僕を巡って争わないでッ イグニハイドの談話室で寮生が揉めている。揉め事とか自分達で解決してもろて。そう一蹴しようにもその寮生というのが弟で、揉めている相手が自分の彼女となれば話は変わる。
イデアは物陰から談話室のまばらな人だかりを覗く。
確かに揉めていた。やんややんやと言い争う様は番犬と愛猫の小競り合いだ。そもそもこの二人、普段はとても仲がいいのだ。同じ一年生ということで授業のことや、共通の話題も多く楽しそうに会話しているのをよく見かける。
それが今はどうだ。オルトは髪をわざわざ真っ赤に燃やしているし、監督生は肩を怒らせている。顔も真っ赤だ。なにをどうしたらそんなに揉める事があるのやら……
イデアが止めに入ろうとしたところで「兄さんのにわかのくせにご高尚な解釈だね!」と来てそのカウンターとして「これだから古参の害悪オタクはいやだいやだ」だった。
なんの話? 兄さんのって、僕の話で合ってる?
イデアは壁を掴んで見守る姿勢をとる。続きが気になってしまったのだ。
「僕は世界一可愛い弟で、兄さんのことを一番よくわかってる。公式プロフィールレベルのことしか知らないくせに兄さんの一番を語らないでほしいかな」
「私はイデア先輩の最初で最後の彼女で、イデア先輩からシュガーちゃんって呼ばれてるけどね! 公式プロフィール? なぁにそれ。本人がいつでも好きな時に教えてくれるから知らなくても平気だもん」
シュガーちゃん? と談話室がざわざわする。イデアへ注がれる視線はチクチクと安全ピンで刺されるようなものだが、それなりの量でそこそこ痛い。「監督生氏。それ外で言わない約束でしょ」イデアは顔を真っ赤に染めて続きを見守る。
「あーはいはい。要はなんにも知らないんでしょ。それなのにイデア先輩はこう! イデア先輩はああ! だとか解釈述べちゃってさ〜笑っちゃうよ」
「知らないわけじゃないから。あくまでも今どうなってるの? をすぐに聞けますけど私。ってことだから。先輩は最近身長が猫背のせいで縮んだってことも知ってるしね」
「はいざんねーん。それは昨日僕が姿勢矯正プログラム組んで整体マッサージしたのでむしろ0.5センチ伸びてまーす」
やんややんやとまた小競り合いを始めた。そろそろ止めよう。この無益な争いを。「僕のために争うのはやめてーー!」このセリフが言える世界線。役得っすな〜。などと呑気なイデアのお耳に「先輩の弱いところ知らないでしょ」と聞こえてきた。弱点晒し⁈ なにそれ怖い。イデアは壁に張り付いて衝撃に備える。
「兄さんに弱いところなんてないよ」
「盲目なオタクだな〜。イデア先輩だって弱いところあるよ。たとえば足の裏」
「なぁんだ。そういうことなら知ってます〜兄さんは脇とか背中とかくすぐっても反応しないけど、足の裏だけは激弱だからね〜」
「あとち」
無益な争いの場とイデアとの距離は5メートルほど。それを鈍足とは思えない俊敏さで詰め、監督生の口を覆った。
恐ろしい事が起こりそうだったのだ。ヒートアップした人間って本当に何をしでかすかわかったものではないな。
「ち? 身体の部位であるなら」
「僕を巡って争うのはやめてッ!」
イデアは叫んだ。その話題早く消えろ。その願いを込めて。
「僕のことがす、す、好きなら、仲良くして……ほしい。二人が喧嘩してるの、い、いやだな〜」
こんなセリフを人生で言う事があるなんて。恥ずかしさもあれど、漫画やアニメでよく見るセリフなので言えたのが少し嬉しかったりする。
指と指を突いてちらっと二人を見ると、にぱっと顔を綻ばせ腰を抱き合って仲良しを演出して始めた。が、オルトは監督生の背中の肉を絶妙な量摘んでいるし、監督生はオルトのボディの継ぎ目に紙屑を詰めている。
イデアはその妙なやり取りを見てため息を吐き「あのさあ」と二人のくだらない喧嘩に終止符を打とうとトーンをまじめにしたのだが、監督生の切り口がまたしても気になるもので一旦口をつぐむ。
「イデア先輩と初めてちゅーしたの私だし」
「僕のメモリーでは兄さんが初めてちゅーした相手は母さんで、兄さんが自分の意思で初めてちゅーした相手は僕だね」
「なにそれ! じゃあオルトとちゅーすればなかったことにできるってこと⁈」
口元が隠れているギアだったオルトはニヤニヤと意地の悪い目元で監督生を見ていたし、監督生はムキー! と地団駄を踏んでいた。
イデアは「何を言ってるんだ」と呆れ返り、ようやく「いい加減にしなよ」と雷を落とす。
番犬と愛猫がビクッと肩を跳ねさせてイデアを見上げると、心底呆れ落胆したという表情でなんて煩わしい事この上ないんだとため息を落とす。
「この解のない小競り合いいつまでやるの? もう面白くないからやめてもらってもいい? 時間の無駄」
「だ、だって監督生さんが」
「オルトが」
「そういうのいいから」
叱られている二人はどんどんと小さくなっていく。ぽつぽつと聞いてもいない発端をお互いが話し始めたが、その発端も中々にくだらないもので「どっちが一番可愛い〇〇か」だった。笑いそうになるのを必死で堪え、イデアは「くっだらな」と吐き捨てるように言う。こうでもしないとこの件に固執してまたくだらない喧嘩をする。その結果自分の弱点を大衆に晒されかねない。なぜこんなところで言い争うんだよ。僕の部屋来てくれたらいいだろ。イデアは目の前でやんややんややられるのは可愛いし面白そうだからよかったのだが、知らないところでやられたらたまったものではない。その判断で釘を刺すことに決めた。
「こんなところで人の迷惑も考えずに喧嘩? ナイトレイブンカレッジの校則以前にモラルの問題だよね。二人とも反省しな」
小さくなった二人から小さい返事が聞こえてきた。それなので耳に手を当てて「え?」とダメ押しすればうるうるさせた瞳と震えた声で返事が返ってきた。うんうん。と頷いて二人の頭を撫でてやる。
「オルトは世界一可愛い僕の弟だし、君は僕にとって世界で一番可愛い彼女だよ。争う必要なんてないから。喧嘩するなとは言わないけどさ、ヒートアップしすぎて周り見えなくなっちゃうのは良くないと思う。わかるよね」
オルトと監督生は顔を見合わせてから頷いて、イデアの雷に怯え無意識のうちに繋いでいた手に気づいて笑い合っていた。
それを見て「なにこの可愛い生き物。いっぱいちゅき」と思ったイデアが、兄と彼氏の威厳を保つために内頬を血だらけにしていたなんて事を二人は知らない。