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    ストリテラ『ルートイレヴンは眠らない』リプレイSS
    ファイナルチャプターのロン視点

    ##卓文

    覚悟の先で ――覚悟が足りなかったわけではないと思う。
     いつかはこの日が来るのだと分かっていた。すぐにでも来てほしいとすら願っていた。妹の病を治す薬の研究を始めたとき、競合する研究機関から論文が発表されたとき、その論文を――奪うほうが早いと白衣を脱ぎ、初めて銃を握ったとき。誰かの命と引き替えに妹が助かるなら、ためらうものかとずっと心に決めてきた。
     しかし、撃てなかった。研究論文を追って乗り込んだ先で、目的のUSBを持つ男を目の前にして、狙えたのはかろうじて足だけ。転んだところでブツを取り上げようとするも、向こうだって必死だ。抵抗されて時間を食って、とどめを刺すべきか迷っているうちに人が駆けつけ、撤退を余儀なくされた。
     いくつもの勢力、思惑、罵声と銃撃音が行き交い、現場は騒然としていた。追っ手をかわして飛び込んだ車は、よく考えれば自分の組織のものでも何でもなかったが、運転席にいた若い娘に構わず指示を出した。
    「おい、車出せ! ――いいから早くッ!」
     それが小烏との出会いだった。何やら文句も言われた気はするが、奴の運転技術は凄まじく、それはもう鮮やかな脱出劇を描いてくれたものだから正直舌を巻いた。こいつは使える、と思った。共通の敵を相手に協定関係を結んで、それがいつの間にか運び屋なんぞの看板を掲げるまでに至っている。
     あの瞬間、男の額を、喉を、心臓を撃ち抜けていたら。その後悔はいつまでも尾を引いて、本当の意味で腹をくくる引き金となった。――研究論文を持っている人間に容赦はしない。殺してでも、絶対に、絶対に手に入れてやる。
     だから、何度でも言おう。覚悟が足りていないわけではなかった。小烏の車に横づけしてきた運転手の顔を見たとき、ついにこの日が来たのだと、時の止まるような空白が頭を占めた。胸ぐらを掴んで、論文の行方を問うて、何も知らないと吐かせて。用済みのこいつを葬ることが、その覚悟を行動に移す第一歩だった。
     銃口を額に向けた。小烏の操るタイヤの軌道には、寸分の狂いも生じない。奴が俺の手元を揺らすはずもないと、窓から身を乗り出せる程度の信用があった。
     銃声は一発。決着は一瞬。舞い散る薬莢が、いやにゆっくりと動いて見えた。

       *

     小烏が急に車を止めた。それで初めて、自分がぼんやりと深く座席に沈み込んでいたことに気づいた。普段だったら次の弾の装填を怠ったりしないのに、男を撃ったそのままの手の形で、長いこと拳銃を見つめていたらしい。
     小烏が車を降り、自販機で飲み物を二本買って戻ってくる。甘いココアと、ブラックコーヒー。手渡されたのは後者で、小烏が開けた缶のほうに「そっちがいい」と指をさした。
     口をつけようとしていた動きを止めて、小烏が目をぱちくり瞬く。
    「……ココアが、いいんじゃな?」
     いつ聞いても妙ちきりんな口調だ。おまけに、仮装めいた中国服はえらく目立つし、毎度のカーチェイスのやり口だって派手極まりない。だが、こいつの真骨頂はそういった上辺ではない。
    「ココアがいいんじゃな? ほんまに? その見た目で?」
    「うるせえなァ。甘いほうがいいんだよ」
     寄越せとばかりに手を出すと、聞こえがよしなため息を吐いて、ココアとコーヒーを交換してくれる。
    「わし、苦いの、そんなに好まないんじゃがのぅ」
    「俺は全く飲めない」
     好まないとかじゃなくて全く飲めない、と事実を白状する。そういえば、これだけ長く一緒にやってきて、そんな話もしたことがなかった。いや、あったかもしれないが覚えてないくらいには、お互いに気にかけてこなかったのだろう。俺たちの関係では、それで十分だったから。
     小烏は「しょうがないなぁ」と受け入れて、ブラックコーヒーを飲み始める。窓の外に目を向けているのは、奴なりの気遣い、なのかもしれない。
     俺も何かを言う気にはなれなくて、しばらく沈黙が流れた。甘ったるいココアがこうも体に染みるのは、硝煙の臭いに慣れすぎてしまったからだろうか。
    「……小烏」
     そんなつもりはなかったのに、気がつくと声を掛けていた。こちらを見る小烏に目を合わせないようにして、こぼれるままに言葉を続ける。
    「ここまでお互いのことをあまり話さないできたから、俺も、お前がどういう組織に所属しているのか、ちゃんと知っているわけじゃねーが……」
     この先を口にするのに、少しかかった。なんだったら、銃を握ったときより勇気を出したかもしれない。
    「――自分の手で、人を殺したことはあるか?」
     唾を呑む。ああ、弱気になっている。こいつにこんなことを訊くはめになるとは思わなかった。
     小烏は、うーん、と悩むような素振りをした。質問の重さに対してというよりも、むしろその軽さをどう言い表そうか考えているように見えた。
    「それがまあ、わしの生きる目的じゃからのぅ」
     なんとなく、腑に落ちる。これまでの付き合いで断片的に読み取れた小烏の生い立ちからして、たぶんこいつは人殺しを悪事とは認識していない。そうでもなければ生き抜けない環境だったのだろう。でも、訊きたいのはそんなことじゃない。
    「初めて殺したときのこと覚えてるか?」
     どんな気分だった、と添える。情けないことに、消え入りそうな音量で。
     小烏は記憶を辿るように、遠い目をした。
    「初めて殺したのは、口封じのためじゃったかなぁ」
     俺がまともに覗き込めない、その瞳に何を映しているのか。表情にも声音にも、特に深い感慨はなさそうだった。
    「その男はぷるぷる震えておったが、引き金を引いたら静かになったからな。……そんな記憶が一番古い記憶かのぅ」
    「お前は?」
     小烏の答えに重ねて問う。今度は声を強めた。
    「お前はどんな気分だった?」
    「わし? わしかぁ……うーん、そうじゃねぇ……」
    「お前は、震えなかったのか?」
     自分の手をそうっと隠す。こんな姿を知られたくない、とは思ったが、かりそめの相棒は勘づく気配もなかった。
    「震える? 震えるってことは、怖いとか、緊張とか、そういう感情を得たかってことか?」
     返事に詰まる。身に覚えのない様子で紡がれる台詞は、こちらにとっては身に覚えのある感情の名前だった。――正確には、今、名前をつけられた。
     覚悟は決めていた。だから殺した。けれど、そうか。この震えはそうか。俺にもまだ人並みの、恐怖心なんてものが残っていたのか。
     この気持ちは、怖い、と言うのか。
    「……まあ、そういう……ことだ」
     ようやく絞り出した肯定に、小烏は軽く、本当に軽く、息を吐くように笑った。
    「そういうのはなかったのぅ」
     あっけらかんとした言い方は、俺の知る小烏の底知れぬところで。人殺しの葛藤なんてお見通しなのかもしれないし、まるでどうでもいいのかもしれない。とにかくなんだか、力が抜けてしまった。
     長い長いため息を吐いて、「まあ、お前はそうだよな……」と俯いて笑う。最後まで、小烏のほうは見られないまま。
    「これだから、最低で最高の相棒だよ」
     ハンドルを握る腕以外、中身は何ひとつ信じちゃいないが、だからこそ俺にない可能性を生み出してくれる爆弾だ。命運を預けるに値する。もっとも、預けたものを説明する気は、こちらも一切ないけれど。
     切り上げる合図にココアをあおると、
    「何じゃそれは」
     と呟いて、小烏もコーヒーを飲み干した。ほらな、こういうところ。感情に思い入れのないわりに、人の機微の分かる奴なのが、どうにも悔しいばかりなのだ。
     できることなら、このまま敵に回さず済みますように。心の奥底に祈りを乗せて、車は最終目的地へと発進する。
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