アポトーシス 長い炎髪を鋏で裁断する。嗚咽のない静寂な落涙が悲壮感を増長し、細く頼りない体躯が小刻みに震えていた。
握りしめている蒼炎が呪いの根元から分断されたことで灯火を絶つ。長い前髪から恨めしそうな月明かりが扉の前に立っている少女を捉えた。
「また死にたくなっちゃったんですか?」
繰り返す自傷に等しい行為に対し、呆れた声が怒りを髪に灯した。抑え込めず可視化する感情は呪いだ。心というままならない不確定かつ不安定なバグを秘匿させてくれない。遥か昔、それこそ神話の時代に侵した先祖の罪を、今代まで粛々と身に宿して祝福と呪いと共に産み落とされる。哀れで醜い矮小な存在。
「運命の女神には見放されてるし。世界には神様ってやつが山ほどいるていうのにさ、誰も救ってなんかくれないんだ……こんな悲しいことってある?」
「はあ……どうしてイデア先輩はそんなに悲観的になっちゃうんですか」
白くしなやかな手が握る青い髪は摘み取った草花のように生気を失いくたりと萎びている。少女はなぜこうなってしまうのか、どうしてそうなのか、単純な言葉で言い表す方法は知っている。けれどそれだけではなく、絡みついて解けない紐のように様々な事柄がイデアの首を締め上げているのだということも理解していた。
だから言えない。自発的にそうである。だからこうしてくれと言われないと動けない。そのせいで椅子から足を離されてしまったら困るから。
「めんどくさい……そう思ってるんでしょ」
半月が虚を探る。それはあまりにも面白くない。真っ当に愛を送付していても受取拒否をしているくせに「何ももらっていない」そんな風に扱われてしまうのは許しがたかった。けれどここで争いを誘発するのは賢い選択ではないように思えた。
対等であるはずなのに、この恋愛においての主導権はお互いに存在し得ない。命綱なしの綱渡を忖度しあい、自滅を迎えないようにと気を張らなくてはいけないのだ。
少女の瞳が左右に揺れた。ほんの微小、気づくはずがないほど僅かに。
イデアは目を閉じて肩を落としてから枯れ草のような髪を床に落とし、愛しく憎い少女の頬に爪の先を立てる。撫でるように傷をつける真似事に目を細め、顔を寄せる。
生々しい感触に目を閉じながら酸素を奪い合う。死にたくて仕方がないのに息を吸い吐く行為をやめられない。貪るように組み敷いて、ついさっき事切れた呪いの残骸が少女の背に踏み潰されている様に酔う。こんな風になれたら幸せだろうに。
「もし……もし。君だけが女の子で、この手をまた取ってくれたなら……こんなに苦しまず、悩まず、君を連れ去ってしまえたのに……」
手のひらに重ねた手が組み合わされ軽く力が込められる。
イデアは繊細で優しい。不安定になる理由は少女の幸福を夢想するからだ。
文字通り生産性のない関係は、いつか必ず綻びが生じるだろうし、自分と結ばれたら普通の幸せというテンプレートな未来は訪れない。ならばこの手を離せばいい。なのにそれはできない。君に出会えただけで幸せでした。そんな風に締めくくれるほど殊勝な人間ではないのだ。
「生まれてこなければよかったのに」
呪詛の言葉は愛憎が複雑に混じり合っていた。
無意味で尊い行為に耽りながら、咎められると分かっていて首筋に噛み付く。胎を呪えないならどうしたら良いというのだろう。何が正解で過ちであるか、そんなの違えることなくそもそもが過ちなのだ。
汗ばむ肢体は生を感じるのに、イデアは屍人のようだと自分を俯瞰して見ている。何も実らない。ただ時間だけを食い潰し、少しづつ可憐な花から花弁を散らす。取り返しのつかない事に足を踏み入れているのに、流転することを留められない。
涙が止まらない。
「愛してます」
その言葉は甘美な呪いだ。
今日で終わりにしよう。その決意の鋲を簡単に抜いてしまう。
「君は……愛するのが上手だね」
愛でられた子猫のように微笑んで喉を鳴らす。愛はきっと、ここに存在していて紛うことなどない。わかっている。そんなことは。
熱が爆ぜるまで溶け合わさり、手を繋いで日暮の浜辺まで足を伸ばした。
砂浜に敷いたレジャーシートとバスケットの中の六枚切りの食パン。たっぷりと苺のジャムを塗りたくったものをイデアに渡し、同じ要領で自分の分も作ってとしていたら、白いワンピースにジャムが落下してシミを作ってしまった。
「あ〜〜っ!」
「フヒヒッ! せいぜい染み抜き頑張って」
「魔法でなんとかしてくださいよ」
「やだ」
「ケチ!」
頬骨が痛むくらい笑えば、明日また絶望した時に余計に傷になるというのに、イデアはケラケラと心の底から幸福そうに笑う。
溢れるほど塗りたくったジャムと同じで、許容範囲は誰しも裁量の差異はあれど存在する。それがイデアはとても小さいのだ。
幸福を溜めておける杯から溢れるサイクルが早く、些細な幸福が死因になってしまう。
もし。という世界線に狂ってしまう。
その存在し得ない世界線に向かう手段として自発的に自死を選択しようと試みては、それを選択できない脆弱な自分にさえ絶望する。この分裂に相応な行為の一番の被害者は他でもないというのに、初めからプログラムされている行動であるように止められない衝動で、嘆かわしいと自分自身を悲観するしかない。
ああきっとまた、明日も死にたくなるのだろう。