油断してるのが悪いんだよ イデアの唇が青いのはリップを塗っているののだと思っていた時期が監督生にはある。
初めてキスをされた時にはすでに彼の唇が自前であることはわかっていたけれど、己の唇に指で触れてみても、その指先に色が移ることはなく、むしろ「え、な、なにその反応、い、嫌だった?」とぐさぐさとなにかが刺さってうっすらとイデアを泣かせてしまい、理由を説明して納得してもらうまで少し時間がかかったし、溜飲を下げるためにもと「君からちゅーして」ときた。彼は溜飲を下げるためと言っていたが、そんなのとっくに腹の底まで下がっていたはずなのだ。ニヤニヤしていたし。
監督生はフルフルと数ヶ月前の記憶を脳内フォルダにしまい込み、隣を歩いているイデアを見上げる。
珍しく生身でいる。購買に用事があったからとかなんとか。
鏡舎に向かう彼とは後少しでお別れだ。
監督生はイデアの服をちょんとつまんでしまった。
「あ……えっと」
すぐに手を離したけれどその手をぱしりと掴まれて「ん?」と柔らかな表情が逆光の中でもはっきりと見えた。
揺らめくサファイアがとても美しい。
触れたい……その思考を予鈴が咎めている。
「も、もう、行かないと……」
「そだね」
指先が繋がれたままだ。
もぞもぞも唇を甘く噛んで、視線があっちこっちへと彷徨う。
なにかを待っている視線と、研究対象を観察する眼差しは少し似ている。
「キスしてって、言ったら……してくれる?」
誘導されているのはわかっているのに強請ってしまう。
「もちろん」
右手が監督生のサイドの髪を耳にかけ、そのまま頬を撫でて顔を寄せる。
ぴったりと重なった唇は柔らかくてひんやりとした薄い皮の向こうにほのかな体温を感じた。
「またね」
右手がするりと離れていって、彼は振り返らずにさっさと行ってしまった。
ひらひらと手を振る監督生は、足が地面についていないような感覚になりながら、自分の教室へと戻る。
そしてその道中、妙に視線が顔に集まっているのが不思議で、もしかしてなにか顔についているのか……いや、ならさっきイデアが指摘してくるはず。
ということは相当浮かれた顔をしている⁈ となり、恥ずかしくなってその場でスマートフォンのカメラを起動して確認した。
「なっ!」
監督生が真っ赤になっているのを遠隔で見ていたイデアは「イエス! 決まった!」とイタズラを成功させて大喜びしてガッツポーズをしている。
監督生の唇はイデアがこっそり自分の唇に仕込んでいた青いリップの色が移り、ほんのり青く染まっていた。