銀河帝国の首都オーディン、皇帝宮殿「ノイエ・サンスーシ」の一室。薄暗い照明が石造りの壁に影を投げかけ、静寂が重く漂っていた。その中で、オスカー・フォン・ロイエンタールは直立不動で立っていた。目の前には、金髪を輝かせた若き皇帝、ラインハルト・フォン・ローエングラムが座していた。彼の青い瞳は鋭くもどこか柔らかく、ロイエンタールを見つめていた。
「卿は実に面白い男だな、ロイエンタール」とラインハルトが口を開いた。その声は威厳に満ちつつも、どこか親しみを帯びていた。「今回の遠征での采配、見事だった。敵の補給線を見事に断ち切り、我が軍に勝利をもたらした。卿の頭脳なくしては、あの戦いはもっと長引いていただろう」
ロイエンタールは一瞬、言葉を失った。普段なら冷静沈着、どんな状況でも動じない彼だったが、ラインハルトのこの率直な賞賛に内心で波が立った。褒められること自体は慣れていた。だが、それがラインハルトから発せられると、なぜかいつもと違う重みを感じた。
「陛下のお言葉、恐縮に存じます。ただ、私は与えられた役割を果たしたまでです」とロイエンタールは抑えた声で応じた。感情を表に出さないのが彼の流儀だったが、心の奥で小さな喜びが芽生えているのを否定できなかった。
ラインハルトは立ち上がり、ゆっくりとロイエンタールに近づいた。その距離が縮まるごとに、ロイエンタールの背筋が微かに緊張で固まった。皇帝の美貌とカリスマは、近くで見るとさらに際立ち、人を圧倒するものがあった。だが、ラインハルトの表情には珍しく、どこか悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「ふ、謙遜か? それとも卿らしい皮肉か?」ラインハルトは軽く笑いながら、ロイエンタールの肩に手を置いた。その感触に、ロイエンタールは一瞬だけ目を細めた。「卿はいつもそうだな。どれだけ功績を立てても、まるで自分がその中心にいないかのように振る舞う。だがな、ロイエンタール、私には分かる。卿がいなければ、私の帝国はここまで来られなかった」
その言葉に、ロイエンタールは内心で動揺した。ラインハルトが「私の帝国」と言う時、そこには単なる支配者としての傲慢さではなく、深い信頼と情熱が込められているように感じられた。そしてその信頼が自分に向けられていることに、彼は困惑を覚えた。自分はあくまで一将校、皇帝の道具に過ぎないと思っていた。なのに、なぜこんなにも心がざわつくのか。
「陛下、私は……」とロイエンタールが口を開きかけた瞬間、ラインハルトがさらに距離を詰めてきた。皇帝の顔がすぐ近くにあり、その瞳がロイエンタールの左右異なる色の瞳――青と黒の金銀妖瞳――を真正面から捉えた。
「卿の瞳は面白いな」とラインハルトが突然言った。「片方は冷静で、もう片方は情熱的だ。卿という男そのものではないか。隠そうとしても、私にはすべて見えているぞ」
ロイエンタールは言葉に詰まった。ラインハルトのこの軽やかな口調、まるで友と語らうような態度は、彼の予想を超えていた。普段のラインハルトは冷徹な戦略家であり、皇帝としての威厳を崩さない。それが今、まるで少年のような無邪気さで自分に絡んでくる。この状況に、どう反応すればいいのか分からなかった。
「マインカイザー、お戯れを」とロイエンタールはなんとか冷静さを保ち、抑えた声で応じた。だが、ラインハルトはさらに一歩踏み込み、ロイエンタールの頬に軽く手を当てた。その動きは自然で、まるで兄をからかう弟のような親しみがあった。
「お戯れ? いやいや、私は本気だ。卿は私の最も信頼する臣下であり、時には私を驚かせる存在だ。今回の勝利だって、卿の策がなければ成し得なかった。それを褒めるのは当然だろう?」ラインハルトはそう言って、にやりと笑った。
ロイエンタールは完全に困惑していた。頬に触れるラインハルトの手の温かさ、至近距離で見つめるその瞳、そして何よりこの異常なまでの親密さ。普段なら即座に距離を取るか、皮肉で切り返すところだが、今はそれすらできなかった。なぜなら、彼の心の奥底で、確かに「嬉しい」という感情が広がっていたからだ。
「マインカイザー、私はそのような扱いに慣れておりません」とロイエンタールはなんとか言葉を絞り出した。声には微かな震えが混じっていたが、それを隠すのに必死だった。
ラインハルトは一瞬目を丸くし、それから声を上げて笑った。「ははっ、何だその堅苦しい反応は! 卿にも案外可愛いところがあるじゃないか、ロイエンタール」
「可愛い?」その言葉に、ロイエンタールは眉をひそめた。自分を形容する言葉としては、あまりにも不釣り合いだ。だが、ラインハルトはさらに楽しそうに続けざまに言った。
「そうだ。卿がそんな顔をするから、ついからかいたくなる。卿はもっと褒められることに慣れた方がいいぞ。私の帝国には卿が必要なんだからな」
その言葉に、ロイエンタールはついに言葉を失った。ラインハルトの笑顔、その軽やかな口調、そして何より「必要だ」という一言が、彼の胸に深く突き刺さった。長い軍歴の中で、彼は多くの者に認められ、恐れられてきた。だが、こんな風に純粋に、親しみを込めて褒められることはほとんどなかった。
「陛下にそう仰っていただけるのは、私にとって光栄の至りです」とロイエンタールはようやく落ち着きを取り戻し、丁寧に頭を下げた。だが、その声には普段より柔らかな響きが混じっていた。
ラインハルトは満足そうに頷き、ロイエンタールの肩を軽く叩いた。「よし、これからも頼むぞ。私の帝国を、卿と共に築いていくんだ」
その言葉を聞きながら、ロイエンタールは静かに目を閉じた。困惑は消えていなかったが、それ以上に、ラインハルトからの信頼と親しみが彼の心を温かく満たしていた。皇帝とのこの奇妙なやり取りは、彼にとって予想外の喜びとなり、深い忠誠心を再確認させるものとなった。
部屋を出た後、ロイエンタールは一人、長い廊下を歩きながら小さく笑った。「可愛い、か。陛下は本当に厄介な方だ」と呟きつつ、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。