お互い初体験ってことデスネ…「ちょ、ちょい待ち」
イデアは帰ろうとする監督生を引き止めた。
引き止められた監督生はなにか用でもあるのだろうか? と素直に身体をイデアの方へ向けて「はい?」とイデアが引き留めた理由を待つ。
が、いつまで経っても目の前で決まり悪そうに視線を泳がせていて、手遊びまで始める始末で時間が無常に流れていく。
「あの」
「い、一旦、部屋入って」
己の安全区域に引き込んで深呼吸。
イデアは「なんで? 目悪い?」とぶちぶちと小言を吐き出している。
明らかに自分に対してだよな。というのはわかるので、監督生は「視力はいいですよ」と一応答えておいた。
「じゃ、じゃあ尚更なんで? み、見てわかるでしょ」
「……部活行かれるんですよね」
「そ、そうなんだよ。で、もっと、ほら……あるでしょ」
「がんばって?」
「っ〜〜! ちっがうっ! くない、けどぉっ」
クラブウェアのフードを取り去りわしゃわしゃーー! と己の髪を掻きむしる。ほわほわと炎が散って美しい。なんて呑気に炎を眺める監督生に「これだよこれぇ!」と勢いまかせに首にひっかかっているネクタイの端と端を掴んで引っ張って見せつける。
イデアの勢いと監督生の気圧されてすらいない静かな「はあ」というよくわからないなといあ態度が切ない。
イデアはいよいよ顔に熱が集まってきていたが、ここまできたら引けない。彼氏彼女になったならやってもらいたかったこと上位に入るアレ。そもそも拙者はネクタイ結ぶ機会ほぼないフォームですし! と意を決して「結んでよ」と絞り出した。
監督生は「なるほど」というようにイデアに歩み寄る。
「貸してください」
「ん」
身長差を縮めようと膝を折るのと同じタイミングでネクタイが首からしゅるっと引き抜かれ、監督生は自分の首にかけて仮結びを始めていた。
「ちょ、ちょちょ、ちょい! タイムタイム。それはナシ。そういうんじゃないわけ」
「どういうことですか?」
「こ、こう……わ、わかるでしょ」
「私人に結んだことなくて」
イデアはそれって初めてってコト? とセリフ自体には萌えあがり、胸を抑えて「おけ。把握」と親指を立てる。
なおのことこのアチーブメント会得に躍起になるに決まっているので「まあ試しにやってみてよ」とネクタイを首に回して少し屈む。
「うーん……こうして、えーと、こう!」
「フヒ」
「えーと……ニヤニヤするのやめてくれませんか?」
「ニヤニヤするでしょこんなの。……はあ、可愛いね〜」
ぷにぷにと頬を指で挟んだりたむたむと手のひらで弄びながら、イデアはニヤニヤと口元を緩めて目元さえとろけさせながら監督生を見つめていた。
悩んでる顔もそうだが、この距離感堪らん! と眺めていると「ちょっと座ってください」と頼まれた。
いくら腰をかがめてくれているとしても、身長の高いイデアに立ったままでいられると圧迫感もあるし、そもそも時間がかかりそうだと判断したらしい。
ぽすんとベッドに座るイデアの前に立って、ネクタイをどうにかこうにか結ぼうと格闘し、ついに監督生もベッドに膝をついて果てはイデアの上に跨るまできていた。
なにこの状況。と自分に跨ってどんどんと角度が急になって、後ろ手についている手がぷるぷるしてきている。
とてつもなく真剣な顔をしている彼女に対し、頼んだ手前声をかけるというのもという段階にまできていたが、ついにイデアの腕が限界をきたしてしまった。
「きゃあっ」
ひゅんと身体がイデアとともにベッドに倒れ込む。
イデアの身体にのし掛かっていることを監督生の頭が理解して「夢中になりすぎてしまった」と身体を離そうとするのをイデアの手が止めた。
きゅっと抱きしめて「はあ」とため息をこぼす。
簡単なこともできないと呆れられたのだろうか。なんていう勘違いをさせる間もなく「こんなことで真剣な顔しちゃってさ」と好きをふんだんに盛り付けた声色で髪を撫でるので、監督生はイデアの服をきゅっと掴み頬を赤く染める。
不甲斐なさも少なからずあるが、大半は愛されていることで生じる恥じらいだ。
嬉しいな。と胸をときめかせながらも、監督生はふと思いついたことに「あ!」と身体を起こす。
「な、なんだろう……突然イヤな予感なんですが」
イデアの引きつった笑みににぱっと笑顔で返して、監督生はネクタイをしゅるしゅると結び出した。それはもうさっきの辿々しさが嘘のように。
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「おやおやイデアさん。今日は随分と可愛らしい……フフッ、ブッ……ごほん。失礼いたしました」
「……ス」
イデアは部室に入りフードの中でげんなりしている顔を、アズールに笑われたことで余計にどんよりさせた。
ここに来る道すがらでもひそひそゲラゲラ……同じクラスのケイトには「イデアくんなにそれかわいーマジカメにあげとくね〜」とコンマ何秒の速度でスマホで写真を撮られたし。最悪すぎる……が、まあ、そのこれ結んだの監督生だし、その写真は貰うけど。なんて複雑な感情で疲労感がすさまじい。
ネクタイを人に結んだことがない監督生がたどり着いた答え、それはエペルやリドル、リリアのようなリボン結びにすることだった。
183センチ。陰キャオタクのネクタイリボン結びってなに? ネタでしかない。
「できた!」とキラキラ笑顔で言われて「アリガトゴザイマシタ」とどうにか絞り出したし、悪戦苦闘している真剣な顔も見ていたし「いやいやこれは、ちょっと」と解くに解けなくなってしまったのだ。
絶対似合ってるはずないのに「すごい可愛い〜!」とかなんとか言ってた。よく覚えてないけれど。と回想しつつイデアはアズールの前に腰掛ける。
「はあ〜〜……」
「ぶ、フフッ、ぐ、フフフッ、大変、お似合い、ですよ、ぷっ」
「草生やしすぎ」
「そんなに恥ずかしいなら解けばいいでしょう」
「で、できるわけないでしょ。監督生氏が頑張ってたどり着いた最適解がコレなんだから」
頬杖をついてこぼした顔が恋に浮かれる男の顔を極めていたのがカンに触り、アズールが眼鏡を押し上げながら「こいつ絶対負かしたろ」となったのは必然の流れで、ネクタイリボン結びのイデアが、ボードゲームで敗北の苦渋を舐めた顔で握り拳を机に叩きつけ、アズールにゲスを極めた顔でゲラゲラ笑われたとか。