようとするな。色々とやばいから。わかるだろ僕。
と己に説教しながら、小さな両手が腕を持って、これまた小さな口がかぱりと開く。
「あー」
あーんとか言うな〜〜っ!!
かぷ。
「…………あれ?」
変化のない部屋。だめだったらしいというのはドアノブをガチャガチャして帰ってきた監督生の、ハテナがたくさん浮かんでいる顔を見て理解した。
イデアは袖をまくったままの右腕をどうしたものかと反対の手で恭しく持ちながら「もっと強く噛まなきゃいけないのでは?」と考察結果を口走る。
「例えば噛み跡がつくくらい……とか」
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なにをどうしてこうなったのかと言うと、思い切り噛むなんてできないし、一回チャレンジしてできなかったので、次は先輩どうぞ!
からの「ドアノブガチャガチャしながらの方がいいですし、髪で隠れるので首の後ろでお願いします!」ときた。
え? である。
これは据え膳ですか? よくわからないけど目の前でフルコース完成してるんだよ。それをさ、要するにギリギリセーフくらいにとどめる理性が試されるってことだよね。
いや無理ゲーすぎて草
イデアはバクバクする心臓とぐるぐるしてきた目で、ドアノブを握っていない左の手で髪を上げて「一思いにガブっといっちゃってください」と少し頭を下げるようにして首をさらけだしている監督生を「こいつはバカなんだきっと」と危機感のなさに若干のイラつきと、これは異性として見られていないってことかな?
というバフがかかり、イデアの良心は黒色に染まった。
「わかってるとは思うんだけどさぁ。僕の歯って結構鋭利なんだよね」
「ですね。なので軽くでも……ひっ! な、なんで舐めるんですか……!」
「君よりでかいし力もある男に、簡単にこんなとこ晒さない方がいいよって、教えてあげようと思って。拙者こう見えて優しいお兄ちゃん属性なんでね〜フヒ」
「ちょっ……それ」
監督生が身じろぐのは想定通り。股の間に足を差し込んで、手首を掴んでドアに押しつける。
軽く爪先がつくくらいでは、踏ん張ることはできないので逃れることは不可能に近い。
簡易的だが屈強な拘束に、監督生は顔をサッと青ざめ振り返ろうとしたが、イデアがそれを許すはずもなく、首に寄せられた顔とはぁと当たった熱い吐息に、次に来るであろう痛みを覚悟して身体をぎゅっと硬直させた。
ガブ、という音が聞こえるくらいしっかり噛みつかれ、チリチリとした痛みを感じた。
「ううっ、せんぱい、もういいと思うんですけど……」
カチャンという解錠音が聞こえ、ホッとしてドアノブを捻るが、イデアは開きかけた戸を引き戻し、監督生の両手を捕まえてドアに押し当てた。
足が自由になったと思ったら、首に噛みついたままのイデアが、片手で両手をまとめあげ、腰をぐっと自分の身体の方へくっつけるように引き寄せる。
ゴリゴリとした硬いモノと、イデアの短くて荒い息遣いで、監督生は顔色を真っ青に変えて「まってください」とうっすら涙を浮かべる。
「無理。君が悪いんだよ。さ、散々、煽ってくるから」
「そんなつもり……いっ、いたっ」
「君の肌って白いから噛み跡がくっきりつくね。フヒヒ」
「イデア先輩っ、こわいんですけど」
「今更すぎ。これでわかったでしょ。頭に詰まってる脳みそ使わないでボヘーーっとしてるとこういう目に合うって」
イデアは好きな子の泣き落としにめっぽう弱かった。
本当はもうこのままナシ崩し的に襲っちゃおうかな〜とか最低クソ男思考に囚われたけれど、その後が大変になるのは明白。これはあくまで慈善行為であり、拙者は怖い男を模しただけですよムーブを取り誤魔化すことにしたが、股間の肥大化は誤魔化しきれない。
「ぐす、わかりました。イデア先輩にしかこういうことしません」
「ほぁ?」
僕の耳今日どうかしてる? イデアはぐすんぐすんと小さい子みたいに泣いている監督生を見つめながらも、思考が宇宙へ飛び立っていた。どうにか数秒のローディングで戻ってこれたが、やっぱり意味はよくわからなかった。
「ど、どういうこと? くわしくオナシャス」
監督生はポロポロ溢れる涙を拭いながら「イデア先輩のこと好きで、噛み跡くらいなら別にいいのになって思ってて」と爆弾を投下してきた。
「う、うんそれで?」
「でも突然、せんぱいが、ちょっと乱暴で、怖くなっちゃって」
「ど、土下座して謝りますんで、そこんとこはちょっと許してもろて」
「それに今日下着かわいくないのでっ」
可愛かったらオーケーだったってコト?!
イデアは土下座のポーズで股間を抑え、もう無理後少しで押し倒しちゃう野獣な僕がいる。こわいこわい。自分が怖い。そしてなんか突然告白してきた監督生もこわい。
「ゆ、夢……?」
醒めているな。というマレウスの声が聞こえてこないので、これはどうやら夢ではなくリアルイベントだったらしい。