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    itokiri

    文字書きです。

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    POIPOI 171

    itokiri

    ☆quiet follow

    イデ監
    お姫様になりたかった🌸と王子様を拒否した💀の話。
    ハピエン

    ##イデ監

    シンデレラホリック 運命的な出会いやピースがハマるみたいな感覚を夢見てしまう。
     そうでない恋に意味なんてないって、誰かに想われるたびにそう思うのだ。
     どうして何も知ららない誰か不特定多数の人間に突然の好意を向けられて「ありがとう」と感謝しなくてはならないのか、どうして「気味が悪い」と嫌悪感を抱くことが悪だと言われなくてはならないのかがわからなかった。

     指先が触れた瞬間、ぱちんと電流が流れたみたいにときめいて「氷みたいだね」と言われ続けた心が温かくなった。
     顔が熱くなって、息が苦しくなって、それで気がついたら「すき」とこぼしてしまった。

     両手で口を抑えても飛び出した音は戻ってこない。
     コントローラーを持ったままの彼は、操作方法を教えようとした指の動きで固まって、それから「え」と歪むような音を出した。

     心底不審だと、意味がわからないと、たった一音で奏でたのだ。

     これまで好意を向けてくれた数多の人たちの感情を理解する瞬間は今だった。

     彼は私の運命の人かもしれないけれど、私は彼の運命の人ではなかったらしい。


    「避けないで……ください」

     あの日以来避けられているのはわかっていて、避けたくなる感情も理解できるのに、浅ましい私は彼の優しさに付け込んで、彼の服を必死に掴んだ。
     指先は震え、心臓もバクバクと飛び出すほど早く脈を打って、瞳からはポロポロと涙がこぼれてしまった。

     ずるい。自分でもわかっていた。

    「う……うん、わかったよ……君のこと、避けてたのは謝る……だ、だから、な、泣くのは、やめて……」

     困らせてるのに困らせるつもりはないなんて言えなくて、避けないと言ってもらえたことに安堵する。
     好きだと、彼のなにものかになりたいくせに、そんなのはどうでもいいから少しでもそばにいたい、いさせてほしい。そんな欲しかない行為で「今まで通りで」と願う。

     そんなの無理に決まっている。

     もうなかったことにできない。それをやるには今この現状さえも苦しい。

     けれど彼は優しいのだ。
     とても、とても、残酷なほどに。

    「わかった」

     時を戻す術も記憶をなくす術もない。
     あの日飛び出した「すき」を彼は聞かなかったことにしてくれた。
     もしくは「すき」の意味を彼の中で解釈し直してくれたのだろう。
     告白まがいのことをする前の、ただの先輩、後輩。仲の良い学友。その関係に戻してくれた。

     なのに。

     床に散った青い炎と見開かれている瞳。状況を理解しようと揺れ、そして閉ざされて深く重たいため息がこぼれ落ちた。心底不愉快で鬱陶しくてたまらないというのがよくわかるもので、恥や絶望で顔は熱いのに心は凍てついていく。
     どうしよう。と考えたところで何も生まれやしない。こうしてしまったのは自分で、せっかくリセットしてくれた距離を元に戻せなくしたのも自分に他ならないのに、彼の冷たい態度に悔しくて惨めで仕方がなくて、じわりと目に涙が溜まって、ポトリと彼の頬を汚す。

     わざと手に触れて、わざと身体を預けて、距離感を、境界線を越えた。越えさせようとした。

     そうやって既成事実さえつくってしまえば、優しい彼は責任を取るとわかっていて、それを選択した。

     過ちだと、心のどこかではわかっていたのに。欲深く浅ましい女は、彼を男にしてしまおうとしたのだ。

    「どいて」

     動かないというより、動けない監督生に対して呆れたようにため息をつくなり、イデアは監督生の肩を押して身体を起こした。
     乱れた髪を適当に直し、沈黙の痛みに耐えられずに「私」としどろもどろ吐き出す声に「君はさ」と温度のない声色で重ねた。

    「普通にしてと言ったけど君がその普通を壊そうとする。その時点でこの関係は破綻しているんだよ。君は僕をどうしたいの? 君の望みを叶える理想の男になれっていうのは土台無理な話だよ」

     好きとこぼして、彼なりに配慮して距離をとってくれたのに、監督生は好きな人のそばにいたいという欲を捨てられなかった。
     優しい彼に泣いて縋れば「わかった」と言って見捨てないでくれるのも理解していたし、もっというならばこれがチャンスに変わるだなんて思い上がっていたのだ。
     好きでもない女の子と一緒に二人きりになるのかとか、好きと言われた手前意識してくれるだろうから、少し押せば気持ちが向いてくれるんじゃないだろうか。と、淡い期待も抱いていた。
     けれどこれは成就して初めて報われる希望論であり、相手からしたら迷惑行為に他ならず、もっと言うなれば気味が悪いことこの上がないのだ。

     結果として最悪の展開になっている。

     イデアは淡々と続けているが、語調に怒りも溶け込んでいるのは察するに容易い。

    「そうやって自分を軽々しく扱うやり方は好きじゃない。そのやり方で人の気持ちを動かそうって言う君は嫌いだ。……悪いけどもう帰って」

     彼の地雷だったのだろう。

     自分の気持ちを無理矢理レールの上に乗せて走らせようとする強制的なやり口が。
     それに加えて身体を使ってどうにかしようというのもダメだった。

     けれど監督生はそこではなく「嫌い」という言葉に胸を刺され、心が砕けた。
     誰かから好かれる経験はあれど、面と向かって嫌いと拒絶をされた相手が、初めて好きになって、初めて自分の意思で手に入れたいと思った相手で、これは運命なんだってそう思い込んでいただけに、ぐにゃりと視界が歪んでどろどろとしたものが頭の上から全身を覆う感覚がした。

     無我夢中になって走り、消えたくて仕方がないと大声で泣いた。
     転んで擦りむいた膝も、脱げた靴も、構うことなく走る。

     王子さまは追いかけてこない。脱げた靴も拾ってなんてくれない。

     だって彼は監督生の運命の王子さまにはなってくれないから。


     鏡の前に立ち自分の顔を見つめて、監督生は小さく息を吐く。
     心の傷は未だ癒えていない。けれど時は平等に流れ、日常は当たり前に過ぎゆく。

     恋をすると綺麗になる。そんな話を聞いたことがあるけれど、醜く歪んだ自分がどんどんどんどん汚れていくのに耐えられない。
     バスルームからの熱でガラスが曇って姿が見えなくなるが、この曇りガラスの中の自分にさえ吐き気を催すほどだ。

     こんなつもりじゃなかった。

     本当にそばにいたかっただけ。
     ううん。もっと近づきたかった。
     違う、ただ同じ時間を共有したかったの。
     それだけじゃない。彼に触れたかった。
     足りない、もっと、もっと、もっともっともっと!

     渇望は止まらなくて、まるで穴の空いたコップに水を注いでいるようだ。

     相反する感情が鬩ぎ合い、ああでもないこうでもないと無益な争いに狂いそうになっていた。

     好き。という感情を抑えつけようにも、同じ空間で息をしているだけでも苦しくて嬉しくて、大好きで大好きでと止まらなくて、痛いくらいの感情が出してほしいと暴れるのだ。

     まるで心に獣を飼っているようだった。

     恋は呪いのように身体を蝕んで、腐食させ、冷静な判断を鈍らせた。

     頭はいたってクリアで、自分の意思も乗っかっていた。けれどまともではなかった。
     触れた指先の感触も熱も、骨ばっている身体の硬さや厚みも、なにもかもが鮮明で、愛おしい感情が止まらない。

     自分の指にキスをして、涙が溢れた。

    「すきになってくれないかなあ……もう、嫌われちゃったのかなあ……っ」

     お姫さまにはもうなれない。
     こんなに醜く歪んだ心を持つプリンセスはいないだろう。
     かぼちゃの馬車もない、ガラスの靴も拾われない、十二時の鐘が鳴ったところで魔法が解けたりなんかしない。
     現実はおとぎ話とは違って厳しいのだ。

     王子さまという配役を拒絶している彼に、なにを求めたところで無駄で、物語はここでページを閉じなくてはいけない。

     この恋は、終わったのだから。

     未練を捨てきれない監督生に対し、周りはどういうわけか好意的な視線を向ける。
     失恋の痛みが隠しきれず溢れている姿はどこか危うくて、儚くて、庇護欲を誘うのだ。

     あの日怪我をした膝はまだ治っていない。
     じくじくとした痛みや、治りかけてかさぶたになって痒くなるから、惨めな記憶がぶり返してため息をつく。

    「大丈夫? 僕でよければ話聞こうか」

     優しい声は大好きなあの人にどこか似ていて、目が見開かれる。
     顔を上げればこてんと小首をかしげる仕草をして、ごくわずかに瞳の中のレンズがきゅるりと細まるのが見えた。

     イデアの弟であるオルトは、いったいどこまで知っていて、どうしてこのタイミングで声をかけてくれたのか、色々な想像を抱いてしまうのを、オルト自身が否定した。

    「今日の授業が君のクラスと合同なんだけれど、足の怪我や君の顔色、その他全ての項目においてメンタル及び身体的にダメージを受けている状態と見受けられるよ。うーん。どちらかというと前者の方が重症そうかな……と思って、心配で声をかけたんだ」
    「そんなに顔色悪かった?」
    「うん。とーっても。兄さんよりも悪い人なんて早々お目にかかれないからね」

     イデアの話題が出た途端に監督生のバイタルが乱れたのをオルトが見逃すことはなく、これはなにかあったのかと容易に察するけれど、ヒトの恋愛事情に関して疎いところがあり「兄さんとなにかあった?」とそのまま豪速球で監督生にぶつけ、監督生はその火の玉ストレートをもろに喰らい、ボロッと瞳から涙をこぼした。

    「あは、はは」
    「うわーーっ! ご、ごめんね。えっと、えっと……こ、こんな時はどうしたらいいんだろう」

     教室でボロボロ大粒の涙をこぼし始めたので、後から教室にやって来たエースとデュースがぎょっとしつつ「なに泣かせてんだよオルト」と言い、保健室に行くように促され、オルトと監督生は保健室で話をすることとなった。

    「なるほどね……兄さんとそんなことがあったんだね」
    「ぐすっ、ひっく……うん……もう、っ、普通に、お話も、できないと思う……っ」
    「そうだね……兄さんの性格上……無理うざ。となったらバッサリブロックするタイプだからね」

     ばっさりと切られたことに余計にわんわん泣き出した監督生に慌てたように「で、でも、今回のパターンは特殊だと思うよ!」とフォローに入った。

    「特殊?」

     オルトはまず第一に、密室で「すき」と言われた時点で無理ってなってないから、避けていたにも関わらず監督生側からそれをしないでと請われたのに対応したわけで、好意自体を拒絶しているわけではなく、単純に「なんで?」が先行して気持ちの整理や理解が追いついていなかったのではないだろうかと推察した。
     けれど「すき」に対する答えが出ていない、もしくは出ているけれど伝えるべきか悩んでいた状態の時に、監督生から接触されて目の前で泣かれてしまったら、心を許した相手には甘めな対応をしがちなイデアは断れず流されてしまったのではないかとも。
     これは兄さんが悪いと思うよ! とオルトは腕組みをしてうんうんと頷いて続ける。

    「君がなにをして兄さんに拒絶をされたのかわからないから、ここから先の分析は僕の完全な憶測だけど……兄さんは君のことを異性として意識はしているとは思う」
    「……それはないよ」
    「そうだよね。君は兄さんに直接拒絶されたわけだし、信じられないのはわかる。でもね、兄さんはもっと早い段階で君を拒絶することができたのに、それをしなかったんだ。君と同じ種類の気持ちがあるのかはわからないけれど、兄さんにとって君は不快な存在ではなかったはずだよ」

     監督生はオルトの優しい言葉にポトポトと涙を流し「ありがとう」とお礼を述べた。
     これが同情で、事実ではないとちゃんとわかっている。
     心を守ろうとして言葉を選んでくれているだけなのに「それじゃあまだ希望があるってことだよね」と調子に乗って余計に嫌われる行動を取ってしまいそうになる自分を諌めなくてはならない。
     オルトとしては本心であるが、監督生は傷心しているし、自分がこれまで経験してきたものを頼りにして、最悪をこれ以上広げないようにと大人しくしていたいと思っていた。

     夢見がちなお姫さまも、舞踏会から帰ってきたらただの女の子だ。
     ましてやガラスの靴は拾われてすらいない。
     運命の糸は紡がれていないのだ。

     弁えなくてはいけない。
     心底失望したと、呆れたと、鬱陶しいというあのため息が忘れられないのだ。
    「嫌い」という言葉の毒は未だに抜けていない。

     もう傷つきたくない。これが本心だ。

     これ以上、醜く汚れていくのは耐え難い。
     初めての恋を綺麗なまま保存して、いつか王子さまに塗り替えて欲しい。そんな人現れるかなんてわからないことだけれど、今はただこの痛みを感受しながら、喪に服すように恋を埋葬してあげたい。

    「案外臆病なんだね」

     オルトより低く、イデアよりも少し高い声色にびくりと肩が跳ねて顔を上げると、きょとんとした顔をしたオルトが待っていた。

    「どうしたの?」
    「今……」

     気のせい? となりながらも記憶を辿ろうとしても、あの声がなぜか思い出せない。
     人間の記憶は脆いもので、音は一番初めに失われる記憶だ。
     だとしても記憶が流されるのが早いのは、イデアの声の出し方と酷似していて、記憶の中でその音が彼のものに変化していったからだ。

     臆病。そう揶揄されて悔しくなったのは事実で、それに対して怒りさえ湧いた。
     
     そうだ。彼を振り向かせるのが無理なら悔しがってもらえばいい!
     逃した魚は大きかったんだって、そう思わせればいいんだ。

     監督生はよしと拳を握り「オルトのおかげでウジウジしていたのが馬鹿らしくなってきたよ」と微笑む。

     オルトはきゅるっとレンズを細めてから、監督生の表情に明るさが戻っていることに目を細め「それはよかった」と口元に拳を寄せてウフフと笑む。

     可愛らしい仕草に声色はいつもと同じだ。
     やはり気のせいだよね。とさっきの声の低さを改めて勘違いだと流す。

     おとぎ話には配役が存在していて、お姫さま王子さまとくれば、悪役だって必要で、お姫さまと王子さまを手助けする役も必要となる。

     オルトはいったいそのどちらの役を望むのか。
     拳とパーツの下に隠れている口元がどんな形で弧を描いていたかを知る者はいない。


     好き。という感情がわからないわけではない。
     なにかを好ましく愛おしく慈しむ気持ちがどんなものであるのかくらい想像もできるし、自分でもその対象がいくつかあるからわかる。

     例えばもふもふしたものが好きとか、アイドル、アニメ、漫画、ゲーム、その他諸々、学ぶことも好きだ。
    「世界を愛しすぎている」と喉から手が出るほどに愛おしくて仕方がない存在に言われたのを例に出すのなら、僕と言う人間は恋多き男と言えるはず。
     けれどその対象は言葉を話せなかったり、画面越しだったり、いわゆる恋愛対象とかではなくて、好きの種類を細分化していった時に、唯一埋まっていない場所が存在しているのだ。

     好きという気持ちを向けられたその瞬間「意味がわからない」と脳が理解を拒絶した。

     これはもう答えだろ。と思うのに、逃げるように部屋から出ていった彼女の背中をテンポ遅れで見つめて、触れた指先に視線を落とした。

     首を傾げて答えを見つけようとしても、どうにももやもやと思考が鮮明にならない。
     考えることをやめたいのに、やめられないというスパイラルにゲームもアニメも課題もやるべきこともなにもかも手につかなくて、はあとため息ばかりを落としていた。

     恋。それは失われるもの。信頼に足るものが一切ない不確定で不安定な代物だ。
     安易に触れてはいけないと理解できる。

     逃れられない宿命もあるけれど、いつか誰かと添い遂げることにはなると思う。
     ありがたいことに億年前にやらかしたご先祖様からの贈り物があるので、それを次の世代に継承しなくてはならないから。
     こんなの自分の代で終わらしたろ。という気持ちもないわけでない。
     が、自分自身もとんでもないやらかしをした手前「結婚? 無理無理無理無理」を現段階で発言する勇気はない。
     誰もなにも触れずその時が来たらそうなんだろう。という所在ないままにしておきたいのだ。

     恋とくると芋蔓式に連鎖する宿命があるからこそ、盲目的になれないで真剣に悩んで思考を放棄してとしてしまう。
     恋に悩むというより怖いのだ。自分の気持ちや相手の気持ち、周りの反応なにもかも、臆病で後ろ向きなところが本当に? と逐一尋ねてくる。……疲れるのだ。

     一人の方が気楽だ。傷つかなくて済むから。

     そして相手を傷つけることもない。

     だからこそ腹が立ったのだ。整理できずにいる気持ちを無理矢理リセットさせたくせに、自分を傷つけることで実利を得ようとする狡猾さや、無鉄砲さに。

     もしあそこで傷つけたら君は一体僕になにを望んだの?
     同情? 責任? そんなもので縛って満足できるとは到底思えない。
     好きだと。そう思うのなら、少しだけ時間が欲しかった。僕の気持ちなんてちっとも汲まずにお互いを傷つけることでしか繋がりを見出せない関係性なんて不健全だ。
     僕はそんなの望まない。

     例え自分の気持ちを見ないフリしたとしても。

    「はあ……」

     イデアは自室のワーキングチェアに膝を抱えながら座って、重たいため息を吐く。
     気持ちの整理がずっとつかないし、悪いことをしたとは思えないのに傷ついた顔をした彼女の顔が頭から離れなくて腹が立って仕方がなかった。
     あそこで追いかけるべきだった? 自問自答しても結局答えは否定的だ。
     追いかけてどうするのだ。嘘でもないし慰める術もないし、とはいえこのモヤモヤはそこに起因している。
     そしてため息をまた一つ。

    「なんで僕なんだよ」

     選ぶならもっとマシなのにしたらいいのに。
     例えばそう……

     カチ、カチ、と脳内のピースが音を立ててハマる。もしもを考えて爪を噛む。
     自分にできないことができる唯一の存在は弟であるオルトだ。
     素直で優しいオルトなら、監督生に合うのではと。
     オルトなら好意を受け入れるにしろ断るにしろうまくやれたかもしれない。あんな行動を取らせる距離に踏み入れさせたりもせず、お互いに適度な距離感を保てたはず。
     そう……もしかしたら彼女の運命の王子さまとやらはオルトだったのではないだろうか。
     それを勘違いして近い人間に想いを混同させてしまった。

     イデアは無理矢理にも程があるような仮説を立てて納得を得ようとする。
     ずっと不可解だったのだ。ほとんど接点なんてなかったし、仲良くと言っても多少だ。好意を寄せられる理由がなさすぎる。
     そうだ。これは最初から捻れて歪んだ勘違い。そうか……なんだ。

    「なんで悔しがってんだよ……きもちわる」

     自分のどうしようもない心に苛立って頭を抱えた。
     恋なんてそんなもの知らないし知りたくない。
     不自由を自ら選ぶなんて馬鹿らしいだろ。


     監督生が選んだ道は単純だ。王子さまに追われるお姫さまになれないのならば、王子さまが逃してしまったことを後悔するように自分を磨けばよいのだという、失恋を悼む気持ちを焚べて昇華しつつ自分を向上させたい。そういうものだ。

     そもそも勝手に監督生が役を押し付けただけで、イデアは監督生の王子さまなどではなかったわけなのだけれど、そこを細かく考えていくと塞ぎ込んでしまうので、便宜上王子さまとしている。

    「監督生さんこんにちは」

     自分磨きの一環として軽いジョギングを始めた監督生は、休憩がてらにベンチに腰掛けて汗を拭っていた。そこにひょこっと顔に影がかかって、メタリックな犬耳と普段よく見かけるギアでは隠されている口元が見えて「珍しいね」とあいさつよりも先に口をついて出てしまった。

    「あれ〜びっくりさせようと思ったのに〜」

     後ろで浮遊していたオルトがベンチにぽすんと腰掛けてパタパタと足を動かす。
     驚かせようと思ったんだ……とこれまた珍しい行動だと監督生は思いつつ、どうして話しかけてくれたのかと尋ねてみる。
     オルトは口角を上げて「君が目に映ったから」と、隠されている目元を両手で指さして戯ける。
     ここはツッコミを入れるべきところなのか、それとも笑うべきなのか。監督生は少し考えてしまい会話のテンポが狂う。

    「え〜ノリ悪〜い。ね、ドキドキした?」

     監督生は初めから感じていたけれど、どことなくオルトの調子がいつもと違うとベンチに腰掛けている位置を少しだけオルトから離す。
     目元が見えていない分彼の思考が余計にわからない。

    「君は十分頑張ったよ」

     ざわり。心臓を直に掴まれたような感覚がした。

     高くもなく低くもない。無邪気と邪気がコントラストされた張り付く声色が、賛辞というオブラートに包んだ皮肉をぶつけてくる。

     それ以上言ってきていないというのに、それが皮肉であることは口調でわかるのだ。
     その程度。それくらいしかできていないけれど、もう頃合いでしょう。というような身限りの言葉であると。

     あなたは誰なの? その問いよりなによりも、頭に血が昇って顔が真っ赤になっているのがわかる。
     監督生は悔しかったのだ。

     人生で初めて運命と思える恋をして、その恋は相手には不要なので、それを自分の中で区切ろうとしていたし、大切に埋葬しようとしていたというのに、その墓を暴かれて献花を踏みつけられたような気になった。

    「こんなことしたって無駄。頑張ってるアピールしたところで、兄ちゃんは君のことなんて見ちゃくれないよ」
    「やめて」
    「あなたなんてもういなくても私は大丈夫〜全然平気〜ほら見て見て〜……って、面白いことするね」
    「やめてってば!」
    「僕を殴ったところで君が怪我するだけ。そんなこともわかんないの?」

     完全に馬鹿にしている口調だ。
     悔しくて恥ずかしくて惨めで、なんでこんな酷い仕打ちをするのと涙が出て、振り上げた拳の力が抜け、膝が折れる。
     確かにそうだ。これは結局のところアピールに他ならないのだ。
     どこかからなんらかの拍子に見かけた自分に対して、イデアの心に刺激が加わらないかなという打算的行動だ。
     それを的確に見抜いて突いてくるという行為はあまりにもひどい。

    「ねえ」

     耳に寄せられた口元から甘ったるい声が落ちる。

    「慰めてあげようか」

     甘美な毒は、同じ口調と似通った声色でこぼれ落ちていく。
     痛む傷口に劇薬が沁みる。

     けれど。

    「いい加減にして」

     監督生はそんな甘言に踊らされるほど落ちぶれてはいない。

    「へえ……」

     興味深いと音を溢し、涙を流した瞳で真っ直ぐ睨みつけてくる監督生を見つめ、フッと口元に笑みを携える。

    「やっぱり君、おもしろいね」
    「は?」

     不快に寄せられた眉が驚きに変わったのは、頬にオルトの唇が当たったからだ。
     抗議の声を上げようとしたのに、次に見たオルトは口元のパーツが隠れ、目元が見えていてきょとんと目を丸めていた。

    「あれ……僕どうしてここに」
    「いつものオルトだよね?」
    「どういうこと?」
    「……ううん。なんでもない」

     キスされた場所に触れようと伸ばした指先を止めて、複雑な気持ちをオルトに悟られないように息を吐き出す。

    「おかげですっきりしたよ」

     オルトにとってはなにが? でしかないだろうに、それでも監督生の発言に対して「そっか」と頷いてくれた。
     先程までの彼が誰で、なんの目的でとか、そういうことはこの際どうでもいい。
     未練はないようにとしていたくせに、結局この恋を埋葬するだなんて無理なのだと気付かされた。
     何度でも蘇るゾンビのような恋心だなんて、とてつもなくおぞましく醜い。
     いったいこの感情をどうしたものだろうか。
     そんなの簡単なことで、なにがなんでも成就させなければならないのだろう。
     それができないなら……

     この恋とともに心中するのも悪くない。


     寮長会議の場で最後の最後に「そういえば」と議題になかった伝達事項を追加してきた。
     それはオンボロ寮の監督生が元の世界へ帰れる方法を見つけたと言うことだ。
     苦労しただの大変だっただのなんだかんだと長ったらしく話し尽くした後「次の満月の夜十二時の鐘が鳴り終わる前に、この闇の鏡に向かって元の世界へ帰りたいと願う。これだけでいいらしいんですよ」だと。
     なんだそれ。ほんとかよ。と誰もが思ったらしく、リドルが「根拠はあるんですか?」と問いただしていた。
     自分の寮生と仲良くしていることもあるが、よくパーティーにも招待しているし、リドルは監督生をさも自分の寮の生徒かのように接している節がある。
     端的に言うなら可愛がっているということだ。

     イデアはタブレットごしにそれを見て「はー人気者ですな〜」と駄菓子の袋を開いてお菓子を口に放り込む。
     興味本位で只今の監督生が気になって、他のデバイスから監視カメラを操作して監督生を探す。
     するとオルトと一緒にいて驚いた。

    「ケルベロス・ギアなんて珍しいな」

     会議をBGMに画面を眺めていると「だから、根拠をお話してくださいと言っているんだ!」とリドルのキレボイスが発動していて、おー燃えてる燃えてる、なんてそちらに一瞬視線を戻し、再び監督生とオルトに視線を戻して驚いた。

    「……は」

     ぱちん。と監視カメラ映像を閉ざし「は?」と前髪を掴む。
     オルトと監督生がキス……した? どういうことだろう。
     見間違えの可能性は大いにあるし、角度的に本当にそうであるかと言われると疑問は残る。
     でも距離が……

     問題はそこじゃない。

    「なんだよそれ」

     僕のこと好きだとか、無理矢理既成事実作ろうとするくらい気持ちが先行してたくせに、今度はオルト? なんだそれ。シュラウド家だったらなんでもいいってこと? いや、なに。あの子にとってシュラウド家とかどうだっていいだろ。
     兎にも角にも……ほらやっぱり。恋だなんだと馬鹿らしい。
     あんなに必死だったくせにこれですよ。あーよかった……

    「よかったってなに」

     自分に問うが答えはない。いやあるのかもしれないが認めたくない。
     そもそも好きになる要素なんてないんだと己を諫める。

     好き。そう言われて感情が引っ張られて、女の子に好きだと言われたのなんて初めてだったから、それで勘違いしているだけで、恋? そんなん脳のバグでしかない。
     一過性の病だ。すぐ良くなる。

    「なら監督生はこちらの記憶を失うだけということですね」
    「まあ、はい……そうですね。ようやくローズハートくんの質問攻めから解放されますね……はあよかった……」
    「監督生さんもその方がよろしいのではないですか? こちらの記憶を有したまま元の世界で暮らすというのも、ねえ?」

     わけ知り顔の陰険眼鏡ことアズール・アーシェングロットからの含みのある視線がタブレットに向けられて、イデアはぐっと喉を鳴らす。
     良くなるはずの病の元が急激に体内を蝕み始めている。
     増殖して致命的なまでの弱点を植え付けようとしている。

    「……もう帰る。忙しいんで。じゃ」

     次の満月って明日じゃん。


     皮肉なもので十二時の鐘が鳴り終わる前に元の世界へ帰れるらしい。
     魔法が解ける……そういうことか。と納得しよう。

     監督生が恋心が成就しないのであれば、このまま死んでしまおう。くらいの気持ちになっていたところに、学園長から元の世界への帰り方と注意事項……つまるところの記憶保持できませんの旨を聞かされ「ああ」と諦めの声を出した。

     間接的な死を運命が与えてくれている。

     これはチャンスだと思った。
     だからこそ最後の最後まで焦がれて仕方がない相手には会わないよう細心の注意を払った。未練や後悔が進む足を止めてしまいそうだと思ったから。

     だというのに

    「え……な、なんで」
    「フヒ。こっぴどく君をフッた悪役登場。ドッキリ成功〜」

     黙って固まっていると「ノリ悪いね」と意地悪な顔を真顔に戻し「さて問題です」と人差し指を出した。

    「ガラスの靴を拾いそびれた王子さまはどうやってお姫さまにたどり着いたでしょう」

     監督生は後退りしながらも質問の答えをどうにか探す。けれどイデアがここにいるという事実に頭がついていかなくて「え、あの」と上擦った声しか出せないでいた。

    「はい。タイムオーバー。正解はそんなやつ王子さまじゃない。でした」
    「は、はい?」

     すっとんきょんな声に「フヒ」と楽しそうに笑い、イデアはどんどん続ける。
     完全に彼の舞台で、脇役と化している監督生だが、あともう二分で鐘が鳴り始めるので主役を奪われている場合ではない。

    「君は僕のことを運命の相手だって、好きで、好きで仕方ない。自分なんて傷つけてくれて構わないから振り向いて欲しいって、押し付けがましく告白してきたよね」
    「あの」
    「君は僕に考える時間をくれなかったんだ。黙って聞いてくれないかな」
    「でも」
    「いいから黙って聞けッ!」

     ぶわっと広がる炎の熱にビクッと身体を跳ねさせて、彼の熱が冷める間に口を噤むと頷く。

    「……君の好きは薄っぺらくて信用ならない。オルトにちょっかいかけたり、帰れるってなったら僕にはなにも言わずに帰ろうとするし……どういうつもり?」

     問われているということは口を開いていいということなのだろうか。
     監督生は喉に唾を押し込んで口を開く。

    「オルトは、私の話を聞いてくれてただけです……成り行きで」
    「成り行きでキスしちゃうかな」
    「してません!」
    「嘘乙……というか君さ、嘘つく時……いや、罪悪感隠そうとする時に唇噛む癖あるんだよ」

     知らなかった? と自分の唇を指差して言う。
     イデアは「すき」とこぼされた時や、既成事実を作ろうと押し倒された時、彼女がこうやって唇をぎゅっと結び甘く噛む癖があることを見つけ出していた。
     故にオルトからキスされた側であるとはいえ、好きな相手に問い詰められて罪の意識が生まれ癖が出たことで「嘘」を見抜いたのだ。

    「あ、あれは……頬に」
    「まあもうそんなのどうでもいいし、それを咎める立場でもありませんので。とにかくさ、君は僕への気持ちを運命的だって、そう言ってたくせに、その気持ちを簡単に消せるんでしょ?」
    「そんなの」
    「だってそうだろ」

     鐘が鳴り始める。

     鏡が月明かりに照らされ、横を向いているイデアの美しい顔を哀色に染める。

    「この鐘が鳴り終わる間にお姫さまを逃すようなヘマはしない……君ってとことん運命の女神に嫌われてるね」
    「私は」

     監督生は涙をこぼしていた。
     イデアはその涙の理由を悲しみであると捉える。恋した相手に自分の帰り道を、自由を妨害される。なんて最悪な物語だろう。

    「お姫さまなんかじゃないです」

     鐘の音が鳴り終わるまで後十回。

    「イデア先輩に恋をして、私、どんどんどんどん、醜くなるんです。振り向いてほしくて、同じ気持ちになってほしくて、触れたくて、触れて欲しくて、もう、頭も身体もむちゃくちゃで、こんな醜い姿、好きな人に晒し続けるのは苦しい……叶わない恋を埋葬したいのに、どんなに綺麗に閉じても、死体のまま動き出すの……朽ちかけた見窄らしい姿の私が、あなたに向かって歩いていってしまう……お願い、どうか私を見てって……本当は見て欲しくないくらい醜いのに……どんな姿でもあなたの瞳に映りたいって、そう思う気持ちが止められないんです」

     鐘が、あと五回で鳴り終わる。

    「こんな姿見せるくらいなら、死んじゃいたいっ」

     涙を拭う監督生は醜いゾンビでも獰猛な獣でもない。
     運命の恋に焦がれる可憐な少女だ。

    「混沌としてる方が僕は好きだよ」

     嫌いだ。そう言われた毒が抜ける。
     はらはらと落ちる涙を鏡から離れ、監督生の方へ歩み寄ったイデアが拭った。

    「もう時間がないけど、君はどうしたい?」

     選択肢をここで与える優しさが、イデアを完全な悪役にしない所以だろう。
     けれど監督生はそんな優しさを求めていないのだ。

    「王子さまじゃないんでしょ……なら、私を逃さないでくださいよぉ……っ」

     どんっとイデアの胸を叩く小さな手を取って、最後の鐘の音を聴き終える。

    「二度とどこにも逃がさない。僕とずっと一緒にいて」

     指を絡ませ顔の距離を狭めるために監督生の腰を引き寄せる。
     踵が上がり視線が交わるのは僅かなことで、柔らかな感触が唇に乗せられた。

     冥府の底。紡がれる運命の糸の気配に微笑むのはこの物語の悪役かそれとも──。
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